マヨヒガ花文庫 | ナノ



春へ向かいて咲く花の

【マヨヒガ花文庫】



 朝食後。腹ごなしに庭へ出た阿部の近くで、にわとりが鳴いた。
 声のした方を見ると、やたらととさかが立派な茶色のにわとりが一羽、こちらを窺いながら「こおお」とか低く唸っている。

 これは鳴いたのじゃない。鳴かれたのだ。
 別にいじめようとしたとかではない。というか鳴かれるまでその存在に気付きすらしなかったのだが、このにわとりは阿部が庭へ来た事自体が不満なようで、今もこちらを警戒して同じところをうろついている。

 なんだこのにわとり。朝から不快な気分にさせてくれたこんなやつの方なんか、普段であれば行かなかった。
 けれど、その奥に見つけた小さな影のため、阿部はそこで立ち止まる。

 其処此処へ植わる庭木の陰に、しゃがんだその体より膨れて見える焦げた金の色の尻尾。
 珍しくぴんと張って動かないそれと三角耳は、何かに集中している証拠だ。
 近付く阿部にも気付かない。円い瞳は小袖から出た二枚の手のひらが包むものを見据えており、見ればそこには薄青い花があった。

 阿部には花の名などわからない。ただそれが薄青い色で、小指の爪くらいの小さな花弁で、それを支える小さな茎がうなだれている事くらいしかわからなかった。
 花自体本当に小さいのに、それを包もうとする手はこの一輪で精一杯だ。
 それで何をしようというのか。後ろから覗き込まれても気付かないほどの集中力は、小さな手のひら花びらにすべて注がれた。

 花は、何が足りないのか咲かせた頭を力なく垂れていた。それを両手が包んでしばらく。す、と首が持ち上がる。
 早回しの映像のようにうなだれた茎が見る見るうちにしゃんとして、呼吸を三回する間、五枚花弁のその花は両手の主のほうへ真っ直ぐ顔を向けた。


「……ふう。」

「上手いもんだな。」


 薄青の花が凛と立つのを見届けて、崩れた両手のひらの花と少し大きめの呼吸の後に阿部が呟くと、彼は初めてこちらを認知したらしい。
 よくわからない奇声をあげるとしばらくしゃがんでいた足がその拍子にバランスを崩し、せっかく治した花のほうへ倒れようとしたので間一髪でそれを止める。

 動物の変化のくせして、なんでこんなにとろいんだ。手を離すとまたへんな方へ倒れそうなので引っ張り上げて立たせると、彼はおっかなびっくりこちらを向いた。


「うあぁぁああああべく。な、なん。」

「…何でもねーよ。」


 彼は阿部を見るなり三角耳をぺったんこにして後ずさる。
 ぺったんこにするのはあれだ、犬とか猫とかが怯えたときにやるやつ。確かにまだ一日二日の付き合いでしかないのだから怯えられても仕方がないが、たった一度追いかけ回したくらいでこんなに身構えなくてもいいと思う。
 だのに阿部を見る目は真っ直ぐで、阿部もそれから逃げる事はしなかった。

 三角耳も尻尾も髪も金であれば、その瞳の色も同じだ。ただすこうし焦がしたようの毛と違い、瞳は金を融かした上澄みのような薄い色。
 そんな色をひとは持たない。ひとの似姿はしているものの、その上へ三角耳や尻尾やへんな力を持つそれは、ふつう化け物と呼ばれるものだ。

 けれどこの化け物ときたら、その似姿をとるひとの子よりも臆病で、阿部がいるとうまく話すどころか動きもおかしい。
 更には逃げたりするので、彼が家主のこの家に居着いて二日、会話らしいものをしていなかった。


「何でも、ない、…?」

「イヤ、まあ、おまえがしゃがんでたから何かと思って…。」

「……?」

「花。治してやったんだろ。」

「……………はな。」


 はな。花、と何拍か置いてからやっと気づいたらしく、彼はまた足元のそれに向き直った。


「花、げんき、なかったから。」

「そういうのも出来んだと思って見てたんだよ。オレは苦手だから、上手いもんだと思ってさ。」

「…、うまい?」


 そう言って跳ねた髪を揺らし振り向いた顔は、怯えて逃げるいつものそれとは色が違っていた。
 今まで誰にも姿が見えなかったという彼に見えるよと言った時と似て、すこうし頬の赤い顔は嬉しい時のものだ。

 彼のたどたどしい話し方は、今まで誰かと話した事がなかったからだ。それなら褒められた事などあるわけがない。
 久方ぶりにまともな会話が出来た上、喜ばせる事が出来るなら、これ以上の事はない。
 彼が待つ次の言葉は肯定のそれにしてやろうと口を開くと、阿部の後頭部に何かの衝撃が襲った。


「いっ……、てぇな!」

「ひっ。」

「てめぇかこンの、にわとり!」 それほど痛くはないが衝撃があった。阿部の頭を蹴りつけてうまい事跳んだ茶色い影は、あの立派なとさかのにわとりだった。
 彼と阿部の間に着地したそれは得意気に鳴き、それが更に阿部を苛立たせる。
 それで声を荒げたのがまずかった。すっかり自分が怒鳴られた気になった三角耳はぺったんこで、阿部と目が合うと、にわとりと一緒に全速力で走っていってしまった。

 あの速さには一度挑戦したが、もうやる気はしない。
 どんどん小さくなる影二つのように、近づいたと思ったらあっという間に広がる距離は、まだしばらくそのままだったりする。


―― i tell them to coming Spring.

一年365題より
3/13「見事なり」

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