――今夜はここまでにしよう。
読みさしの本に栞紐を挟んで側に置いた。時間を忘れてずいぶんと集中してしまっていたらしい、壁掛け時計の長針と短針がてっぺんへ届いていた。眉間をかるく揉むと、じわり瞼が熱くなる。そろそろ眠ろうかと枕元の明かりを消すために電灯に腕を伸ばしたとき。
 
「電気消さないで」
 
隣からささやくような声が聞こえた。

「早よ寝よし」
「寝ようと思ったら掛け布団を取られたんです」
「そらすんまへんな」
 
確かに自分が腕を伸ばしたことで、彼女の体が半分ほど掛け布団から出ていた。仄暗い部屋の中でも冴えた白い足は畳の上にある。腕を戻して、布団を掛け直してやると満足そうに頷いた。
しかし、布団は兎に角として寝間着が既に乱れているのは何故だろうか。横着をして、肘枕をしながら左手で彼女の寝間着の袷を直してやったとき、触れた首元がしっとり湿っていた。部屋が暑かったのだろう。暑いんか、と額を手の甲で拭ってやると暑くないです、と直ぐに返ってきた。しかし言葉とはうらはらに汗をかいている。何も云わずに、襟元をかるく掴んで無防備な首筋を引き寄せると、息を詰めるけはいがした。唇で触れればそこは熱を保っている。腰を抱きながら背中をなぞればわかりやすく反った。
伏せられた瞼、揃った睫毛のきわまで見えるところ。かたちの良い薄い耳朶。丸みを帯びた鼻。ほそい手首に反った指先。彼女自身も気が付かなかった、俺だけが見つけた小さなほくろ。
俺が柔らかいからだに触れている間、彼女は俺の髪を撫でていたかと思うとふっと深呼吸をする。
 
「鹿雄さん、髪から甘い匂いがする」
「ああ……。いつもの無うなったから君のシャンプー使た」
「どうりで。嗅いだことある匂いだと思ったんです」
「これ髪ぺしゃんこになんねん。見て」
「本当だ」
「何でやろなあ」
「何ででしょうね」

彼女から手を離すと、先程よりますます乱れた寝間着を今度こそていねいに直してから体を仰向けに動かした。肘が触れる。一人で眠るには多少ゆとりのある布団を使っているのだが、流石に大人二人が横になると寝返り一つでも窮屈さを感じた。
 
「新しいお布団、いつ出来るんでしたっけ」
 
彼女も同じような窮屈さを感じたのだろうか、枕に顔を押し付けながら問うてくる。
 
「来月末。やらかいの楽しみやなあ」
「そう……」
「うん……?そんなに俺とおんなじとこで寝たいんか」
「おやすみなさい。明日早く起きて下さいね。お墓参りに行かなきゃ、お彼岸だから……」
 
愛らしい照れ隠しに勝手に緩む自分の口元を抑える。
 
「珍しい、否定せえへん。だから二つにするんや無うて大きいの一つにしよ云うたのに」
「おやすみなさい」

彼女が掛け布団を大きく引いて頭まですっぽりかぶってしまうので、俺の体の左半分が冷たい空気に晒されることになった。
――君の顔が見たい。今、どんな顔をしているのだろう。俺のことを考えている、そんな顔なら是非見たいじゃないか。
電灯の紐を引いた。ばちん、と音がして部屋の中は闇に包まれる。昔から暗い場所でもすぐに目が慣れる性質であることを、俺は彼女に教えていない。手をこちらへ力任せに引き寄せて――ああ、ほら。期待通りだ。
このすべてが俺のもの。ようやく俺の手元に来てくれた。
やわい恋を塗りつぶさず、俺を愛してくれる君。
 
20190321