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C氏の反逆

 


あれをして

これをして

シンデレラ!




―― C氏の反逆




 家の掃除、庭の手入れ、ごみ捨て、洗濯、買い出し、片付け。

 言いつけられた仕事をこなすとからだはつかれてくたくたで、少年はかまどのそばへへたり込む。うす汚れた着物はかまどの灰でもっと汚れたが、気にしてはいけない。なぜならここだけが、ここが最後の、かれの居てよい場所だからだ。

 少年には家と家族があったが、それはもはや少年のものではない。あたらしく来たおかあさんと子どもたちは、ことあるごとにかれをひどくあつかって、自分たちではなにもしない。はてはあんたそこにならいてもいいよとかまどを指して、その日から少年のこころの安まる場所は灰にまみれたここだけになってしまったのだ。

 だらんと下げた手の先には、時折黒いものの混じった灰がつく。へたり込んでいるのだからそれは衣服に及び、くつに及び、もうからだじゅう灰まみれだ。

 だからいじわるな子どもたちは少年を灰かぶりと呼ぶ。べつにそのとおりだし、少年はもはやはいはいと返事をする。
 そのうち少年のほんとうの名を呼ぶものはいなくなり、名乗る機会もないので少年は自分の名を忘れてしまった。みんな誰もかれもが灰かぶりと呼ぶから、自分も灰かぶりだと思い込んでしまったのだ。

 それは悲しいことなのか、悔しいことなのか、すっかりくたびれた少年にはわからなかった。
 考えることをやめた少年は、ただ指を見た。がりがりにやせても仕事のために、わずかな筋肉の残った指を見て、かまどにくべる木切れみたいだと思った。


「お疲れさま」

「…………。」

「ヒマしてるんならいいとこあるんだ。行きたかったら、連れてってやるよ。」


 ぼんやりしていた少年に声が降る。
 廚には窓があり、そう言った人物はいつの間にか縁に座っていたのだが、少年はまさか自分へ向けて話しているとはわからなかった。
 ふだん少年にかけられる言葉といえばあれをしてだのこれをしてだのいう命令と、あとは小言しかない。だから聞き流してしまったのだが、次にかれが言った言葉は逃さなかった。


「そんな顔してないで、お城へ行きなよ。」


 おしろ。お城とかれは言った。言葉につられて顔を上げると、優しそうな青年が笑顔をくれた。

 今日はお城でパーティーがあるのだと言って、おかあさんたちはとびきりめかして出かけて行った。少年はいつもどおり仕事を言いつけられてしまったが、もとよりお城へ着ていくようなきれいな着物もなにもないのだ。だまって残ったけれど、本当を言えば、すこうし行ってみたかった。
 べつになにがしたいわけじゃなくて、ごちそうがたくさん出るんだというから、行ってみたいというだけ。何日も前からのひとかけのパンじゃなくて、ただの水じゃなくて、たったそれだけの食事じゃなくて、なんでも好きに食べていいのだ。
 あったかいスープがあって、いっぱい入ったサラダがあって、おかずがあるのだ。皿に乗せていい食事なんて本当に久しくなかったから、そんなごちそうが出るなら、少し食べてみたいと思った。

 久しく「思うこと」をやめていた少年が、そのときほんのちょっとだけ、久しぶりに思ったのだ。
 そうしたら少年の大きな目からぽろぽろぽろぽろ涙がこぼれて、青年は慌てて顔を覗き込んでそばにしゃがんだ。おろおろしてどうしたのと問うてくる。


「…いけるわけないだろ。」

「そんなことないさ。ほら立って、見ててみな。」


 こぼれる涙を拭いもせずに少年は低く言う。だから着ていくものがない。からだは灰まみれで、がりがりで、あんまりみすぼらしいのは自分が一番わかっている。
 けれど目の前の青年はおおきな口を引いて笑った。見ててごらんと今度はその口を尖らすと、じょうずな口笛を吹いてみせた。
 ほんの二小節くらいの短い音楽が廚のつめたい壁を伝い、空気が変わる。空気が意志を持つように風が起きて少年の周りをくるくる回るのを、少年は肌で感じて目で見たのだ。
 きらきらした何かがからだに纏い、気がつくと灰まみれのいつもの着物が見たこともない黒いきれいなきれいなドレスに変わっていた。


「…う、わ…!?」

「きれいだろ。髪と同じ黒い色でそろえてさ、よく似合ってるよ、もともとおまえ、きれいなんだもの。」


 いきなり現れた、光を受けて蒼くかがやく黒いドレス。それだけでなく手にはレースをあしらった手袋と、ぼろぼろのくつはすこうし高いヒールに変わっていた。
 これは、まほう、というやつ。またそれと同じくらい、青年の言葉に驚いた。

 かれは自分のことをきれいだと言った。そんなことってあるだろうか。灰だらけで鶏がらみたいで、こんなにみっともない自分が。こんなにきれいなドレスとおんなじ色をしているなんて、自分だって気づかなかったのに。
 無意識に髪へ手をやると、飾りがついていた。感触から生花だろうか。そういえば顔にもからだにも灰はすこしもついておらず、すっかりきれいにされたらしい。


「パーティーは始まってるけど、主役は遅れて行くもんだし。あとは車と馬と、御者だな」


 また口笛が鳴り、次の瞬間には窓の外に立派な馬車が待っていた。おいで、と延べられた手に自分の手を重ねざま、少年はじっとかれの顔を見た。


「ん、」

「かっこいいからってそんなに見つめられると、穴あいちゃうなー、なんて。」

「あんた、うちに出入りしてる牛乳屋じゃねえか。今日はへんなズルズル着てるけど」

「本業はまほうつかいなんだよ。儲かんないから、牛乳屋してんの。」


 今度は口笛を吹くためでなく口を尖らせ、かれは馬車まで少年を抱えて跳ぶ。

 気づかないのも無理はなかった。今夜はまほうつかいのものらしい衣装のせいでだいぶ印象が違っていたし、そもそもとくに親しいわけでもなかったのだ。
 牛乳を受け取って金を払って、言葉もろくに交わした覚えはない。そのかれがどうしてこんな世話をやくのだろう。
 馬車に乗り込むとかれもついてきたので、そのわけを問うてみた。自分に金がないことは、かれも知っているだろうに。


「おれにこんなことしても払えるもんなんかねーぞ。」

「言ったろ、儲かんないって。まほうの対価って金じゃねーからさ。ほぼ慈善事業なのよ」

「金じゃねえってなんだよ。」

「ん?そうだな、おまえの場合は…今までがんばったごほうびってとこかなあ。」

「はあ?」

「あーもーこれから手に入るしあわせにいちゃもんつけんなよ。じゃあおまえにかかってるまほうについて注意説明するからよく聞いてな。」


 揺れなど知らないまほうの馬車は疾く疾くはしる。気がつけばお城はもう見えるほど近く、かれは注意というものの、あまり真面目な顔はしなかった。


「今夜のパーティーは王子様の嫁探しだ。うまくすれば一生左うちわの生活だから、食ってばっかいないように。」

「は?なに…」
「そんでおまえにかけたまほうな、今日中しか保たない。零時過ぎるともとの服になるから、それまでに脱いで王子のベッドにもぐり込め。以上。」


 これ以上は話さないし聞かない、というふうに、かれは少年のくちびるに人差し指を当てて言葉をふさぐ。
 お城はもう目の前だ。ちらと距離を確認したあと、目を白黒させる少年にまほうつかいは最後に言った。


「大丈夫、今夜のおまえはとびっきりきれいなんだから、王子なんて簡単に落ちちゃうよ。ただホント、時間だけは気をつけろな。」


 ニッと笑い、それだけ少年にくれてかれは馬車から消えてしまった。ほどなく車は城につき、あれよあれよと言う間にホールまでたどり着く。
 広くてぴかぴかのお城の中。そこには負けないくらい着飾ったひと、ひと、ひとで満ちており、少年はそこへひとり投げ込まれてしまった。



―――――――――――――――



 時計の針が真上で交わるわずか前、宴もたけなわの城内から細い影が駆け出した。
 身にまとうものが闇色なので新月であれば誰にも気付かれなかったろうが、今宵は満月。肥えた白い月は煌々と輝き、青い真昼のようなエントランスを抜けて車に乗る。

 抜け出した影はひとつだったのに、馬車の中にはふたり居た。少年とまほうつかいだ。
 少年が満足げなふうとは違い、まほうつかいはわけがわからないといった顔で少年を見た。まほうはまだ効いているのに、どうしたのだろう。


「出てくるとこ見たから、あわてて追っかけてきたけど…」

「なんだおまえもお城にいたのか。」

「いたよ。せっかくだからきれいな女の子とお近づきに…っておれのことはいいの。おまえ、王子に声かけられてたろ。」

「ああ、口説かれたな。でも断った。」

「はあ?!」


 どうだ、と言わんばかりに少年がわらう。まほうつかいはわけがわからない。


「しあわせになりたくないのか。」


 そのとき。
 かあんかあんと鐘が鳴り始めた。ゆっくりの間をもうけて、でも余韻の消えないうちに次のが鳴る。
 それが十二ぜんぶ鳴り終わると、少年のしていた手袋の先がぼろぼろぼろと崩れ始めた。
 崩れたものはちりぢりになり、床におちるがそこには何も残らない。髪を飾る生花も、真っ赤なまま花びらを散らして頬を撫でた。


「おれ思ったんだけど。」

「なに。」 

 馬車も消えるころには家についていた。だれも帰ってはいないようで、灯りはない。ただ月だけ明るかったので、ふたりの降りた庭は真っ青に光ってとてもきれいだった。
 少年は行きとおなじく自分を抱えて跳んだまほうつかいの腕から今度は離れようとせず、纏う衣服に指をかけてまほうつかいを留めおく。そうしてつむぐ言の葉は、絡む指よりたしかにかれをとらえてしまった。


「着飾ったおれを見てきれいとかなんとかほざくやつよりさ。みっともないおれを見ても、肯定してくれるやつのほうがいいって思ったんだ。」


 身なりを整えたかれがきらびやかな城内をゆくと、すれ違ったみながみな引っ張られたように目で追った。
 果てはこの夜の主人である王子さままでもがかれの手を取ったが、しかし思ったのだ。

 彼らは取ったこの手が、美しい手袋の下の手が冷たい水や終わりない仕事のためにあかぎれてぼろぼろだとは知らないのだ。
 むしろ肌がそんなふうになるだなんてことすらも知らないのだろう。そんなものがこの世のほとんどだとしても。

 だのに、灰まみれのうす汚れたおれを見ても、今までがんばったねきれいだよと言ってくれたひとがいた。
 その言葉と手のひらが、かれにはどれだけ嬉しかったのか。きっとだれにもわからない。


「おれと一緒んなってくれ。」

「…参ったなあ。」

「ヤなのかよ。」

「いいや。そんなふうに口説かれちゃ落ちるしかないな。でもおれ本当に貧乏だよ?」

「何、その位、おれにとっちゃ今更だろ。」

「そういや、そうか。」


 真っ青にもえる世界でふたりきり。
 じゃあこのまま、どこかへさらってしまおうかなとうそぶくかれに、そいつはすてきだと灰にまみれていた少年は冗談めかして言ってみた。


「ええと、じゃあ今度からなんて呼ぼうか。今までのはあざ名なんだろ?」

「ああ。みんな忘れっちまったおれの名前、あんたにだけ教えてやるよ。」


 さて今や灰かぶりではなくなった、少年の本当の名はたったひとりにだけ囁かれる。
 だれもかれもが忘れてしまったその名を呼ぶのは心に決めたひとりだけ。長らく忘れられていたそれを、今からかれは愛を滲ませて紡ぐのだ。


 灰かぶりだった少年は、その黒髪に今や月のかけらをかぶる。
 ふたりはふわりと宙に浮かぶと、くすっと笑って夜の向こうへ行ったとさ。



――― Please take me to the shiny moon.

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