「葛西、もしおまえが死んでしまったら、私はどうしたらいい?」

そう問い掛けてきた女の瞳は、今にも涙が落ちそうなほど潤んで見えた。俺は、そう、ただ欲しかった。恐らくおまえもそうだ、俺に求められたかっただろう、俺を好きだろう。俺と共に生きることを、死ぬことを希っただろう。
 
「おまえは生きなきゃならねえ」
 
この言葉は心の底から出た言葉だ。おまえは生きなきゃならない──俺と一緒に、ほんとうはそう続いていた。いつ聞かれるかも分からない卓上電話にメッセージを残した時も、俺はいっさら死ぬつもりなんて無かった。ただ人間万が一何かあったら不可いと思うとどうも、あんな遺言の体裁を持ってしまったことには変わりない。おまえは何度俺の声を繰り返し聞いただろうか。俺はおまえと生きて、死ぬつもりだった。
 
「じゃあ一緒に焼死なんてどうかな」
 
ああそうだ、あの言葉にはぞっとした。おまえに俺の炎はぴったりだ。きっと一番良く似合う。俺がおまえを一番識っているから、体の隅から隅まで、俺を知っているから。
 
「おまえがいたら、犯罪者として、葛西善二郎として悔いなく死ねなくなっちまう」
 
だからこれは詭弁だ。そんなこと、思ったことも無かったくせに。おまえの曇った顔が見たかった。意地の悪いおじちゃんでごめんな。

「私は葛西となら死にたい、葛西が好きだよ」
「分かってる、分かってるから、死ぬのだけはやめてくれ」

俺以外の前で、死ぬのだけはやめてくれ。


今日は珍しく夜風が心地よい。
ここ暫く熱帯夜が続いていたからだろうか、レースのカーテンのたなびきが懐かしく、涼しげに見えた。月明かりが部屋の奥まで差し込んだ美しい夏の夜だった。
無用心なことに、この部屋の住人のベランダの窓は開いていた。靴のまま部屋に踏み入ると戸を引いた。カチャリと、鍵のかかる音だけが鮮明だった。
フローリングへ土足で上がることに最早抵抗はない。見慣れた壁紙、見慣れた壁掛け時計、見慣れた本棚。そして、見慣れた女の横顔。俺が、生きることを願い、死ぬことを望んだ女。
布団の上から、痩せた肩を優しく揺さぶった──さあ、瞼を上げてくれないか。

「火火火、幽霊だと思うなら、触って確かめてみな」
「か──葛西、ごめんね、ごめんなさい。洗い物も、自炊も出来なかった。おまえなしじゃ、出来なかった」 
「いいんだ、それで」
 
(お前を攫うまでが我が人生)

20180728

title.へそ様
10年前書いた、とある話の続きです。
葛西さんの事を一途に愛している、Mさまに勝手に捧げます。