○ 発芽の温度
今夜は結構な雨なので、過ごしやすい気温だった。これが晴れだとエアコンの無いこの部屋は、庭に面した戸を開け放つしかない。寧ろそのほうがエアコンをつけるより涼しかったりするのだが、四方を畑で囲まれている為開けるとものすごい数のヤブ蚊の猛攻に曝された。
だからこんな日は部屋の戸を締め切っていても、それほど暑くはない。それどころか、いつものタオルケット一枚では少し肌寒いくらいだった。
暑さにも蚊にも悩まされる事なく今夜は眠れる。そう思ったのに
今夜自分の布団には、自分以外の余計な熱の塊がもぐり込んでいた。
「にひひー」
「……何がそんなに嬉しいんだよ、テメーは。黙って寝ろ」
「だって今日は、にいちゃんといっしょなんだもん。うれしいっしょ!」
「……ああそう。そりゃ良かったな」
「おう!」
「……」
一組の布団に、大人一人、子供一人。
体温の高い小学生が同じ部屋にいるだけで、室温が一度くらいは上がっている気がする。特にこいつは夜だって熱の塊みたいなもんだから、一・五度は高い、筈だと今日もバイトで疲れていい加減寝たい花井は思った。
本当に今日は雨が降ってくれて良かった。
夏休み花井が住み込みでバイトしている先の農家の子たじまは、何かにつけてやたらと花井に絡んできた。
昼間畑で作業している間でも「なにしてんの」とやって来るし、飯の時は何故かいつも隣に座る。休憩時間は花井が本を読んでいるといつの間にかそばに来て、何よんでるのかとか訊いてくるし、最近は算数の宿題を教えてくれと訊きにくる。
話しかけてくるだけならまだ良かった。たじまは、他人とのスキンシップをやたらと取りたがるタイプだった。
花井がスキンシップにあまり慣れていない上、たじまは小学生というその年を考えてもやや体温が高めなので、布の上からならともかく首に抱きついて来られると花井には熱の塊が巻きついたくらいに感じられる。
くっついてくる度やめろと引き剥がすのだが、たじまはいつもにこにこして、再び体をくっつけてくるのだった。
今も隣でにこにこしているたじまに心の中で勘弁してくれと訴えていると、たじまの熱い手が花井の袖口を握った。
何だ、と言うと、ぎゅってしてよとたじまが言った。
「はあ?」
「ちょっとさみい。だから、ぎゅってして」
たじまが袖口を握ったまま、小さくうずくまる。
花井にとってはまだ涼しいくらいだと思っていたが、たじまが掛けたタオルケットにくるまってそれでも寒いと言うので、もう一枚要るかと訊くが相手は「ぎゅってして」と繰り返す。
何が違うのか。タオルケットと自分。
ああ、熱があるかないかか。それなら確かにたじまの言うとおりだと腕を回し、胸に抱いてやった。
温かい腕と、その中の熱の塊のせいでそこはすぐに温かくなる。花井の妹たちもそうだが、なんだって小学生はこんなに体温が高いのか。それでもたじまの体温は、妹と比べても少し高い気がする。
体温というより、彼のそれは微熱のような。
しばらくすると、温まったらしいたじまがふふふと笑った。
「……もう寒くないなら、離れろよ」
「やだよ。まだ寒い」
「嘘つけっ」
「うそじゃねーよう」
腕の中でけたけた笑いながら、花井の背中に手を回そうとたじまの手が動く。
けれど長さの関係で短い腕では花井の広い背には届かず、脇の少し後ろでTシャツをぎゅっと握った。
熱い、と花井が思ったところで、その胸に顔を押しつけたたじまが、こんな事を言った。
「なあ、にーちゃん体温は三七度?」
「はあ?」
「三七度って、ひとがいちばん気持ちいいって思う温度なんだって。そいで、ショクブツが芽ぇ出す土の温度。じいちゃんがいってた」
たじまの小さな額が胸に触れている。
三七度。少し体温の高い、微熱。
「したらさ、ひともショクブツも、気持ちいいって思う体温はいっしょなんだ。ショクブツはその中で、ぐんぐんでっかくなるんだぜ」
腕の中で呟くたじまの声は、くぐもっていて聞き取りづらい。
もしかしたらもう眠いのかもしれない。布団のそばに置いた携帯を見れば時間はわかったが、なんだか腕を離してはいけない気がして、細いたじまの背を抱いたまま花井もぼんやりしていた。
多分二人とも眠いのだ。他人の温度が気持ちいいと言うならきっとそうだ。
一人が持っていた熱は触れた場所から融け出して、今は二人同じ熱。
花井はうつらうつらしながらたじまの話を聴く。
「でもさあ、たぶんもういっこ理由があると思うんだ、おれ」
「何だよ……」
「すきなひとの熱だから、きっと気持ちいいって」
「……」
「おれ、にいちゃんがすきだよ。」
すき。
たじまの声で「すき」と聞こえた。
「にいちゃんはおれのこと、すき?」
すき。
たじまの声で「すき」と訊かれた。
三七度は発芽する土の体温。人と植物はそれを気持ちいいと思う。
すきだから気持ちいいと思う。
なら、今は。
「……」
「にいちゃん?」
「……ぐう。」
「……にいちゃん? あーっ、ねやがった!」
ばか、はげ、ぼうずとたじまが叫ぶ。
ただし起こさないようになので小声だったが、今夜のたじまの怒りは半端でなかった。
花井が高めの自分の体温を苦手としている事を、たじまはちゃんと知っていた。だから布団に忍び込むのも今夜のように少し寒い日を狙ってきたのに、まさか先に寝られるとは思っていなかった。
最後の最後でしくじった。途中までは狙いどおり、うまくいっていたというのに。
もしかして「ぎゅってして」の時にはもう花井は眠かったのだろうか。それならやけに大人しく言うことを聞いてくれた事にも納得できる。
(この、ばかはない!)
「すう。」
「……、あーっ、もう!」
怒り心頭のたじまがふと顔を上げると、花井の真っ黒な太い睫。
長さは普通だが全体的に本数が多く、濃く太い花井の睫は、目をはっきり見せる効果があった。
自分はちゃんと見ているのに。花井は自分のことを見てくれない。
それが悔しくて悲しくて、気づいて欲しくて一所懸命なのに、花井は。
「ぐう。」
(……まあ、いいや。)
しばらく花井の寝顔を見ていたたじまも、そろそろ寝る事にした。
起きていても気づかないのに、まして寝ている相手に怒っても意味がない。収穫ならきちんとあったし、花井が解かなかったので、一応念願だった腕の中で朝まで眠れるんだから良しとする。
花井は身長のわりに細いが、胸も背中も広い。大人っぽいし、算数は出来るし、大人しくしてれば優しいし、大好きだ。出会って1ヶ月もないのに自分でも驚くくらい好きになった。
だからどうしても伝えたい。わかって欲しい。そうして何より好きになって欲しいから。
「おやすみ、にいちゃん」
「……」
「おれのこと、絶対すきにならせてやるから。」
ああそういえばひとつ言い忘れた。
「おれの体温、いつもこんなに高いわけじゃないよ」って事。
― What Is AnConditonal Love!
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