※微エロ注意!ヒノエが特に酷い扱いです。






「とりっくおあとりーと」


鼓膜に直接響くような不思議な音が慣れない言葉を紡ぎだす。

背後からかけられた声に首を巡らせると身体を任せているソファーの背もたれに一人の狼男が両肘を付き、こちらを覗き込んでいた。

淡い髪の色に乗る漆黒の耳と尻尾はふさふさとしていて可愛く、良く似合っている。


「弁慶さん」

「疲れましたか?望美さん。そんな顔をしています」


美貌の容姿に薄く笑みを浮かべ、弁慶さんは私の頬に触れた。少しひやりとした手の平が肌を包む。

気持ちは昂揚していたが無意識に顔に出ていた疲労に思わず、苦笑いを零した。


「少しだけ。皆と騒ぐと楽しくて…ちょっとはしゃぎ過ぎちゃいました」


振り向いた私の右頬に重ねられた大きな左手。心地良さに私もその甲に触れてすり、と頬擦りをした。

微かに指が震える。

けれど顔も態度もいつも通り、動揺は微塵も見せない。

ゆったりと会話を口にする。


「馴染みのない催しでも意外と楽しいものですね。その君の格好も少々目の毒ですが…可愛いですよ」

「あ、ありがとうございます…」


ハロウィンの今日、皆個人個人何らかの仮装をしていた。

日本人には習慣性の薄い行事ではあるものの――面白そうだと言い出したヒノエ君によって今日、有川家では八時からハロウィンパーティーが開かれていた。

まぁ、どこから手に入れたのか衣裳の準備もばっちりで…渡された物を促されて袖を通した。

魔女の格好――それは良いのだけれどふわりとした上着とは相反し、裾は凄く短いギリギリ見えないミニスカートだった。

現代に順応し切って、ある種その上での独創性を花開かせかけているヒノエ君に呆れを通り越して感心する。

けれど折角用意してくれた衣装だし、とその格好で参加していた。

パーティーは期待を裏切らず面白く――びっくりしたり、笑ったりで…もう時効は夜の十一時を少し回っている。

私達両家の親は仲が良く、今回も揃って旅行に出掛けていて諫める大人は誰もいない。周囲の家の迷惑にならない事だけを考えていればいいのだから気楽なものだ。

しかし――こうして盛り上がる部屋とは別の空間に改めて弁慶さんと二人きりになると少し緊張する。

おおっぴらに公言している訳ではないのだが弁慶さんとは想いを通わせていて…恋人と言っても良い関係なのに座ると更に捲り上がるスカートが妙に気になった。


「望美さん、とりっくおあとりーと」


饒舌で知的な弁慶さんからお決まりの台詞がたどたどしく再び告げられた。

さっき散々お菓子の交換をしたのにまだ仮装の姿でなりきる彼が少し子供っぽく見えて思わず笑ってしまう。


「えへへ、もう食べちゃいましたから持ってません。でもほら、向こうの部屋にはまだ一杯ありますよ?」

「おや、今持ってませんか。それは――いけませんね…。じゃあ、“とりっく”です」

「え――わわっ」


触れていた手を顎にずらし、軽く引き寄せられる。空いた頬に暖かく柔らかい唇が押し付けられた。

ちゅっちゅっと軽いキスが頬に額に鼻にと、幾つも降り注がれる。

弁慶さんらしくない可愛らしい行為に身を捩って笑みが零れた。


「ふふっ…弁慶さん、くすぐったいです」

「君の柔らかい肌を頂いているんですよ」


そのまま暫くクスクスとじゃれ合っていたが弁慶さんはふと思い付いたように私を離し、ワイシャツの胸ポケットを弄った。

そして目の前に出されたのはキャンディーのような包み紙に入った物。


「それ、なんですか?」


見慣れない物に私はくるりと姿勢を変え、ソファーを挟むようにして立つ弁慶さんの方に向き直った。

お菓子は好きでよく買うけど見た事のない外包紙だ。捻るように両端が止められている。


「チョコレートですよ。甘い物お好きでしょう?美味しかったので君にもどうかなと掠め取っておいたんです」

「わぁ、嬉しいです!」


かなりのチョコもクッキーも食べたが弁慶さんが私の為に持って来てくれたのだ。別物に決まっている。

嬉しいし、凄く食べたい。

くるくると捻りを解き、現れた一つの焦げ茶の塊を弁慶さんは自らの指で摘んだ。


「はい、望美さん。あーん」


本当に――朱雀の二人は順応力があり過ぎる。そんなカップルお約束の行動をどこで学んで来たのか…。

困るのも照れるのも私だけだ。


「あ…、あー…ん…」


周りに誰もいないのが唯一の救いだなぁ…。

赤くなり、戸惑いつつも差し出された甘く苦い菓子を食べる為に口を開いた。

弁慶さんの指が近付いてくる。


「まっ、た…!望、美ッ――そ…れ、食う、…っな!」


薄く開いた部屋の扉から絞り出すような声が聞こえ、視線を向ける。

するとそこには地面に倒れながらぶるぶると震える腕で這って来ている赤い猫がいた。


「っどうしたの!?ヒノエ君ッ大丈夫!?」


仮装の猫耳にしなやかな尻尾をつけたままのパーティーの主催者は息も絶え絶えで――駆け寄る私を見る、視線すら焦点が合わない。

そんな自分すら構わないと言った様子は明らかに異常で私は脂汗が浮かぶ身体を支えようと手を伸ばした。

抱き起こすように抱えた私の腕を強く掴み、ヒノエ君はか細く消える声を張り上げる。


「駄目なん、だっ…アイツ、菓子に毒を…ッ!」

「人聞きの悪い――毒とは失礼ですね。ただの痺れ薬ですよ。そんな言い方は心外です」

「弁慶さん!?」


苦楽を共にしてきた仲間に薬を盛ると言う常軌を逸した発言に名前を呼ぶ声が思わず裏返った。

しかも相手は自分の甥っ子なのだ。正気の沙汰とは思えない。

しかし私とヒノエ君を見下ろす弁慶さんの表情は冷たいが至極楽しそうに見えた。


「流石…とでも言っておきましょうか、ヒノエ。あの量の薬を摂取しておきながらまだ動けるなんて――兄も君が後継ぎで喜んでいるでしょう」

「ッよく…言う、ぜ…どの口が…!事、あるごとにっ…煮え湯、飲ませておき、な、…が、っら」

「そうでした。耐性がついたのは僕のお陰ですね」


こんな状況でも交わされる会話は普段と変わりない。それが空間に違和感を漂わせた。


「早、く…逃げろッ――望美!皆、やられ…たっ、んだ。お前は――お、前は…は?」


くん、と鼻を動かしたヒノエ君はよくよく私の顔を見つめた。そして未だにソファーに寄りかかる弁慶さんを振りかぶる。

その手に握られているのは一枚の外包紙――。


「た、食べちゃった…」

「!」


ヒノエ君の存在に気付く寸前、緩慢な動きでチョコを運んでいた弁慶さんの指が口に素早く潜り込ませられた。まるで内々に済ませるかの如く、与えられた甘みは隠すようで微かに眉をひそめたのだが…。


「きゃっ」


不意に肩に手がかかり、グッと身体が持ち上げられた。しがみ付く物をなくしたヒノエ君は再び床に倒れ込む。


「ぐっ…」

「彼女に僕がそんな薬、盛るとでも?有り得ませんね」


背後から腰を抱いて足元にいるヒノエ君から私を引き離し、さも無粋な事を言ってくれると吐き捨てた。


「弁慶さんっ、何を――何を飲ませたんですか…!」

「あぁ…怖がらないで、望美さん。すみません、ヒノエさえ来なければただの楽しい逢瀬として過ごせたのに…怯えさせてしまいましたね。――大丈夫、君に与えたのはもっと…いい物ですよ」

「いい…物?」

「ええ、単なる媚y――精力剤です」


言い換えたとしてもそうかも知れないと薄々は感じていた。自分の身体なのだから。

この段々と熱が上昇してきて肌が敏感になっている感覚は栄養ドリンクにもある精力剤の括りに入れていいはずがない。

バッと拘束する腕から逃れ、部屋の隅の家具の影に隠れる。


「ど、どうしてこんな事するんですか!?皆だってリビングにいるのに…!」


媚薬を盛る目的は一つの行為にしかない。

全員を動けないようにした上での弁慶さんの周到な計画が恐ろしくてぷるぷると身を震わせた。

しかしそんな様子を見たかったとでも言うかの妖艶な笑みを浮かべた弁慶さんはじりじりと私を追い詰める。


「安心して下さい。朔殿には不眠時に投与する程度の少量の眠り薬を与えました。四肢が痺れて身体の自由がきかないのは男だけですよ」

「だから何で…!」

「彼らには君は僕の物だと言う事を十分知って頂こうと思いまして。今日も――美しい君の足をじろじろ見て…僕もいい加減我慢の限界です。二度と邪な想いを抱かないように脳に刻み込んであげましょう」


壁に両手をつき、私を閉じ込める。両の瞳はの観念しろと言外に言い募っていた。

さっきより更に身体の変化が顕著になってきた私も逃げられないと感じつつも苦し紛れに胸を押し、止める理由を口に出す。


「さ、さっき“悪戯”したじゃないですか!二つもするなんて卑怯ですッ」

「悪戯?…あぁ。あれの事ですか」


覚えがないと視線を虚空に漂わせ、合点が言ったかのように小さく首を振る。


「――ふふ。可愛いですね、望美さん…。先程の口付けを悪戯だと思って下さったのですか」

「そうですっ。だからこれ以上は駄目で――」

「あんなの…ただの愛しい君への愛情表現ですよ。悪戯とは言いませんね」


身を竦めて壁と弁慶さんの間で小さくなっている私の手を取り、恭しくゆっくり唇が押し付けられた。

柔らかく、暖かい感触が指に伝わる。


「っ…」


瞳が伏せられ、かかる金糸にも似た睫毛に見惚れてしまったのは心底この画策を常とする彼に心を奪われているからだろう。

甘い蜂蜜の虹彩が覗き、私を見据えた。


「僕は――大人、ですから…。悪戯が何とするか分かって下さいますよね?」


すすっともう片方の手が太股を撫で擦った。布を捲り上げようかと言うその位置にある手が厭らしく、下着のラインを辿る。


「ちょ…!弁慶さん、駄目ッ」

「今日はハロウィンなのでしょう?“Trick or Treat”。“Trick”を選んだのは君です」


さっきまでのたどたどしい口調はどこへやら。流暢に発音し、言葉をその艶やかな唇に乗せる弁慶さんはにこりと微笑んで見せた。

頭には黒い狼の耳。ふわふわと尻尾は動く度、揺れる。

視界の隅には痺れが回ってきたのか完全に床に突っ伏すヒノエ君が見えた。


「お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃいますよ?」


仮装とは思えないほど一体化しているつけ耳が一瞬ピコピコ動いた。

――多分どっちを選んでも結果は同じ。







因みに朔だけ眠り薬だったのは弁慶さんなりの望美への配慮です。親友と気まずくならないように、と。逆に男全員とは気まずくなって欲しい。実に通常運行ですね。



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