雨の部屋

「うーわ、最悪。雨かー…」

曇った硝子の水滴をジャージの袖で拭い、クロエは顔を顰めた。
気分がブルーになる。言うまでもなくクロエは雨が好きじゃなかった。
嫌いとまではいかないが好きにはなれない。雨は最悪のコンディション。そして最悪な戦場を作り上げる。
瞼を下ろして過去にあったことを思い出し身震いする。悪寒、そして凄まじい憎悪が渦を巻く。
どんどんと過去へと遡っていき、環境が、匂いが、無情な雨の冷たさが同調していく。
そんな感覚が恐ろしかった。マズイ、呼吸が乱れてる。
耳を劈くような悲鳴にピクリと体が心が冷えていった。今の環境と離れていく感覚に震えた。
放送ベルが鳴った。全てが掻き消されていく。何もなかったかのようにクロエは自室に戻っていた。
動きを止めて聞き耳を立てれば無機質な低い声が聞こえてきた。

『各隊員に通達。今日の訓練は中止だ。繰り返す、今日の訓練は中止。各自トレーニングを怠らないように』

「…自主トレ、かー」

伸びをしてベッドに倒れ込めば眠気が襲ってくる。いつの間に薄らと滲んでいた汗を拭い、瞼を下ろした。
あ…二度寝しそう。クロエは閉じた瞼を薄く開いた。
ノック音が聞こえてきたような気がしたのだが気のせいだろうか。
気のせいに違いない、すぐにそう自己完結し再び目を閉じる。
ガチャリ、ドアが開く音にクロエは寝返りを打って壁側に顔を向けた。ザァーーーーーーと続く滝のような水音。
決して穏やかではないそんな水音に混じって自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
冷たい刺すような雨を連想させるこの雨音に沈んで眠ってしまいたい。

「クロエ」

今度こそ現実に引き戻された。すぐに目を開けて上体を起こせばベッドの傍にピアーズが立っているではないか。
叫びそうになる口許を結び、息を呑んで固まる。
なぜ…。なぜピアーズがここにいるのだろうか。いや疑問に思うのも可笑しい話だ。
彼は自分の教育係。いてもいなくても不思議ではない。

「ピアーズさん?」

慌ててベッドから降り、真っ直ぐ立って敬礼をする。

「いい、楽にしてくれ。俺は別に自主練サボって寝ようとしてたことを怒りに来たわけじゃないから」

「っ…サボってなんか…」

ムッとピアーズを睨むと彼は片目を瞑って悪戯っぽく笑った。

「冗談だよ、新人」

「私そこまで新人さんじゃないです」

「俺からしたらまだ新人なんだよ、ほら一緒に自主トレだ。自主トレ」

遠慮なくベッドの上に腰を下ろすピアーズに仕方なく「はい」と返事する。
突き放したり、そうかと思ったら部屋へやって来たり。読めない人だ。
寝そべるとピアーズが足をしっかりと押さえてくれる。たったそれだけのことなはずなのになぜかこの構図は恥ずかしい。
ベッドの上で腹筋というのがそもそも破廉恥なのだ。そういう考えに直結してしまう自分はとんでもない変態なのだろうか。
そう考えながら何食わぬ顔で腹部に力を入れ、上体を起こす。それを何度も繰り返した。
数など頭に入っていない。ピアーズも数えてなかった。ただじっとこちらを見据えるだけ。
落ち着かない気分になる。視線を泳がせ、何か話題をと考える。室内は秒針と雨の音だけ。

「メラさんとは何でもない」

「え…?」

聞こえてなかったわけじゃない。でも訳がわからなかった。
なぜこの時になってそれを言うのか。

「メラさんとは何でもないんだ。ただの良き戦友なんだ」

「……」

視線を逸らしクロエは黙々と上体を起こし続ける。
今、彼はどのような表情をしているのかわからない。クロエは黙って体を起こすことに集中した。

「ごめんな」

続けられた言葉に体を危うく止めかけた。
なぜ…。なぜ彼は謝ったのだろう――?訳がわからない。
クロエは強張りそうな顔を引き締め、キョトンと小首を傾げた。

「何のこと、ですか?」

イマイチわからないように眉を顰め、考え込むような素振りをしておく。
なぜ彼が謝ったのか実際によく意味が掴めない。

「いや、何でもない」

沈黙を埋めるようにクロエは口をすぐに開いた。

「次ピアーズさんですよ、ピアーズさんもやってください」

元気よくそう言い、彼の足を押さえるために掴み胸板を押せばピアーズは笑った。
意外にもすんなりとシーツに仰向けになり、やる姿勢に移ってくれた。
良かった、これで元通りだ。こっそりと息をつき、微笑を浮かべる。
キビキビと上体を起こす彼と目が合い、思わずニッコリと笑ってしまった。
ピアーズは目を細め、「何だよ」と笑い返してくれた。

(そっか、私すごく嬉しいんだな…)

込み上げてくるこの気持ちは間違いなく嬉しさだ。
その中に気恥かしさもややあって体温が少し上昇した気がした。




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