エンゼル・トランペット



 ガタンッと、突如大きな音が深夜のオフィスで鳴り響いた。
 何事だろうと、音のした方を見れば、窓を背にして静かにパソコンに向かっていた上司がその場に立ち、バタバタと机の上を整理し始める。どうやら、先程の音は、彼女が席を立った時のそれらしい。
 なんとも豪快な。
 暦の上ではとうに秋に入ったと云うのに、夏はまるで名残惜しむかのように僕らの頭上にとどまる。四季を楽しめる地域が多いことが、日本の最大の特徴だと云うのに、近年消えつつある春と秋にため息した。
 そんなことだから、折角クールビズと云う言葉が蔓延していると云うのに、ちゃんとした場所ではジャケットとネクタイを求められるだなんて、詐欺じゃなかろうか。
 課長席に座る彼女もその例には漏れず、社外ではジャケットを手放せない。そして今は、夏用の薄手のジャケットをバサリと羽織っていた。数年前に流行り、何度も映画になっている刑事ドラマのとある登場人物のようなその着方は、なんとも勇ましい。
 ウィンと、僕の目の前に陣取ったパソコンが静かになる。僕はそ知らぬ顔をして、次の展開を待つ。
 かつかつと、これまた男らしい闊歩音。
「藤原くん、飲みに行くわよ」
 見上げれば、折角綺麗に整った顔をひしゃげている。目はきゅっと釣り上がり、唇を噛み締めたその顔に、僕は、またかと内心でのみ息を吐き出した。
「ええ、お供させて頂きます」
 にこりと微笑んでみせれば、彼女は長い髪をなびかせて、つかつかと扉の方へと歩いてゆく。僕は特段慌てることもなく彼女のあとを追った。
 仕事の話をするわけでもなく、プライベートの話をするわけでもなく、ましてや、互いに携帯電話をいじっているわけでもなく、それでも、オフィスを出てから店までは相も変わらず無言で。
 使い慣れたバーの扉を開けば、顔馴染みの店員がにこりと微笑み出迎えてくれる。
 控えめに、穏やかに笑う彼が奥の席に通してくれたのは、今日の彼女の顔を見て、気を遣ってくれたのだろう。
 彼女が何も云わずに、ぽすりと半円を描いたソファ席に座った処で、ウェルカムカクテルが置かれた。
 すかさず、適当に食べ物を注文し、店員がさがると、乾杯もおざなりに、ぼろぼろと、隣の女性が涙を流し始める。
 初めてこの光景を目にしたなら、誰だってぎょっとするだろうが、僕は至って冷静に、彼女に冷やされたおしぼりを手渡した。
「今回は随分と長かったですね、何ヵ月でした?」
 彼女は綺麗に化粧が施された目元を気にすることもなく、おしぼりを当てていた。ああ、マスカラやアイライナーは大丈夫なのだろうか。
「よ、四か月と二日」
 ぐずぐずと鼻を鳴らし、声を震わせる彼女を、うちの課の人間が見たら、きっと女性としての株がぐんと上がってしまうだろう。
「今度はなんて?」
「愛が重いって」
 僕は思わず口を閉じる。これは果たして、どちらを同情するべきだろう。
「今回は結婚だって真剣に考えていたんだよっ!?」
「たった四か月でですかっ?」
「愛に時間は関係ないよっ!」
 そりゃあ、男だって逃げたくもなる。
「藤原くんにアドバイス貰ったようにメールだって一日五回までにしたし、逢いたくても逢えないときは電話にした…。なのに」
 そして、ひくひくと子供のようにしゃっくりを上げて泣き始めるのだ。
「たぶん、内容が問題だったのではないかと…」
 ふと彼女から顔を上げれば、顔馴染みの店員が、両手に皿やらワインボトルやらで一杯にして、眉をハの字に曲げていた。
 どうぞ、置いておいてくださいと目で合図をすれば、彼は困ったようににこりと微笑む。ワインをグラスに注いだ彼に、毎度、大変ですね、と云われたような気がして、僕も思わず苦笑した。
 テーブルに並べられたサラダやアンティパストを彼女の皿に分ければ、もきゅもきゅと素直に食べ始める。そんな姿がいじらしくて、可愛いと云えば、彼女はきっと「年下の癖にっ!」と怒るに違いない。
 ライトボディのシャンパンをまたもやグラスの半分まで一気に煽ると、すでに彼女は頬を紅潮させていた。
 ぎゅうっと胸の奥が締め付けられるような気がして、僕も、ふつふつと気体を生み出すピンク色の酒を口に含む。苦く感じるのは、早くも酔いが回っているからか、それとも…。
「藤原くん、私、男運がなさすぎると思うの」
 突然なんだと彼女を見れば、もの凄く真剣な瞳が、僕を見つめる。どきりと高鳴った鼓動を隠して、僕は口をゆっくりと開いた。
「そうですね、そうかも知れません」
 いや、実際はどうなのかなんてわからない。
 しかし、思うのだ。
 彼女に愛された人間は間違いなく、幸せだろうと。
 彼女は、全身全霊を掛けて、その人を愛す。その人の過去も未来も、よい処もわるい処も、本当に全て。
 だからこそ、彼女の愛に堪え切れなかった男は、彼女の許から去っていくのだ。彼女と同等の、いや、それ以上のものを返すことのできない自分が情けなくて。あるいは、単純にその重さに堪え切れず、押し潰されてしまう。
 だから、彼女はいつだって誰からも愛を貰えずにいる。飢えて、いるのかも知れない。
 初めて、この店で一人で泣く彼女を見付け、隣に座った日、戯れに、「僕なんてどうですか?」と軽く云ってみたことがあったが、悩む間もなく一刀両断されてしまった。曰く、年下の男に、散々貢いだ挙げ句に捨てられたらしい。彼女らしいエピソードではあるが、決して笑い話にはできないのである。
 彼女の綺麗な指が、ボトルに伸びた。すかさずそれを遠ざければ、頬を膨らませて、彼女の小さな手が空を切る。
「ダメです。今日はピッチが早すぎます。せめて次の料理がくるまで待ってください」
「そんなことないっ!藤原くん、意地悪しないでっ」
 キャパ三人の広いとは云えないソファ席の中で、彼女はボトルを追って、思い切り腕を伸ばす。ひょいと取り上げて、僕も彼女に届かないようにと腕を上げるのだが、とうとう、彼女はソファに片膝を乗せ、本格的に追い始めた。
 シャンパンの爽やかな香りに混じって、女性が持つ、特有の甘い香りが、ふわりと波立つ。ぐらりと揺れる理性で踏張って、体を仰け反らせる僕を嘲笑うように、彼女は、僕のワイシャツを握り締めた。
「ホント…」
 眉間にしわが寄る。唇を噛み締める。けれど、鼓動は速度を高めるだけで、鳴り止んではくれない。
 ボトルを持っていない手で彼女の細い体を引き寄せれば、あっさりと腕の中に納まるのだから、残酷だ。
 抵抗をしてくれれば、もっと非道いことだってできるのに。
「うっ……っ……」
 そのままボトルをテーブルの上に戻して、彼女の髪を指で梳けば、素直に泣き始める。柔らかな髪の毛にくらりと目眩を覚え、体は昂ぶっていくと云うのに、空虚な気持ちに襲われるのは、彼女が求めているのは、いつだって僕とは正反対の男達だから。
 胸の中の女性は、肩を震わせ、声を噛み殺し、啼く。時々、聞こえてくる男の名前に、僕はきつく唇を噛んだ。
 貴方の泣き顔を知っているのも、酔って頬を赤らめる姿を知っているのも、僕だけだと云うのに。
 さらりとすくった一束の髪に口付ける。
 貴方が欲しいと、貴方の傍にいたいと云えない、臆病な自分を打ち消すように。
「ホント…今日は飲みすぎです」
 僕にしておけば、そんなつらい恋をしなくて済むのに。
 こんな風に、心ごと抱き締められたなら…。











Thank you for 4th Anniversay!
Specail Thanks 森本 飴様






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誰でもいい。誰かこのカップルの背中をどーんと押してやってくれ!

四周年(おめでとうございます^^)でフリーリクエストをやってらっしゃった泡沫草紙様に図々しくも図太い神経でリクをしてきました部下×上司小説です。ああ…相変わらず素晴らしい。手に取る様に分かる描写は簡単に真似て出来るようなものではありません。爪の垢でも煎じて頂きたい気持ちで一杯です。

望美の前しか見えていない性格とかお馴染な弁慶の後ろ向きさ加減とかひとしきりにやにやさせて頂きました。本当にご無理言ってすみませんでした!引き続きにやにやさせて頂きます(きもい)ありがとうございましたっ。






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