――猫を拾った。


最近は雨が多く、晴れ間が見える事が少ない。傘を持って出かける事が常となり、交通機関は人で溢れ返っている。

幸い自分は家で出来る仕事だし、会社に赴かなければいけなくても徒歩で十分行ける距離だった。

元々雨は嫌いじゃない。

雨が降っている日は静かだし、音が好きだったから。

そんな日常で見つけた高架下の段ボール。

普段はそこに何があろうと気にした事はなかった。例えそれが古ぼけた自転車だろうが不自然に置かれた鞄だろうが。

しかしその時は何故か少し開いた蓋の中が気になって――近付き、覗いてしまった。


「にゃ〜」


ごそりと動いたのは小さな白い塊。隙間から碧の大きな瞳がこちらを見返していた。

縫い付けられたように固まった僕には――何も見なかった、とその場を去る事が出来なかった。






*****






傷からたらたらと血が流れる。

猫が傷付いていた訳ではない。無理矢理シャワーを浴びせた事で引っ掛かれた僕の手と腕からだ。

幸い衰弱していなかった白い猫は所々薄茶けていて寒い中、放置されていた為だろうぶるぶる震えていたのでついでとばかりに風呂に入れたのだ。

猫らしく、水が嫌いらしい。元気に暴れ、抵抗された故についた。


「っ…つつっ」


軽く消毒し、血を拭うとそんなに深くない傷口は治ろうと血を凝固させていく。包帯は疎か、絆創膏さえ貼る必要はないと判断した僕はまだ当たると微かに痛む肌に触れないように腕まくりをする。

すっかり乾き、毛繕いしている猫を見た。


「…望美――望美さん、か…」


ちりんと鈴の付いた赤い首輪に彫られた名前。大切にされて来たのか、そうでないのか判断には易いが…その音に反応した猫をその名で呼んだ。


「望美、…さん。おいで」


にゃあと鳴いた猫はとことこと寄って来て僕の膝によじ登った。まだ子猫なのに随分人慣れをしている。


「皮肉ですね…」


彼女は離れていったのに。

小さな頭を包むように撫でれば気持ち良いのか喉を鳴らした。

同じ名前の紫苑の彼女。

僕の大切な人――好きで好きで…愛している。

――今日と同じ、その日も雨が降っていた。






*****







「別れたいって…。何の冗談ですか…?」


一ヶ月ぶりに訪れた彼女を玄関先で強く抱き締めて――愛しさに任せ、口付けを送ろうとした僕を彼女は押し留めた。

そしてその唇から告げられたのは急な別れの言葉――信じられる訳がなかった。

震える声で虚勢を張り、笑みを浮かべようとしたが上手くいかない。

望美さんはしかし僕の背に腕を回す事なく、胸を押して抱擁を解こうとする。


「冗談なんかじゃありません…。他に――好きな人が出来たんです。だから弁慶さんとは、もう…」

「……僕の事が嫌いに…、なりましたか…?」

「ッ――嫌いじゃありません…!嫌いじゃないっ…」

ぽとぽと落ちる雫。

拒絶したのは彼女なのに何故泣くのか。

――雨のようだと思った。

清い心から流れる、愛しい涙。

僕は――彼女を疑わなかった。


「……君の涙を拭う事が出来るのは僕だけです」


そしてそっと顎から目尻にラインを引く跡をなぞるように辿り、指に水滴を乗せた。

温かい、と感じた涙は空気に触れて肌と同じ温度に溶ける。

僕はそのまま髪を掻き上げ、額に唇を押し付けた。ぴくりと腕の中で望美さんが震える。


「っ…!」


バッと力任せに僕を突き飛ばし、拘束から逃れた望美さんは玄関のノブに手をかけて何も言わずに出ていった。


「望美さんっ…!!」


僕も次いで玄関を飛び出し、後を追ったが雑踏をすり抜け走り去る彼女に追い付けなかった。

未だ降り続ける豪雨の中で僕は名前を叫んだが彼女は答えず、人混みに消えた。






*****







「僕もいい加減女々しいな…」


ふわふわの子猫特有の柔らかな毛並みを撫でながら自嘲気味に呟いた。

あれから彼女の携帯に電話やメールを送ってみたが返事は返ってこない。焦れて彼女の通う大学まで足を運んだがどうやら暫く休学しているそうだ。

何かあったのでは…と思う反面――避けられている、そう判断しても諦められなかった。

彼女の声が聞きたい。

彼女の笑顔が見たい。

彼女に………触れたい。

仕事が手につかない――そう言う訳でもないのだが暇さえあれば彼女の事を考えている自分に少し呆れた。

いい歳した大人が一人の少女に振り回されるなんて…。


「どうして彼女は僕から離れたんでしょうね…。ね、望美さん」


膝の上で寝かけている彼女と同じ名前の猫を両手で持ち上げ、目線の高さまで持ち上げると不満そうに手足をばたつかせて身体を捩った。

碧の両の目の輝きが本当にそっくりで…そんな風にじたばたする様子もお転婆な彼女に似ていた。


「ふふ…。自分にそっくりな猫を僕が飼い始めたと知ったら望美さんはどんな反応をするかな…」


嫌がるだろうか、気持ち悪いと蔑むだろうか…。

――いや、彼女はそんな女性じゃない。

きっとあの大きな瞳が零れ落ちそうなくらい見開いて頬を染め、困ったように微笑するだろう。

白い子猫を抱き上げ、「そんなに似てます?」と照れた顔の自分と見比べさせてみせるかもしれない。

――ああ。


「忘れられる訳、ない…」


苦しいほど胸が締め付けられ、眉根を寄せた。

幾ら愛おしいと言っても足りないほど彼女を愛してる。


「好きです…っ」


ぎゅっと暴れる猫を胸に閉じ込め、届かない想いを口にした。

外はまだ、雨が降っている。







初めリアルに猫望美と弁慶をいちゃいちゃさせようと思って書き始めたんですが…何故かこうなったかは管理人にもさっぱりです。

意外と好評頂けたので続きます。



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