※望美×鬼若ですが長編の鬼若とは別時空です。あと多少ですが望美攻め注意。
『少し、遠出になりますが心配しなくて大丈夫ですから。君は夫の世話をしなくても構わない体の良いの休暇だと思って羽を伸ばしていて下さい』
そんな言葉を残して弁慶さんはどこか満足気な九郎さんと五条から馬に乗って行ってしまった。
何でも軍師時代に色々面倒を掛けた翁の容体が芳しくなく、まだ起き上れる内に一目挨拶、もとい往診に向かうらしい。頑固な人物で病は気からを地で行ってるらしく、薬師なぞと口を開けば出る始末でろくに症状を見れないとくれば弁慶さんに話が回ってくるのもまま分かる。一組織の頭脳とも言え、かつ屁理屈もさも正論と飾り立てる事が出来る舌があるのだ。普段の診察の状況を見れば大した仕事でもない。
ただ弁慶さんは軍師を辞してから極力源氏には関わろうとしていなかったので内容は兎も角引っ張り出せた九郎さんのやり切った顔は留守番を言い渡された私にとっては腹立たしい。
思わず弁慶さんの僕がいないのだからのんびりして下さい発言にも不機嫌な気持ちのままつんと顔を背けてしまった。
「可愛くないなぁとは自分でも思うんです。でも旦那さんが私の知らない場所に行くのに心配せずに鬼の居ぬ間を満喫してろだなんて酷いと思いませんか!私だって出来れば付いて行きたいくらいなのに…まぁ、邪魔になっちゃうだろうから今回は言い出しませんでしたけど…。でも!弁慶さんったら全然女心が分かってないんですからっ」
「はぁ。それは僕がどうもすみません」
主人が居なくなってがらんとしている――と思いきや、思い出してぷりぷり怒る私の声と見知った声よりは若干高い夫の声で室内は夜の帳が下りたとは思えないほど賑やかだった。
「望美さん、白湯を頂いても宜しいですか?」
「あ、はい。どうぞ。お茶も煎れられますけどお湯でいいんですか?」
「ええ。これで十分です」
そう言いながら食後の口直しをする弁慶さん――ではなく、若い頃の弁慶さん…もとい幼名は鬼若と言うらしい私の旦那様は湯呑を呷った。
その様子をじっと観察してみるが年齢的にそこそこ既に完成されているようで顔立ちがどことなく幼い気がする、と言った程度の相違しかない。
勿論、体つきこそ今とさほど変わりないが落ち着いた耳障りの良い声は若干高い気がするし、少し癖毛でありながらふわふわとした髪は記憶に残る腰ほどの長さにはとても届かない。本人は十五だと言っていたが…果たしてその年齢の時、私はこんなにも落ち着いていただろうかと考えてしまうほど未来の旦那様は現在の旦那様とごくごく近く、落ち着いた態度だった。
「鬼若さん、明日になったら応龍にこうなった原因とか元の時空に帰せないか聞いてみますけど――何だか状況把握もそうですけどちょっと落ち着き過ぎてませんか?未来、だなんて言われても荒唐無稽だし、私が鬼若さんの奥さんだなんてそんなに簡単に信じちゃうなんてらしくないです」
「……落ち着いている訳ではありませんよ。これでも結構混乱しているんです。けどじたばたしてもどうなる訳でもなし、試せる方法がある今は兎も角朝を待つべきだと思ったからこうしてご相伴に預かったんではないですか。信じるにしろ、信じないにしろ。君が僕の未来の妻だと言う話は――僕が所帯を持った事には流石に驚きましたがまぁ納得はしていますよ。…ただ思いの他面食いだったのだなとかと…」
「面食い?」
「……いえ、何でも。君はかなり僕の好みだし、役得だと思っています。こんな女性が僕の妻なら未来は明るいですね」
つい、と少し視線を逸らしていた鬼若さんだったが明るい表情で笑顔を見せた事に今度は私の目が泳いだ。
――言えない。平家の首領を攻撃しようとしてこの世界の守り神を壊してしまった挙句、戦を終わらせようと躍起になって殆ど自棄のようになるなんて事は…。
「……鬼若さん、強く生きて下さいね」
「……今の言葉の後にその台詞はかなり僕の不安を煽るんですが。…何かあるんですか?」
「あの、えっと色々…、あっでもそのお陰で私と会えますし!」
「はぁ…まぁ、嘘か真か分からない未来の事を聞いても仕方ないですし、君の忠告だけ胸に留めておく事にします」
そう言って諦めたように残りの白湯を嚥下する鬼若さんにほっと息を吐く。
「そうして下さい、…ふぁ」
「おや、眠いですか?…随分話こみましたからね」
思わず欠伸を噛み殺した私にちらりと視線を御簾の外に向ける鬼若さん。
体感的には十二時を少し過ぎたくらいだろうか。こちらの生活に慣れてからは超早寝超早起きが基本となってしまい、向こうの世界なら普通に起きているこれくらいの時間でも眠くて仕方ない。
「はい…お話の途中にすみません。とりあえず話は明日にしてもう休みませんか?寝る準備してきます」
「そうですね。では僕はこの部屋の端でも使わせて頂きますね」
「え、どうしてですか?一緒に寝ればいいじゃないですか。畳ありますよ?」
「え?」
「え?」
寝室に向かおうと立ち上がりかけた私と円座に胡坐をかいたままの鬼若さんの視線が交差する。
意外な事を言われたと言う顔が目を見開いた瞳の中に映っていた。
硬直したまま一拍、沈黙が流れる。
「それは流石に…望美さん、女性としてどうかと…。いけませんよ」
「なっ、だって鬼若さんには私が奥さんだって言ってあるし、夫婦なら同じ布団で寝ても何にも問題ないじゃないですか!」
思いっきり年下の鬼若さんに幼子を窘めるような口調で慎みを説かれ、自分の発言の危うさに気付き顔を赤らめながらも反論する。
初対面の男の人に一緒のベッドで寝ましょうと誘った訳では断じてない。弁慶さんと夫婦になってもう大分経つし、私の言動は正しい。正しい以外有り得ない。うんうん。
ワタシワルクナイ!
「……今まで君が口にした話を全てと考えると元が同じだったとしてもそこに至るまでの経緯を知らない以上僕は違う人間ですからね。こうして家に招き入れて夕餉を御馳走して下さった事には感謝していますが余りみだらに男を信用していては駄目ですよ。優しい君が傷付く結果もなりえませんし、君の本当の旦那様だってそれを望んでいる訳ではないでしょう」
「っ、そっ…それはそうでしょうけど…。でも、鬼若さんは弁慶さんだし、弁慶さんの事は信用してるし…」
「望美さん。後悔先に立たずと言う言葉を知っていますか?」
「ううっ、うぅ…だって、だって…弁慶さんがいなくなって独り寝長くて寂しいし…」
つらつらと常識とは何か説き始めた鬼若さんだったが窺うように零した私にぐと言ったように言葉を詰まらせた。
*****
「あ、ぴったりですね!ちょっとだけ丈が長いかなと思ってたんですがそこまで心配するような感じじゃなくて良かったっ」
「あぁそうですね…。寝間着を貸して下さってありがとうございます…」
畳に布団代わりに使っている単衣を広げ終わり、鬼若さんを呼びに行こうと振り返ると部屋の入口にどこか遠い目をした彼が立っていた。
鬼若さんの今着ている着物は私がお嫁さんとしてここに来てかなり初めの頃に縫った物で採寸を少し間違えていて袖とか裾とかが全体的に若干短い。つんつるてん、と言うほどでもないが縫い目はがたがただし、糸は飛び出てるし、とても外に着て出て行ける出来ではなく、袖を通してくれた弁慶さんに慌ててまた縫い直します!と申告したのだが妙ににこにこした弁慶さんにこのままで構いませんよと言われてしまい、折衷案として夜着として使っているのだ。
ただ最近は私も下手なりに長さだけはしっかり測るようにし、そこまでサイズの合わない物は出来なくなったのだが…。後生大事にしまわれていたそれを引っ張り出し、鬼若さんに着せてみたのだが藍色の生地がとても良く似合う。足首丸見えだったのにちゃんと隠れているし、袖の長さが左右で違うのは…まぁ、うん。掌辺りまで両袖とも来ているのでよしとしよう。
じいっと鬼若さんを観察した私は納得したかのようにうんうんと頷き、ささっとそこに潜り込んだ。
「はい、お隣どーぞ!」
「……」
単衣を捲り、上機嫌でぽんぽんと脇のスペースを叩く私を何とも言えない表情で眺めた鬼若さんは何度目になるのか溜め息をこれでもかと言うほど大きく吐き、観念したように膝を付いた。
「まさか見知らぬ土地に来て見知らぬ女性と同衾する羽目になるとは思いませんでしたよ…望美さん、もう少し詰めて」
「いいじゃないですか。ここはあくまで五条だし、私ももう少ししたら知り合うんですから見知らぬ女性じゃありませんよ…もうぎりぎりですってば。一畳なんですから我慢して下さい」
二人で身を寄せ合う事に慣れてしまった私には独り寝が思ったより堪えた。あちらの世界とは違い背中に当たる固い畳にふっくらとは言い難い布団代わりの単衣。日が堕ちると外には人の気配が皆無になり、静寂が一層存在感を増す部屋は天井がより高く見えた。ここで弁慶さん…もしくは白龍なんかが隣にいれば身を寄せ合ってその体温にほっとする事も出来た。
一人は寂しい。
元の世界を捨てたとは言え、こちらにもここで出会った皆がいる。孤独を気取るには私は恵まれ過ぎている自覚があるがやはり急に一人になるのは辛かった。
なのでこの状況に困っている鬼若さんには悪いが私は鬼若さんが来てくれて嬉しかった。朔の所に行こうと思ったけどこう弁慶さんが家を空ける度こうではそろそろ慣れないと駄目よとお説教を受けそうだったからまさに降ってわいた鬼若さんだった。
お互いにもぞもぞと狭い中ベストポジションを模索し、やっと何とか収まった私達はお互いに向かい合っていた。
「――明日、神泉苑に行きましょうね。そこでならきっと応龍も応えてくれますから」
「はい。…君が何故龍神と縁があり、その声に応えるのかは…やはり聞かない方がいいのでしょうね」
「すみません…どこまで話していいか分からないので。ただ少し色々あってそれに関わった事があるだけです」
「そうですか。まぁ突っ込むつもりはありませんよ」
「ありがとうございます。…鬼若さん」
「……何ですか?眠いのでしょう?だったら僕に構わず寝て下さい」
「手繋いでいいですか?」
「……………。…どうぞ」
逡巡と言うより、声なき抗議と言うべき抵抗をした鬼若さんだったが暫くするとやがて諦めたように許可を出してくれた。
うきうきとお礼を言い、密着に近いほど接近した身体から鬼若さんの手があるとおぼしき場所へ手を伸ばした。
「…ごつごつした男の手なんて握った所で何も楽しい事はないでしょうに」
「そんな事ないですよ。確かに硬いですけど鬼若さん指長いし、温かくて自分より大きい手は触ってると…、 …安心するんです」
弁慶さんより僅かに幼い手はけれど節くれ立っていて確かに男の人の手だ。
布団から出し、指を絡めている様子を見せると何故か鬼若さんの頬がほんのり染まった。
「君は手も小さくて柔らかくて…確かに温かいですね…」
「はい。私こうして手を繋いで寝るのが大好きなんです。よく朔…あ、友達なんですけど寝床に潜り込んで寄り添って寝ました」
「……君の言う、弁慶さんともですか?」
「?勿論!私の一番大好きな人ですからっ」
「一番…」
「はいっ、大大大大好きです!誰よりも何よりも、他のものなんて比較にならないくらいの一番です!」
鬼若さんにこの弁慶さんに対する想いの深さが伝わればと必要以上に力を込めて熱弁する。
しかし当の鬼若さんと言えば私の告白紛いな言葉に面食らう所か先程までの柔らかな表情をどこにやったのか必要以上に凍てついた目でこちらを見ていた。
「随分仲睦まじいんですね」
「は、はい…?五条の鴛鴦夫婦とか呼ばれたりとかしてますから」
「へぇ、それはそれは。ああそろそろ、手を離して下さい。こんな風にしていては寝れません」
急にとてつもない距離が開いたようで一瞬慌てたが――突然かなり急に、ぴんと来た私は鬼若さんに言われるがままに手を離した。
「――お休みなさい。どうせ明日までの付き合いですし…っ、望美さん!?」
もぞもぞと身体の向きを変え、本格的な眠りに入ろうとする鬼若さんにそうはさせじと肩を引いて仰向けに倒した。そしてそこにのしっと覆い被さるように跨がる。
「な、何を…」
「…嫉妬してくれるって事はその程度に私を好きだと思っても良いんですよね?」
「っ!…な、何故…」
「嬉しいです。でも舐めないで下さい。こう見えても私二十五ですよ?幾ら何でも出会って八年、ずっと一緒にいる旦那様のやきもちのパターンなんて把握ずみです!」
「ぱ、ぱたーん?」
「あ、えっと、種類?傾向?…兎に角、鬼若さんは否定してますが私にとって鬼若さんも大好きな弁慶さんの知らなかった一面みたいなものなんです。そこを理解して貰えないのは…非常に納得が出来ませんね」
ぎらりととある人物に言わせるに獣のようらしい私は今日中に鬼若さんに私の愛を伝えるべく、鬼若さんを押し倒したまま自身の唇を舐めた。