ひと気のない居ないこの場所は、薄ほんのり雨と土の香りと、静けさに包まれて居た。わたしは右手に錆茶けたスコップとバケツを持って歩いて行く。

ざく、ざく、

お気に入りの黒いパンプスが汚れてしまう。白いソックスも。

(よく似合うね、)

あのひとはわたしにそう言ってくれた。自分しか好きになれなさそうなのに、その上そこらへんの女より綺麗な顔立ちをしていて、でも、それでいて不器用で抜けているから、お財布なんか取られたり身ぐるみ剥がされたりして。よくパンツ一枚で私に迎えに来てくれって電話してきた。それでも彼は綺麗なひとだった。わたしはそんな彼が好きで、好きで堪らなかった。


「かさい」
「‥ひでぇ有様だな」
「いいの、テラ君はテラ君だから‥」
「まぁ…そりゃァな」


彼は顔だけを残して逝った。でもそれはわたしの好きな顔じゃなく、絶望に満ちた、それはそれは醜い顔で。わたしはそれでもその顔を盗み出して、シックス様にお届けした。精一杯あなたに尽くしたテラ君を認めて貰いたかったのだ。


(棄てなさい)
(え、)
(もう“それ”には興味が無い、‥解るだろう?)


シックス様はテラ君にはもう見向きもしなかった。わたしは腐りかけた彼の頭を抱いて、誰にも見つからない、それでいて綺麗な土があって海が美しく見えるこの場所に埋めた。隣には何故か薄ら笑いを浮かべた葛西が居て、可笑しなことにわたしの肩を抱いていた。この場所はわたしと葛西だけの秘密の場所だと葛西は言った。

(‥嘘を、)

随分優しい嘘を吐くのだと、飲み慣れない缶コーヒーを口に含みながら思ったことを覚えている。
しかしいまも、葛西はわたしの側にいた。多分、テラ君の次にわたしの近くに。 けれどもそれになにか謀(はかりごと)があるような気もしてならない。そんなはずないのに。厭なものだ、疑うことしか出来ないなんて。


「葛西」
「んん?」
「間違いじゃないよね、わたし」
「一々‥人に聞くことか」
「うん、そうだね。違う」


葛西は手を出さなかった。ここに置かれた亡骸が移動していなかったことを見ると、わたしのしたことを誰にも言わなかったのだろう。だからと言って、今からわたしのする事にだって文句は言わない保障なんか無いけれど、シックス様に言うほどのことでもないと、傍観者に徹底している。ほら、やっぱり。葛西は人がいい。


「そこどいて」
「おっと」
「‥‥」


テラ君はすっかり見るにも耐えないものになってしまった。土を掘り起こすと、沢山の花や飾り物にまみれて、骨が顔を見せた。わたしはそれを拾い上げて、綺麗にバケツに入れ、胸に抱く。やはり葛西はなにも言わない。わたしにやめろとも、勿論それ以外のことだって。今日初めて、葛西をまともに見た。哀れんでいるのだろうか、何とも読みがたい顔色だ。


「頭おかしいかも」
「まあなァ」
「あ、初めて肯定したね」
「まさか、おまえが普段人を見てねぇだけだ」
「‥みてるよ」
「テラが全てだったおまえが、俺、‥‥人を見る日があったかねえ」
「‥‥葛西?」
「火火、口が滑った」


こういう時、帽子をかぶっていると何時になくなにか感情をはらませているように見える。いや、実際そうなのかもしれない。テラ君の次に近くに居ただなんて、違う。そうじゃない。一番そばにいたじゃないか。自覚していたくせに、それが当たり前なのだと無視をきめこんだのはわたしだ。それにもテラ君の死が無ければ気が付かなかった。ああ、最近気が付くことが増えるばかりだ。葛西が吸う煙草の銘柄とか、シックス様が読む本とか、ジェニュインの好きな食物とか、‥‥その中でもとりわけ発見が多いのは、やはり、葛西、葛西のことみたいだ。


「ねえ、わたし今まであなたがセブンスター嫌いなの、知らなかったよ」
「俺はおまえがピースしか吸えねェの、知ってた」
「あと、ビールより日本酒が好きなこととか」
「今更な」
「‥あと」
「まだ有るのか」


あとね、これだけはどうしても認めきれずにいたんだ。私にとってそうあってほしかったことがね、事実とは違うって、わかって居たくせに。ここに来たせいかな、頭が妙に冴えている。



(葛西は世話焼きだよね)
(え?そうかな?)
(だって、いつも君の周りにいるからさ。僕はほら、あんまり人の世話とか好きじゃないから、)



「‥実はテラ君より、わたしの一番近くに、居たこと、今気が付いた」
「‥本っ当に今更だなァ、おい」


葛西はわらいながらわたしの頭をくしゃくしゃにする。
テラ君はわたしの髪のセットが崩れるのを気にしていたから、ごくまれに触れてくれるときは、ほんの少しだけで。
葛西はわたしの髪のことなんか一切意に介さないと言わんばかりに、今日もまた、掻き回すように頭を撫でた。ああ、こんなに手が暖かく感じたのも、こんなに煙草の香りを意識したのも、初めてだ。テラ君、ねえ、きみのお陰だよ。きみが死んでわたしも悲しくてね、何度も死のうとしたんだ。けれどやっぱり。ごめんね。わたし、この世に未練があるみたいだ。


「葛西、みてて!」


テラ君の骨が入ったバケツの中身を、海に向かって投げ入れた。きらきら、破片になって、風に乗って。地球に帰って行く。大好きなきみ、きみよ。次にここに来たときはもう、姿を見ることは叶わないけれど。
(――いや、次なんて、あるものか。)


「おー、派手に撒いたな」
「テラ君、喜んでくれたかな、‥あそこには水も土もあるから、‥」
「‥喜んだろうさ」
「――これで、心置きなくできるよ、わたし」
「馬鹿か、やっぱり」
「あ、非道い」


そう、ただ命を絶つだけじゃあなににも成らない。ならばわたしだって、テラ君みたいに、何か残して死んでやるんだ。この地球に、人類に、あの化物に刻み込んでやる。わたしが居た証を。


「ごめんね葛西、せっかく、もっと仲良くなれたかもしれないのにね」
「――そりゃあ無ェよ、おまえ、結局テラが一番なんだから」
「え‥」
「ん?」

「なんでもないや、‥‥ありがとう」
「どう致しまして」



ここに来るのは最後。
葛西と二人きりで会って、こうしてゆっくり話すことももう無いだろう。
けれど、ここの秘密は永久に秘密である。守られてゆくのだと信じてみる。そして葛西とわたしのこの中途半端な、同僚と言うには近すぎて、友人というにはあまりにも言葉が希薄で、そう。当てはまるものがない葛西との関係を、死ぬコンマ一秒前までに、ぴったり当てはまる言葉を考えてみるのを楽しみに。

取り敢えず、明日もまた生きてみようか。



ラプソディー・イン・ブルー
20120804

テラ←ヒロイン⇔葛西
一方通行のようでそうじゃない感じの微妙なお話。

みつきさん
リクエストありがとうございました(^o^)