Notiz | ナノ
Category:SS
2014 1st Aug.

★ あめのよるに

【高校生と小学生】



 ばちゃばちゃと水の跳ねる音で泉は目を覚ました。

 なんだか大粒の水玉が、地面にぶつかって割れるような音がする。それに起こされた泉が眠い目をこすりこすり、音のするほうへ顔を向けると、外はけっこうな雨が降っていた。

 音のするのは窓のほうからだ。窓とは言うがそれは庭へ続く大きなガラス戸で、寝つくときに暑いからと開け放していたそこから、雨の降っている様子が見えた。
 大粒の雨に草も地面もばたばたと音をたて、更に風もあるらしく外の景色は大きく揺れている。
 夜中だから空同様真っ黒になった木や草が、風になぶられるたび電柱の光を濡れた色で弾く。それを見て、やっと泉は肌寒さを感じた。

 泉がお腹にかけているのは、夏向きの薄いタオルケットだ。いかな夏とはいえ、夜の夜中にこんなひどい雨が降るとこんなタオルケットでは少し寒い。
 そう思った泉がタオルケットにくるまろうとしてふと隣を見ると、寝つく時はいたはずの友だちの姿がそこにないことに気が付いた。
 現在泉は友だちの田島の家に、同じく友だちの三橋といっしょに泊まりに来ている。寝るときは三人おんなじ部屋で、今夜は泉を真ん中にして川の字で寝ていたはずなのに、両隣のふとんは空っぽだ。

 それに気付くと急に心細くなった。
 ばちゃばちゃとうるさい雨と風の音は寒さを連れてきて、一人きりの泉は頭からタオルケットをかぶって震える。

 田島と三橋はどこに行ったんだろう。
 ふたりして、手洗いにでも行ったのだろうか。
 田島の家は大きくて旧いから、真っ暗な夜に一人で手洗いに立つのは泉も少しばかり勇気がいる。
 きっとそうだ、と泉は思い込むことにした。それなら二人はすぐに戻ってくるし、そうしたら起こされたふりをして戸を閉めよう。

 そう思った泉の耳に、誰かが廊下を歩いてくる音が聞こえた。
 ほら、そうじゃないか。どのタイミングで起こされたふりをしようかな、と泉は考えようとしたが、足音が近づいてくるにつれ、それが子どもふたりの足音でないことに気がついてしまった。


(……え、)


 音は、ひとりぶんしか聞こえない。黒ずんでつやの出た旧い床板は泉たちが歩いても音が鳴るが、それはきいきいと高くなるのであって、こんな鈍い音はしない。
 ぎ、ぎ、という音は、またとてもゆっくりだ。泉はタオルケットをかぶってそれに耳を澄ませる。
 外の雨と風の音のほうがずっと大きなはずなのに、床板がきしむ音はそれに比べれば高いせいか、とてもはっきり聞こえる。

 しかもそれはだんだんと泉のいる部屋に近づいていた。
 そうして足音は、部屋の前でぴたりと止まった。


(おばけ)


 タオルケットをつかむ両手にぐっと力がこもる。来るなと強く念じたからか足音が止まってからしばらくは外の音しかしなかったが、それで泉が油断した瞬間、部屋の戸が開かれた。

 あの足音がする。床板から畳に変わったが、やはり重たい音だ。
 おばけ、食べられる、と泉がまぶたを強く強く閉じる。けれど足音はネコみたいに丸くなった泉の頭を通り過ぎ、あのガラス戸のほうへ向かった。
 ひとを驚かせるだけ驚かして、外へ行くんだろうか。そう思ったが、足音はすぐに止まって代わりに戸を閉める音がした。

 カラカラ、というガラス戸を閉める音に続いて、鍵を掛ける音と木枠の障子戸まで閉めている音までする。
 あれ。もしかして、おばけじゃなくて田島の家族の誰かが外の様子に気づいて、閉めに来てくれたのかな。
 そう思ったら何にもこわくなくなって、泉はタオルケットから頭を出した。


「あ。」

「あ。」


 ふたりして、おんなじことを言った。
 普段ならそれだけではしゃげる泉だったが、障子戸に手を掛けているひとを見て言葉をなくしてしまった。
 ああ、このひとは。


「……わりい、起こした?」


 ちょっと困ったみたいに笑うそのひとを見て、泉は「ああ、」と思った。
 電柱の明かりが障子紙を透かし、少し光度を下げて部屋へ入ってくる。くすんだその光を受けて尚きらきらと金色の髪を輝かせるそのひとのことを、泉は知っていた。
 彼は田島の家にいるがこの家の人間ではなく、夏休みの間、田島の家が専業にしている農作業を手伝うために来ている高校生だ。
 名前は浜田。とっても背が大きくて、布団の上にいる泉と立っている浜田では、見上げるこちらの首がずーっと後ろに反ってしまうくらいだ。

 泉はちゃんと、浜田のことを知っている。
 だけど浜田のほうは、きっと泉の事なんか名前も知らないだろう。わかっているとしたら泉が彼のいとこである三橋の友だちということと、なまいきな口を利く子だということくらいだ。

 それを思い出して悲しい気持ちになった泉に、彼は尚も話しかけてくる。
 けれど泉の応えはそっけない。せっかく話ができるチャンスなのに、こんな答え方しかできないから仲良くなれないのだ。それは自分でもわかっていたが、わかったくらいで直せるほど泉はまだ大人じゃなかった。


「田島と三橋は? 布団あるのに。」

「……しらねえ」

「ふーん……。じゃあ、寒くない?」

「べつに」


 いつもこんなふうに答えるから、話だって続かない。
 ほんとうは泉だってちゃんと話がしたいのだ。でもなんだか恥ずかしくって緊張して、短い答え方になってしまう。
 布団に顔をうずめる泉に、そう、と浜田はそれだけ言って、やがて部屋を出ていった。
 泉はまたひとりきり。もう冷たい風は吹き込んでこないけど、泉はさっきよりもずっとずっと悲しい気持ちになってしまった。

 また頭からタオルケットをかぶって丸くなった泉だったが、ふたたび廊下を歩く音がするのに気づいて顔を上げた。
 戸を開けたのはやはり浜田だ。今度は枕とタオルケットを小脇にかかえ、部屋に入ると泉の左隣である田島の布団で寝る準備を始める。
 なにしてんだと問うと、浜田は泉のほうを向いて寝転がりながら笑って言った。


「オレ、ひとりで寝んのさみしくてさ。雨も降ってて寒いし。」

「……」

「だから、いっしょに寝てもいい?」


 隣に寝転がって、肘をついた浜田がそう言うのを泉は見ていた。
 やっぱり彼は聞き方がとっても上手だ。いい?なんて言われたら断るのはかわいそうだし、意地っ張りの泉だって「しょうがないな」と言うほかない。
 いいよ、と泉が言うと、浜田は大きなくちを弛く引いて笑う。瞼に隠れた灰色の瞳に自分の姿が映っているのが恥ずかしかったけど、こんなふうに見つめられるのがなんだか嬉しかった。


 夏しか来ない高校生の浜田を、泉がこんなに意識擂るようになったのは、去年の夏休みのことだ。
 いつもみたいに田島と三橋と遊んでいて、その日は少しばかり山のほうへ遠出した。このあたりは家のあるあたりから少し行くともう山で、畑や田んぼがあるから鋪装された道路が走っているけれど、逆に農家のおじいちゃんとかじゃなければ立ち入らない。
 里山を切り開いたそこは田畑のほかに木もたくさんあって、虫取りには最適だ。用水路にはメダカもザリガニもいるし、夏休みのようにたくさん時間がある日は山で遊ぼうというふうになった。

 けれど虫取りに夢中になって、いつの間にか泉はだいぶ山の奥に来てしまっていた。
 舗装された道があるとはいえ田畑は山の入り口に多く、上に行けば行くほど昔のままの林が増える。捕まえたばかりのオスのカブトムシといっしょに道へ出ると、家があるのはけっこう下のほうだった。
 このまま道を下りていけばいつかは帰れるが、かなり時間がかかるのは小さな泉でもわかったし、翳ってきたとはいえ太陽はまだだいぶ明るく輝いている。
 田島たちの名前を呼びながら歩いていた泉だったが、だんだんと心細くなってきた。

 喉が乾いた。みんなどこに行ったんだろう。あとどれくらい歩いたら家に着くんだろうか。
 虫かごの中のカブトムシを見つめながら俯いていた泉の耳に、ある音が触れた。原付バイクの音だ。山を登ってくる。

 いつの間にか歩くのをやめていた泉は、カーブを描く道の向こうを凝視する。
 するとそこから現れたのは、白と緑のカブに乗った若い兄ちゃんだった。泉に気づいた彼はスピードを落とすと、目の前に原付を停めた。


「三橋と田島の友だちの子?」

「え、うん。」

「あいつらもう帰って来てるよ。後ろ乗ってきな、オレも田島んち行くから。」


 この兄ちゃんが先日から田島の家に手伝いのため来ていることは、泉も知っていた。それに足も疲れていたから、おとなしくカブの後ろに乗った泉だったが、どうしてこんなところをひとりで走っているんだろうと不思議に思った。
 あんまり日が高くなると農作業は危ないから、この辺のひとは早朝や夕方に畑へ出る。今はまだ太陽は出ているけれど、真昼に比べれば気温も下がり始めている。
 昼間働けないぶん今は畑仕事が忙しいはずだが、彼はなんでここにいるのだろう。
 それを訊ねたら、答えは後ろへ流れていく夕方の風に混じって泉に返ってきた。


「田んぼの水、見に来たんだよ。」

「そう、なんだ。」

「そうそう。ところでその虫かご、なんか捕まえた?」

「え、」


 カブが切る風の音とエンジン音が大きかったが、彼の少し高い声はとてもよく聞こえた。
 田植えをしてから収穫まで、田んぼに入れる水の量はよくよく管理しなくてはならない。このあたりではみんながやっている事だから、泉もああそうなんだくらいにしか思わなかった。
 そんなことよりカブトムシの話をしなくちゃと思った泉は、意気揚々とそれに答えた。最近はこんないなかでも山に行かないとカブトムシやクワガタにお目にかかれない。
 大きさはそれほどでないが、黒光りして、つんと突き出たツノがとてもかっこいい。
 少し自慢するように教えてあげたら、へえ、いいなあ、後で見せてよと言われた。それを聞き、さっきまで心細くて縮こまっていた泉の気持ちはふわっと軽くなる。

 そうして田島の家に着くと、先に帰っていた田島と三橋がわあっと出迎えにやって来た。
 だいじょうぶ、いつの間にかいなくなってたから心配したんだと次々に彼らが言うのを聞いて、そこそこ大事になっていたことを泉は知る。
 田島たちもいなくなった泉をしばらく探したらしいのだが、自分たちでは無理だと助けを借りに家に戻ったらしい。


「そしたら、浜田がカブのって見にいってくれるって。」

「え?」

「お、おばさんたち、忙しい。ハマちゃんが、行ってくれるって。」

「すぐ見つかってよかったー! たのんでよかったな、三橋!」

「よ、よかった!」


 どうやら農作業が忙しいから、出来ることが少ないバイトの彼が捜索をかって出てくれたらしい。
 田んぼの水を見に来たんだと言っていたのは、たぶん泉に気を遣ってくれたのだ。
 その彼はすでに作業に戻ってしまっていて、泉は結局お礼の言葉を言っていない。

 けれど、泉はそれから浜田のことが気になるようになってしまった。いつかあの時のお礼を言いたいけれど、去年のことなんて浜田は覚えていないかもしれない。そう思って言えずじまいだ。

 真っ暗な部屋の中で、泉の小さな心臓がとくとく言っている。
 手を伸ばせばすぐ彼に触れる。去年のあの時はカブから落ちないようにぎゅっと抱きついていたのに、それより今のほうがずっとどきどきするのだ。

 まぶたを閉じても眠れない。
 こんな落ち着かない感じ、気付かれたらどうしよう。そう思うほどに胸の音は大きくなる。
 泉は気が気じゃなかったが、浜田は浜田でまったく違う事に気を取られているらしかった。


「ううう」

「……なに。どーしたの。」

「あ、あのさあ……寒くない? オレ腕出てるからかしんないけど、雨降りだしたらすんごい寒いんだよね」


 隣から唸り声が聞こえるのでそちらを見たら、浜田も泉と同じように頭からタオルケットをかぶって丸まっていた。
 二人そろって亀みたいだ。どうしたのか訊ねると、タンクトップにハーフパンツと寝間着を軽装にし過ぎた為、この夜中の雨風で凍えてしまったのらしい。

 このひと、ばかみたいだなあ。大きな体をしてるくせ、泉となんにも変わらない子どもみたいにそんなことを言うから、泉はちょっと笑ってしまった。
 でも悪い意味じゃない。いつも、田島と三橋の三人組のお兄ちゃん気分でいる泉は、そんな浜田をなんだか放っておけなくなった。


「そっち行ってやろうか。」

「ふえ?」

「さむいんだろ。いっしょに寝たら、あったかいよ。」


 タオルケットでできた小さいほうの亀がそう言うと、大きい亀が、うん、いっしょに寝ようとくすぐったそうに笑ってくれる。
 浜田が亀のまんまでもそもそと寄って来て、くっつくくらい近くに来ると、自分のタオルケットで小亀の泉を包み込んでしまった。
 ばさ、とタオルケットがかぶさってきて、同時に浜田の腕に抱き寄せられる。なんだかとても楽しくってきゃあと高い声で笑うと、キスしそうなくらい近くにいた浜田が唇に人差し指を立てて「しー!」と言った。


「……ぷ。くくくっ」

「しー、だって! うるさいって怒られるぞっ」


 そう言う浜田だって堪えきれずに笑い出す。
 小さく小さく、夜のはしっこで額がくっつきそうなくらいに近くでふたりはしばらく笑い合った。
 でもそれだって、いつかは眠くなる。やがて収束するくすくす声のあとは、また気恥ずかしくなるんだろうかと思った泉だったが、そんなことはなかった。

 穏やかに目を和ませる浜田を真っ直ぐ見つめると、泉の大きな両目を閉じてしまうように浜田の長い指が目元を撫ぜる。
 再び暗転した視界で、泉はもう寝ようかと言う彼の声を聞いた。


「ん……おやすみ。」

「おやすみ、泉。」


 波にさらわれていくように、泉の意識はは夢に溶けた。
 その直前、泉の名前が浜田の声で聞こえた気がしたけれど、それはきっと夢だろう。

 その夜、泉はめったにない深い深い眠りに落ちた。
 肌に溶けるような心地の良い暖かさに体をすっかりくるまれて、明るい色が世界いっぱいに広がっている夢を見た。


―― Rain, fell in the dark,
   also brought the warmly dream.


 
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