Category:阿部と三橋
2015 9th Mar.
(マ) 二人の食卓
【マヨヒガ花文庫】
今日の夕飯は鰤の照り焼きだ。
名に付く「照り」の文字通り、鰤の切り身の表面が、みりんだの酒だので甘く香りのついたたれでてらてらと光っている。
その甘じょっぱくつけた味と白米を食うと、この国に生まれて良かったなあと思う。
米は主食だし無くてはならないが、大豆もその汎用性は無限大だ。味噌に醤油に豆腐に納豆、和食の卓にはあちらこちらに大豆を使ったものがある。
今阿部の目の前に展開している食卓で言えば、キノコの和え物をぶっかけた湯豆腐だ。
ヒトは一食で何種の食材を摂るべきであるとか、そんなのはずぶの素人の阿部にはわからない。味に飽きが来ないよう適当にしているだけだ。
あとはきんぴらごぼうといんげんの胡麻和え、漬け物なんかのこまごましたものと、肉が食いたかったから肉じゃがにした。魚がメインなのに肉もある事は気にしない。
表情を変えずにこれらを食しながら、阿部は心の中で自画自賛していた。
何を隠そうこれらは全て阿部の手製である。
一汁三菜をちゃんと作り、それも見た目と味の両方の良い料理を作るのが、最近の阿部の楽しみになっていた。
とは言え、阿部が自炊を始めたのは最近の事だ。
食う事は好きだが、母親が専業主婦で実家暮らしという自炊からはほど遠い環境にあり、且つ「男子厨房に入らず」という家風であった事が理由であるが、阿部は最近訳あって親元を離れた。
そうして来たのが妖しの空間であるこの屋敷である。
花は季節を問わず咲きまくり、大昔の金持ち屋敷といったここは異様に広く動物も多くおり、鶏は阿部の頭を蹴りに来る。へんな屋敷なのである。
へんといえば、この屋敷は食事が勝手に出て来る。喉が乾いたと厨に行けば、飲み頃のお茶が入れてあるし、腹が空けば三食どころかおやつだって出てくる。ふと気づけば風呂も寝床も全て用意がしてあるのだ。
だから、阿部が自炊をする必要は本来、無い。
それでも三食飯を作るのは。
「三橋。」
「う」
「好きなもんばっか食うな。豆腐食え。」
「た、たべて……」
「ねェよ。豆腐食え。」
良い色のいんげんを三本摘まみながら、阿部が卓の向かいをじろりと見遣る。
そこには、柔らかそうな髪と、そこから同じ金色めいた三角耳を生やした子どもが座っていた。
阿部に注意された事で、平生はつんと上向いている筈の耳をぺったんこにし、箸を動かすのもやめて目をきょろきょろさせている。
まあ彼は大抵こういう態度である。ほら食え、と促して、挙動の怪しい彼が食事を思い出すのを見届けてから阿部はいんげんを口に入れた。
彼の名は三橋と言い、正体は狐の変化である。
先住者であり、この妖しの屋敷において唯一意思の疎通がはかれる存在の為、阿部は彼とそれなりにうまくやろうと思っているのだが、彼ときたら変化のくせに人間の子より臆病なのだ。
初めは阿部を見掛けるとそれだけで逃げていたが、最近は慣れてきたのか、一緒に過ごす時間が多くなった。
例を挙げるなら、食事時だ。これだけは時間も場所もあまり変わらない。
そして気付いたのだが、このちび変化はちまいくせによく食べる。何でも喜んでもりもりと食うのだが、観察していて阿部は気付いた。
この屋敷で出るものは法則がある。
つまり、三橋の好物しか出ないのだ。
観察を続け、食卓に出ないものを見つけ出した阿部は、初めて厨に立ち料理を作ってみた。
記念すべき初回のそれは、冷奴だった。火が要らない、手間と言えば水切りくらいの、最悪出汁を掛けて終わりのそれ。
阿部の考えが正しかったのか、料理の腕が悪かったのか、一丁を切ってすらいない絹豆腐に三橋は手をつけなかった。
好き嫌いは少ないようだが、味のしない、というか薄いものはあまり好きではないらしい。まるきり子どもである。
それはいかんだろう、と阿部が三橋の食生活と自分の腕前を改善する気になったというのが事の始まりだ。
当初は前述のような残念な腕前だった阿部であるが、現在は主菜から副菜、汁物まである程度は作る事が出来る。
これが割りに楽しい。
旬の食材は何であるとか、栄養のバランスを考えて献立を決め、何がどれくらいの量でこれ位の時間で云々と、計画に沿って手順を踏み作り上げるのが楽しいのだ。
この鰤は結構時間をかけたんだよなあと一口食べる。
うまい。
自分で作ると何故こうもうまいのだろうか。母親の味を否定するつもりはないが、より好みであるとか、そういう事なのだろうか。
つらつらと考えながら肉じゃがの汁を啜る阿部を、三橋は見ていた。
「あ、べく。ふひ」
「……何笑ってんだ。」
「ううん、あの、ね。」
何故か笑う三橋は、肉じゃがの椀を持ち食うでもなく阿部を見る。
そうして、訝しむ阿部を見たまま言った。
「楽しいね」
「……ん?」
「誰かと一緒に食べると、おいしくて、楽しい」
ふひ、とへんな音をたて、三橋が笑う。
子供用の小ぶりの箸が動く代わり、阿部の手は止まってしまった。
ああそうか、そういう事。
少なからず阿部も三橋と同じ事を思っているのだ。
阿部はきんぴらを口に入れ放り込んだ後、米を掻き込んでその奥でうんと返事した。
無論曇った音に三橋は気がつかなかったが、阿部の顔がすこうし赤い事には気が付いた。
一年365題より
3/9「今日の夕飯」
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