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夢の中へ

【高校生と高校生】



 ああよっこらしょ、とあまりにも年寄りくさい声を掛けて浜田がこたつに入るのを、泉はうつらうつらとしながら聞いていた。
 部活上がり、風呂も食事も済ませてあとはもう寝るだけだ。今日は泊まりだからかこのまま寝てしまうのはなんとなくもったいなくて、泉はこたつに入り、風呂に行った浜田を待ちながらその天板の上で舟を漕いでいた。

 鼻が天板すれすれだった顔を上げると、タオルを頭に被った浜田が何やら帳面を開いていた。
 まさか勉強するのじゃあるまい。覗き込むと、そこには数字の羅列があったが数学のノートではなかった。家計簿だ。


「泉、疲れてんだから寝ちゃいな。オレもすぐ行くから」

「おまえ何すんの。」

「家計簿つけんの。冬は出費が多くてやんなっちゃうねえ。きちんとつけとかないと、あっという間に食えなくなっちまう。」


 浜田はそうため息をつき、長財布を開く。こまめに家計簿をつけているらしく、財布の中から出てきたレシートの枚数は泉のそれよりずっと少ない。
 冬は出費が多くなるのだろうか。泉が買うものといえばまず部活上がりの間食だ。アイスが肉まんになったところで値段はそう変わらないし、泉の懐は季節の影響を受けない。

 何が変わるの、と問えば、んん、と浜田は鼻にかかった声を出す。
 真剣な表情で手元を参照して、端末の電卓を打ちながらペンを走らす浜田なんて、あんまりレアだ。
 いい男だなあ、と長年片想いをしてきた相手に見とれながら答えを待つ。


「野菜の値段も上がるしねえ、あと灯油代だろ、電気代も多くなるし、それに服もかかるよ」


 夏より布が厚いからねえ、なんて当然の事を浜田は言う。それを受けて、ああ、そうかと泉は思った。

 去年の服が、浜田には着られないのだ。体が大きくなったから。
 泉だって去年までの服を着ると、中には少し袖が足らないなというものがある。自分はほんの数センチしか伸びていないが、浜田は少し迫ったと思ったらそれ以上に引き離してしまったのだろう。そう言えば最近新しそうな服が多かったのを思い出す。
 自分で学費から生活費から稼いでいる浜田にしてみたら、衣類なんてそれ一枚でラーメンが何杯も、いや自炊なら何日ぶんの食費になるお金など節約したくて仕様のないものだろう。
 けれど部屋着はまだなんとかなっても、袖口や肩がきつくなると、やはり格好がつかない。
 いくら苦学生だって外で着る服くらいはちゃんとしたいものだ。そうでなくたって新しい服はいつだって欲しい。泉だってそうだ。

 壁には、中学の頃に着ていたものとは違うコートがかかっている。
 去年の事など知らない。いつ変えたのかはわからないが、そうやっていろんな部分から、泉が知っている中学の頃の浜田とは少しずつ変わってしまっているのだろう。

 だからだろうか。少しでも変わらないものを見つけると、安心するのは。
 こたつの中で十分に温められた手を、隣で家計簿に乗っかっている浜田の手に伸ばす。
 正確にはその袖口だ。くたびれた感じがあるから少なくとも去年からのスウェットは、袖の丈がやはり少し足らなくて、襟ぐりなんかがだるくなっている。

 ここにいる時だけの、気が緩んだ浜田の姿。たかがだるだるの部屋着のくせに、なんだか安心と優越感を覚えてしまう。
 泉の指先は少しだけ袖口を撫でて、すぐに浜田の左手に触れた。ぱっと見ただけで、大きさも太さも角張った感じも違う手だ。
 風呂上がりのそれは湿り気を帯びた熱を持つ。それを感じていたら、浜田が笑った。


「つんつるてんだって、やっぱカッコがつかない?」


 そう言った声は優しいけれど、笑った顔は恥ずかしさから来るそれだ。
 問われた泉は首を横に振る。そうしてそのまま浜田のほうへ倒れ込んだ。こたつの足でくの字にまげた体は浜田のほうへ向ける。
 鼻先をくっつけたその部屋着からは、泉も先程もらった湯槽と同じ匂いと、浜田の部屋の匂いがした。


「こういうカッコは、オレの前でだけ、な。」

「ん? ……泉、眠たいの? こたつで寝ちゃダメだよ……」 


 帳面のページを押さえていた手が泉の髪を撫でる。もう終わる頃だったのか浜田はペンを置くと身じろぎして、泉のほうを向くと右手で泉の髪を梳いた。
 器用な指は顔に掛かった髪を掬い、耳に掛ける。明るくなった視界で浜田は泉を見て笑っていて、ああ、キスしたい顔だと泉は思った。この距離では屈んでも届かない。

 だから泉は体を起こした。両手をついて起きると、頬に浜田の手が触れて、次に唇へ同じものが降りてくる。
 今日はもう遅いから、触れるだけのそれ。音たてて離すと泉の大きな目は真っ直ぐに浜田を見ていた。

 あまり素直でない泉の両目や指先は、その唇よりもずっとずっと饒舌だ。
 冬の空みたいな色の目はいつだって浜田を見ているし、浜田に比べれば細い指先はやはりいつだって触れていたいとこちらに向く。
 けれど、素直でない唇が紡ぐ時たまの本当の言葉は、それらよりずっと確かなのだ。

 右の瞼と、左の瞼。そうして額に唇落として、再び開いた泉の目にもう寝ようねと言葉を落とす。
 了解のしるしの伏し目はもっと欲しいと不満そうではあるけれど、ベッドに入ったら彼の欲しいものはなんだって手の届く距離だ。

 暖かい床で下ろした瞼の向かう先は、泉が欲しがる浜田がいる。指先はその背中、鼻や唇は胸に押し付けてくれたって構わないし、そうして眠る泉の背中や髪には丈の足りない袖口から出た浜田の手。

 だから今日はもう寝ようね。
 素直じゃないその唇が黙っていたって、そこには君の欲しいものがなんだってあるから。
 だからおやすみ、また明日。


―― i know what you want is there.


テーマが「着古した服」からイチャイチャを経て「夢の中へ」にブレた一貫性のない悪い例。反省しましょう。
そこなら丈の足りない袖でも気にならないくらい暖かいからとかいうフレーズを入れればまだ一貫はした気がしますが、イチャイチャパートで長らくそれに触れなかったのにそのフレーズを入れたら無理矢理過ぎるかと思い… 反省しましょう。

ちなみに最後の「床」は「ゆか」でなく「とこ」です。いちおうね!

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