ひとつ巡ってもとの鞘
教科書と同じ文句を繰り返す教師の声が、中天に差し掛かった日の洩れる教室へ朗々と響く。
ここは特進クラスだからか、こんな天気のよい日は外に出ようとか騒ぐ人間なんか一人もいやしない。もっともらしい顔をして、教師のように叫ぶかわりに手を動かし、わかりきった文字の羅列をそっくり手元に写している。
世界が一つ巡ってからこっち、ぼくの周りはそんなふうだ。
つまらなくて死にそうだ。けれど前のように反抗したらどうなるかは、知っていたからずっと息を潜めている。
気が長くなったんじゃあない。以前のように怒るきっかけも、その気さえ、ぼくはなくしてしまったままだった。
朗々と続く教師の声。外は晴れていて、もうすぐ来る季節の匂いの混じった風がカーテンを揺らす。
それは微風だったからかもしれない。向かい風ながら、突如現れた白い紙飛行機がまっすぐ空を二分し、飛んでいったのだ。
「………!」
「――…、おい、おまえ座れ。授業中…」
「そんなことはぼくと関わりありません。点数がお望みでしたらいつでも差し上げますよ」
一番後ろの窓際から、わざわざ前を通って教室を出た。
そのときも、紙飛行機は飛んでいた。すうっと空を二分しては消え、また空から降ってくる。
屋上だ。どこも同じような廊下の空気をぼくも断ち切るように駆け抜ける。
世界は階を登りつめるごとに遠くなり、わずかな残滓さえ振り払いなくなった頃、ぼくは屋上の鉄錆でできたドアの前にいた。
嵌ったガラスには、黒色の線の細い後ろ姿が映っていた。
伸ばしっぱなしのその黒髪が、やや強い屋上の風に嬲られ、揺れている。
ああ、どれほど待ったろう、焦がれたろう。きみの存在が今ぼくの世界を作っていく。
「ナランチャ!」
あんまりの天気で、きみの笑顔に目を細めたよ。
「よォ、フーゴ。」
飛ばそうとした紙飛行機を抱えなおし、ナランチャは大きく手を振った。だからいくら眩しくたって、ぼくはまっすぐきみのもとへ行けたんだ。
久しぶりに会ったナランチャは、一度も見たことがない学生服姿だった。
今の時期、ぼくはセーターとスラックスだけど、ナランチャのほうはジョルノのそれに似た詰め襟で、下に薄いカットソーを着ている。足元には失敬してきたらしいコピー紙の山があった。
風邪をひくといけないから、薄着はするなって何度も言っていたのに。きみはこっちの世界でも聞きやしないんだな。
「なァ、見て、これが今のオレのエアロ。スミスはいないんだけどォ、ま、心の目で見てよ。」
「…すぐわかったよ。きみだって」
「へへ。さすがァ、」
「きみは… いや、なんでもない。」
「ん、そぉ?おまえこっちでもへんだな。…っと、」
「………っ、散々探したんだ…!」
「……うん。ごめん。」
「なのに、きみは…!」
さあ、この思いを表現できる言葉をぼくは知らない。
ぼくの世界にはまるきりきみがたりなかった。ぼくの世界に色をつけていたのはきみだった。
あの日さよならさえ言わずに別れたけれど、ぼくにはぼくの、きみにはきみの信念があったことの結果だからそれを悔やんではいないけれど、一言いうとすれば、ぼくは寂しかったんだ。
それが永遠だと知れば尚更。ぼくは堪らなくてきみを抱きしめ、きみは、こういう時ばかり大人で黙って背中をさすってくれた。
「今な、オレ学校行ってんだ。フーゴも学校行ってるって知って、会いに来た。」
「遅いよ、」
「ごめんって。だからさ、フーゴ、頼むよ。」
体を離す。年上のくせに背の低いナランチャと目を合わせるために俯くと、ぼくの首の後ろで手を組んで、ナランチャは額をくっつけてきた。
「また勉強、教えて。」
に、と笑うナランチャにつられて、ぼくも笑った。
そのためにぼくを探したのかと言うとそんなことないと口をとがらせたけれど、きみの言うことはわからないな。
「なァ、また友達になってくれる?」
「仕方なくね。」
「おれがいなくて寂しかった?」
「そりゃあもう。きみ一人で五人分もにぎやかなんだもの」
「じゃあ、今度からまたよろしくな。今日はフケちまっていいの?」
「構わない。」
「じゃあ帰りにクレープ買って帰ろうぜ。きっとみんな集まってる」
「みんな?」
「おまえの知ってるみんなさ。行くだろう?」
きみが手を差し伸べる。何もかも逆だね、前はぼくが一番はじめにきみと出会ったのに。
仕方ないなと言って手を取り、つなぐ。
もう離れないように。
今度こそずっときみのそばにいると誓うから、きみも自分から手を離すようなことをしないでくれよ。
一機残った白い紙飛行機を放って駆け出した。ぼくはきみがいるなら、とくになにもいらないさ。
―― I love, my dear
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