暗い雨に閉じ込められて
季節はすっかり冬に染まり、焦がれるような夏の暑さも、地面に広がっていた枯葉の絨毯の秋も、過ぎ去ってしまった。
クロエは手袋の感触越しの固く、重い銃器を握り締めた。ふっと息を吐き出す。あまりの冷たさにぶるり、と体が震えた。呼吸さえも苦しい。
なぜロシアの戦地へ送り込まれなければいけないのだろう。だなんて軍人らしからぬことを心の中で呟き、慌ててその考えを取り消した。
馬鹿。私は馬鹿か。クロエに新人という肩書はもう存在しない。新人として扱われてきたが経験を重ねるごとに新人呼ばわりされなくなっていく。
「隊列を乱すなよ」
隊長の声が聞こえ、クロエは「了解」と返事をした。続くように複数の了解の声。
短い期間の間でクロエは副隊長という任に預かった。
「さあ、さっさと敵を殲滅するぞ」
カシャッ、とリロード音。隊員たちは息を潜めた。
「死ぬなよ」
息を呑み込む。心臓の音が聞こえてきそうだった。生きている証。
「突入!!!」
その声で隊員たちは一斉に動いた。
その声が悲鳴に変わるまで5分も掛からなかった。
*
クロエは目を開けた。全身がぐっしょりと濡れている。嫌な汗だ。不快感にクロエは顔を顰めた。
自分だけが生き残り、仲間はみんな死んでいった。仲間はみんな化け物へと姿を変え、襲い掛かってきた。
躊躇う時間などなく、引き金を絞るしか方法はなかった。ゆっくりと上半身を起こし、チャリ、と首元から聞こえてきた音に顔を歪めた。
その顔を隠すように手のひらで覆うとして気づいた。手が縄で拘束されている。震えた息が吐き出された。ここは、どこだろう。
「お目覚めか、B.S.A.A.のお嬢さん」
首元にナイフが突きつけられ、クロエは顔を顰めた。微かにする血の匂い。
これだから極寒の地で行う任務は嫌なのだ。忌まわしいあの記憶が掘り出されるから。
しかし一体、自分はどうしたのだろうか。ピアーズやクリスと共に戦場へと入ったハズだ。
通常、B.S.A.A.は戦争に介入しない。しかし戦争に生物兵器が使用されれば別となる。
政府から報告を受け、今回の任務に当たることになったのだ。
戦場へ赴くと報告通り、生物兵器が使用されていた。たくさんの化け物が襲い掛かってくる。
その中で突如、鋭い鉤爪を持ったハンターの群れがやってきて隊列を乱した。
隊と離れてしまったクロエは応戦しながら地形を把握しようと山中に足を踏み入れ、そこで滑って気を失ってしまったのだ。
ようやく状況を把握し、クロエは息を吐き出した。
「ナイフ突きつけられても冷静なんだな」
「一般人のレディーと一緒にしないで」
「そいつは失礼。他の隊員は?お前単独でここへやってきたわけではないだろ?」
「……」
無言を貫けば、背後にいる男はナイフをさらに首の皮膚へと押し付けてきた。
ピリリとした痛み。どうやら無言は許されないらしい。
「…はぐれたの」
正直に答えれば、ナイフの刃がそれ以上に食い込むことはなかった。
背後から聞こえてきた嘲笑うような気配にクロエは溜息を零した。
「もしかして新兵なのか、お前」
「新兵ではないです」
それは本当だ。でもクリスやピアーズにとっては自分はまだまだ新兵なのかもしれないが。
「貴方こそ、私を捕まえてなぜこのようなことをするんですか」
「…女を捜してる」
暗殺目的か。B.S.A.A.のエージェントは数少ないが特定されていても不思議ではない。
もしかしたら相当な恨みを持っているのかもしれない。
「…B.S.A.A.には女性隊員は多くいます。エージェントはもちろん、機密情報となりますので何も明かせません。なので名前を言われてもわかりません」
「いいや、わかる。元S.T.A.R.S.の隊員だ。お前らB.S.A.A.が尊敬するクリス・レッドフィールドのいた組織の名前が分からないはずないよな」
「……」
この男は一般人ではないだろう。それはこのナイフ捌きと固定技で薄々勘付いていたことだ。この男は何者だろう。兄の名前まで知っているとは。
後ろにいて彼の顔を見ることはできなかった。声からして少し若い気がする。
それにしても元S.T.A.R.S.でB.S.A.A.にいる女性は1人しかいない。ジル・バレンタインだ。
クロエも尊敬し慕っている彼女を危険に晒すわけにはいかない。
「言っておくが俺はあいつを殺そうとなんて思っちゃいない。もう一度会ってきちんとお礼を言いたいんだ」
こんな手荒な真似をしておいてその言葉を信じるとでも思っているのだろうか。
「だったら何でこんな方法で聞くんですか」
「俺は顔を晒すわけにはいかない」
顔を晒しては、いけない。そうなると
「…指名手配中ですか」
「残念だ。当たってるけど外れでもある」
「どういう意味ですか」
「誘導はそこまで。俺はアンタに俺自身の情報を教える気はない」
「なら私も教える気なんてありませんっ…う」
先ほどよりも深々と傷つけられ、思わず声を上げる。
「強情な女は嫌いじゃないが…自分の立場を理解したらどうだ」
笑い声が漏れた。怪訝そうな気配。
「貴方は優しい人なんですね」
「はあ?」
「私を殺す気なんてこれっぽっちもない」
「あまり調子に乗ると」
ナイフの刃に微かに力がこもる。しかし刃から伝わってくる動揺。
「一応、捜している女の人の名前聞いておきます。誰ですか」
「……レベッカ。レベッカ・チェンバース」
「レベッカ…チェンバース」