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2014 1st Feb.

 ねこいずみ前駆体


 じりじりじりじりと虫が鳴く。
 晩夏の音は深くなった夜に似つかわしくただ黒に融け、聞き流すだけの音楽としては申し分なく控えめだ。

 俺はベランダで煙草を摘む。黒地に金のロゴの紙箱から一本取り出し、甘いバニラの香りを咥えて安いライターで火を付ける。
 じりじり、じりじりと。
 肺を満たす煙で自分の頭まで曇らせて、収束する血管と停滞する思考。
 紫煙は繰り返し俺の中を巡り、肺から腕、内臓、また一巡してその頃は、もうどうでもよくなっている。

 悪癖だ。それがわからないほど子どもではなくなったし、だからと言って辞められるほどストイックにもなれない。それが今の俺だ。

 星明かりの夜をけなすような煙ばかり吐く俺は、全く頭が鈍くなっていてやつの事を忘れてしまっていた。
 小さな小さなあいつ。煙を吐き、またじりじりと火を燃やそうとする俺の背にタックルが決まった頃、俺はその存在を思い出した。


「なに、」

「くさい。」


 ぎん、となち黒目玉を光らせてやつは「くさい」と言い放った。
 そういえば煙草が嫌いだったんだ。ふと手元を見ると、あわれ俺の紙煙草はタックルの拍子に取り落とし、雨どいの水に触れてきれいに鎮火していた。

 きれいな濡れ羽色の尻尾をびりびりさせて、やつは俺を見る。やつはこないだ、俺の拾ってきた捨て子猫だ。

 全く全身真っ黒のべっぴんで、拾ったのは夏の初めのばかみたいに暑い日だった。
 抱いて帰ったその日から我が物顔で俺の部屋を歩き回り、人間様と同じものを食う。
 今では三歳くらいの幼児に耳と尻尾が生えたくらいな小悪魔になり、気のないふりして俺が自分の思い通りにならないと癇癪を起こすのだ。

 そう、これも癇癪だ。ご機嫌とりにキスしてやろうと抱き上げて額を撫でると、くさいくさいと顔を背けた。


「や。」

「ずいぶんキラワレタなあ。」

「それキライ。いらない、キライ。」

「機嫌直してくれよ。どうしたんだ。」


 まんまるいほっぺたやおでこへのキスは大好きなくせに、やつは腕の中に収まったきり一向に顔を上げちゃくれない。
 降参するからと嘆いて見せると、ホラがきなんだ、ちょこっと機嫌直して顔を上げた。


「まださみしいの。」

「………。」

「なにがつらいの。さみしいからおれをひろったんだろ、まだなにがあるんだ」


 やつは言う。猫なんて生き物を拾って初めて知ったのは、そのがきの聡さだ。
 俺が胸の穴を埋めるのに自分を拾い、猫かわいがりしてるのを知っているのだ。


「全く、お手上げだよ。」


 俺の肩にもみじみたいな手を乗せて、まっすぐ見上げてくる子猫の前髪を掻き上げる。
 黒く艶々して、今夜の空みたいだ。伸びたそれを指で横に流し、俺は軽く笑った。

 ベランダを後にすると、部屋の中は明るい光でいっぱいだ。俺は片手で子猫を抱き、空いた手で尻のポケットに入れていた煙草の箱を出すと、ゴミ箱目掛けて放り投げた。

 からから、とぶつかった衝撃で円柱のゴミ箱は一瞬揺らぐが、野球から離れてしばらくとはいえ元投手の腕はきちんと目標を捉える。
 これでいい、と子猫を見ると、そいつは目をきらきらさせて言った。


「いいの?」

「いいのも何も、いらないって言ったのおまえだろ?」

「もうすわない? あれ、いらない?」

「いらないよ。おまえがいるもの。」


 もとから大きな目を更にくりくりさせて、ああホラきれいな目ン玉が零れ落ちっちまいそうじゃないか。
 あんまり嬉しそうに目を輝かすもんだから、俺はついこんなことを言ってしまった。


「もう寂しくなんかないよ。」


 照れ隠しに瞼へキスして、きらきらの両目を封じてしまう。
 でもそれも、ほんの一瞬。なち黒目玉を光らせて、腕の中の子猫は手を伸ばし、俺の顔を掴まえる。
 そうして瞼をぎゅっとつむったかと思うと、小さな小さな唇が俺のそれにちゅうっと当たった。

 へたくそで、歯がぶつかった。ちゅううう、と思いっきり押し付けて、息が続かなくなる頃、やっと子猫は唇を離し、一言。


「おれも! はまだいるから、さみしくねえ!」

「……ぷっ。」


 あんまり必死な、その一言。
 かわいくてかわいくて笑ってしまった。唇へのキスなんて、どこでどうして覚えたのか。
 俺が吹き出したのが気に入らなかったのか、ぷくっと膨れた頬にキスをする。
 頬に、おでこに、目元に、鼻に。
 そうして最後に唇へ軽くキスをして、ありがとね、というと子猫はにっこり笑ってくれた。

 凍えた心に、ぽっと明かりを灯してくれる。
 愛しい愛しい子がいるから、もう煙草なんかに用はない。


 ―― My Dearest you, little little kit.

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 2010年夏に書きかけで放置していたもの。この頃、猫ものについていろいろ試行錯誤していました。
 猫もののコンセプトが「浜田の寂しさ、捨て猫の寂しさ、それを相互に補い合う」というのだったので、高校生くらいの猫泉やこれのような幼児で試してみたところ、幼児のほうが意外と穿った事を言うし、浜田さんの懐にするんと入っていけるかなということで、ねこいずみは幼児になりました。

 当初はそれだけのコンセプトだったので単発予定だったのですが、書いてみると書きやすくて浜田の父性炸裂シリーズになりました。

 煙草は高校生だとセブンスターとかマルボロ系かなと思いますが、浜田さんの吸ってるものはJPSで妄想してます。かっこよいので。
 パッケージが黒地の箱に控えめな大きさのロゴがあるくらいで格好良く、煙にバニラの香りが混じってるのが、少し甘いセクシーさみたいなのがあって好きです。
 わたし煙草はたしなみませんが。



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