彼は死神(短篇ボツネタ)
2020/07/20 09:23

夢主=○○表記


○○には、死の淵をさ迷った経験がある。

それは七才の頃。今から十年前。

断片的だが覚えている。

平均より遥かに小さく産まれた○○は元々体が弱い方で、季節の変わり目には必ず体調を崩した。

それは、何度目か分からない入院をした夜だった。

ベッドで寝ていた筈の幼い○○は、いつの間にか果てしない暗闇の中に立っていた。

今まで感じた事がないくらい体が軽い。あれほど苦しかった呼吸も楽だ。

きっとこれは『夢』だと思った。

夢の中の○○はいつも自由だ。力一杯走ることも空を飛ぶことだって、何でも出来た。

でも、今回の夢は少し違った。

「随分と若い魂だ」

どこからともなく現れたのは見知らぬ青年だった。

黒髪や黒衣が闇に溶け込んで全貌をはっきり視認出来ないが、二十代前後の若い男のようだ。

一切の配慮もなく父親より大きな男性に見下ろされるのは初めてで、ただでさえ臆病で人見知りする○○はブルブルと震えた。

「死因は肺炎か。その割には最期は苦しまずに済んで運が良かったな」

妙な雰囲気の男だった。

彼と向き合っていると、二階のベランダから道路を見下ろす時と同じ背筋がヒヤリとする感覚がする。

男は唐突に「来い」とだけ言って○○の華奢な肩を掴んで引っ張った。

どこかに連れていかれると焦った○○は夢だというのも忘れ、必死に抵抗した。

「あ、っ……や、やだっ……たすけて!」

――――恐怖心からか、このあたりの記憶は曖昧だ。

ふと気が付くと、男と○○は静かに向かい合っていた。

彼から逃れたいあまり何かとんでもない事を口走ってしまったような気がするが……この時の○○の頭の中には彼から解放された安心感しかなかった。よく覚えていないがよっぽど取り乱して泣き叫んだようで、鼻が詰まって目が痛い。

「――――これは取引きであり、契約だ」

とても不思議な光景だった。

○○の目の前に差し出された男性の大きな掌の上では、青い炎が燃え盛っていた。

こんなに近くにあっても熱気を感じないなんて、子供ながらに疑問に思った。

「望み通り……寿命を延ばしてやる」

男性がふっと息を吹き掛けると、炎は引き寄せられるように○○の胸へ吸い込まれていった。

その瞬間、ドクン!と心臓が大きく脈打ち、全身に熱が行き渡っていく。

炎の中に身を投じたような熱さにたまらず○○がうずくまって呻いていると、男は跪いて氷のように冷たい両手で○○の頬を包み込んだ。

泣き腫らした目をした○○とは対照的に、男は吊り上がった涼しげな目元をしていた。

「自分の発言に必ず責任を持て――――○○」

のちに知るが――これは、○○の心臓が止まっている間に見た夢のようだ。

およそ五分間に及ぶ心肺停止の状態から奇跡的に蘇生した○○は、それから驚くべき早さで回復した。

その日以来○○は鼻風邪の一つも引かないような嘘みたいな健康体となり、掛かり付け医が舌を巻くくらいだった。

「奇跡だ」と、誰もが口を揃えて言った。

奇跡――果たして、本当にそうなのだろうか?

あの時……再び心臓が動き出して目が覚めた直後、胸のあたりがほんのり温かかったのは……ただの気のせいだったのか。

どうも釈然としない気持ちだが、何だか彼の話は誰にもしてはいけない気がして、現在に至るまで○○は時折思い出して懐かしむのみにとどめていた。

体は丈夫になったが病気がちだった幼少からの内向的な性格はそう簡単には変わらず、高校二年生になった○○は小遣い稼ぎも兼ね、ファミレスでバイトをしながらコミュニケーション能力の向上を試みた。

最初の一月(ひとつき)は業務内容を覚えるのに精一杯だったが、二ヶ月、三ヶ月と経つといくらか余裕が生まれ、常連の顔もぼちぼち覚えられるようにもなり……それによって、あることに気が付いた。

「あの人、また来てるよっ」

同じ時期に雇われて仲良くなった女子が、焦ったように話しかけてくる。

彼女に促され、バックヤードからこっそり店内を覗き見た○○の視線の先には、いかにも上等な黒いスーツの後ろ姿。しっかり整えられた黒髪は背後から見ても清潔感があった。それに加えて長身なのでかなり目立つ。

他の客同様にスマホを弄ることもなく注文が届くのを大人しく待つ彼は近寄りがたい雰囲気はあるものの、本来ならそこまで疎まれるタイプの客ではないが……。

「……いつもどうやって調べてんのかねぇ、○○ちゃんがシフトに入ってる時にだけ現れるんだもん。超ブキミ」

「でも……偶然かも」

「いやいや何言ってんの、そんな訳ないじゃん!」

彼女の言う通り、彼は○○がバイトを始めた初日から“週に三回”必ず来店する妙な常連客だった。

「きっとストーカーだよ!なんかいつも喪服?礼服?みたいなの着てて何の仕事してんのか分かったもんじゃないし、もしかして反社かも。○○ちゃんマジで警察相談しに行った方がいいって」

「バイト先(ここ)以外では一度も会ったことないし、何かされた訳じゃないから多分取り合ってもらえないよ……でも心配してくれて、あ、ありがとう」

○○が精一杯の笑顔で言うと彼女は一応納得したようで、渋々だが持ち場に戻っていった。

……一人になった○○は改めて彼を盗み見る。

○○を案じて他の店員が積極的に彼の接客をしてくれているお陰で今では関わる機会はほとんど無いが、彼とはなんだか……前にも会った事があるような気がするのだ。

――夢の中で。

なんて、我ながらメルヘンで恥ずかしい表現だ。

どこか遠くを見ているその吊り目が、生死の境をさ迷った時に見た夢の彼に似ているからそう思うのだろう。

――でも、男の人はやっぱり苦手……。

昔から○○は変な男性に絡まれやすい。外見からして小さくて大人しそうなので、舐められてしまうのだろう。

折角仲良くしてくれているバイト仲間に迷惑をかけたくなくてさっきはああ言ったが、暫くは警戒した方がよさそうだ。

本当に今の所はバイト先以外で彼を見かけた事はないが、これから先も大丈夫なんて保証はどこにもない。

執着される理由が好意であるとは限らない。人から恨まれるような事をした記憶はないが、用心するに越したことはないのだ。

杞憂で済めばいいのだが……。

「○○ちゃーん、6番テーブルの片付けお願い」

「は、いっ、分かりました」

○○は思考を中断し、仕事に戻った。


――そのしなやかな脚に、一瞬黒いモヤのような物がまとわりついて消えた事には気が付かなかった。

××××


リクエスト作品として執筆していたんですが……前にネタ帳にあげた山の守り神のボツネタと被り過ぎてしっくり来ず、ボツにしました。

男の正体は死神です。

夢主の死にたくないという望みと引き換えに、死後の魂は男のものになる……という契約を結んだ。

というお話でした。





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