空気の冷たい廊下には人っ子一人居らず、自分の足音だけが響いている。普段ならすれ違うゴースト達も心なしか少ないような気がした。勿論生徒たちのように“帰省”する場所はないのだから、ホグワーツの中にいないことはないのだろうけれど。大広間を開けると、生徒が一人ぽつんと座っていた。グリフィンドールのマフラーをぐるぐるに巻いたこの生徒は、すっかり冷めてしまったスープとパンをちびちびと食べていた所だったようだ。しかし進む具合としてはほぼ惰性、といったようで。私をみるなり、ああルーピンだ、と呟き、これはいいタイミングだと言わんばかりにスプーンをトレーに戻していた(余談だけれど彼女は私をルーピンと呼び、なぜか敬称を略している)。

「食事かい」
「‥冷めちゃって」
「成る程」

それなら、と杖を取り出してトレーの上で振る。するとみるみるうちに食べ物から失われた湯気が立ち始めた。彼女はそれを見ては嫌そうに此方に顔を向けた。仕方ないじゃないか、私にそんな話をふった君が悪いんだよと云うと、深い溜め息と共に再びスプーンを握る。

「グリンピースは嫌い」
「ああ、私も」
「先生に好き嫌いがあっていいの」
「君が私をまともに先生扱いした事があったかな」
「‥‥」

彼女は黙ってグリンピースを口に入れた。もともと感情表現が解りづらい子ではあったが、こうして自分の気の進まないことに関してもそれは変わらないようだ。スープを平らげる間自分はすぐ真向かいの席に回り、座ることにする。机に今学期提出してもらったレポートを並べると、添削をするべく羽ペンを取り出した。目の前の生徒は少し横目で私を見ると最早何を言っても無駄だと言わんばかりに残りを口に入れることに精を出す。
彼女は食事を一人でとることが出来ない人間だ。普段は周りに多数の生徒が彼女を囲い、口数の少ない彼女の世話をやく。しかし今は休暇だ。取り巻きも、先生も、亡霊すら居ない。彼女は暗く寂しい場所が一番似合う人間だった。ミステリアスな黒髪黒目がそうさせるのだろう。しかし本質はそれとは異なり、誰より孤独が似合うくせに誰より孤独を嫌う子だった。

それを皆は知らない。――私だけが知っている。

「君は休暇中の課題、私はレポートの添削を終わらせたら、夕飯を是非一緒に食べよう」
「‥ルーピンと?」
「勿論」
「でも」
「私が、一人は厭なんだ」

そう云うと、いいですよ、と消え入るような声が聞こえる。顔や耳まで照れくささからか真っ赤に染まっていた。皿の上はいつの間にか空になっていた。彼女はトレーを消して立ち上がる。談話室にでも行くつもりなのだろう。ここは余りにも寒い。普段なら暖かいところもダンブルドアすら不在のこの学校は蝋燭一つにしても消えている。談話室も恐らく寒いだろう。広間を出て行く女生徒の背中は、何故だか酷く寂しく見えた。(ああ、自分もそう見えているのかもしれない。)それが妙に今の自分と酷似していると、彼女に失礼なことを思ってしまったのだ。それは彼女には、帰る家がないのだと私だけが知っているから。だからだと。勘違いであればいい。しかし自分のこの気持ちはどうにも消化し難い。ならどうしたらいいのか。自分のために彼女に優しくしてやりたいのか、――違う、違うだろう。あの背中を見送るのが厭なのは、そんな自己満足を得たい訳ではない。

「ま、‥っ待った」

思わず彼女の手を掴む。広間を出て少し経っていたため、中庭にまで彼女が既に差し掛かっていた。久々に走ったせいで胸が痛む。――昔ジェームズ達と居た時はしょっちゅう走っていたのに。年を実感してしまう。自分の手を誰に掴まれたのか、一瞬理解していなかったのだろう、目を大きく見開いた彼女のまた珍しい。人形のような顔が、はじめて人間らしく見えた。

「せ、先生」
「いきなり“先生”かい?」
「ああ、何かびっくりしちゃって。先生らしく見えたから」

息を切らす自分に向かって、年なんだから、と笑う屈託のない顔を見て思わず凝視してしまった。それに気がついたのか手を振り払われそうになったのだが、自分がそうさせなかった。冷えた指先に自分の温もりが移っていく。際限なく降り積もる淡雪が自分たちを濡らしていく。私は――僕は、どうせなら、一人寒い思いをするよりも、彼女と寒い思いをしたほうがずっといい。そうすら思う自分は間違っているのだろうか。

「――僕は、君が視界に入ってないと、不安で仕方ないんだ」
「‥寂しがりなんだね、ルーピンも」
「ああ、多分ね」

いや自分は間違いなどしていない。この感情にも偽りはない。だからこの思いは恋でもなく愛でもないのなら、それはきっと。

20130103

さきさまへ
遅くなりましたすみません(´;ω;`)