ごった煮 | ナノ

埋められるときまで

原作の数年後設定


「婚約、か」
 ある晴れた春の日、城下町は一際賑わいをみせていた。そんな中でぼやいた声は、きっと誰にも届きはしないだろう。けれどそれでいいし、寧ろ聞かれてはいけない。
 それなりの時を共にしてきた相棒であり、家族である愛馬――エポナと共に見下ろした先には、人、人、人、人。町のいたる所には色とりどりの花が咲き乱れ、民家や店の外壁も色紙であったりペンキで華々しく装飾されている。中でも、町を象徴する巨大な鐘を支えるブリッジに貼り付けられた文字は目を惹いた。そしてその文字はそこだけでなく、民家の壁にであったり窓にであったり、店の看板の本来の目的を奪ったりして存在感を存分にアピールしていて、その浮いた感じがリアルさと非現実さを伴わせている。それは自分にとっては少しだけ非現実さのほうが勝り、実感として胸の内に押し寄せた。
 『ご婚約おめでとう』と、でかでかと書かれた布が、ブリッジにて風を受け緩やかにはためいていた。冒頭のセリフはこれに起因するもので、城下町の華々しく仰仰しい装飾もすべての要因はそこにいきつく。
 これだけ盛大に国をあげてのものなのだから、誰の、というのは想像に難くはないだろう。この度の婚姻は、世間でいえば若くして国を治める王女のものであり、個人からすれば親友にして幼馴染みのものであった。そしてそれはもうひとり、つまりは王女のお相手となる新郎にも当てはまることで、新たに国王となる彼もまた、大事な幼馴染みで親友だった。国を窮地から救いだした勇者として、王女ほどではないにしろ、彼も広く世間に知られている。
 まるで古いお伽噺のようなこの婚約は、謂わば国民の願いの集大成のようなものだ。元々小さい頃から仲の良かった二人であったし、先の闇の侵攻によって敵の術にかけられた彼女を救いだしたヒーローである彼は、国民から熱い憧れと深い信頼を寄せられていたのだ。そんな二人だからこそ、国民は二人がそうなることを望んだ。もちろん貴族側からの反発は相当なものだったが、要は国民の願いはそれすらも上回ったということである。花弁が舞い、白い鳥たちが宙を滑る素晴らしい町の景観も、すべては民の意思にして願いの現れということだ。本や歴史書に載せるには素晴らしい話である。
 けれど、貴族同様、いや、理由は違えどあまり快く思えない自分にとっては人生で一番最悪な日となることは間違いない。早い話が、自分は彼の事が好きだったのだ。幼馴染みや親友としてではなく、ひとりの異性としてだ。長い長い片想いだった。自覚しはじめたのは、彼が彼女を救う旅に出たあたりからだろうと思うが、きっともっと幼い頃からにだったに違いない。彼が旅を始めてから生まれた寂しさは、それまで感じたことのない痛みを伴っていたのだ。鋭くはないが鈍くもない自分は、それだけで自分の中での彼の位置が理解してしまった。理解しなければ、きっと幸せなままだったろうに。彼女と、彼と、幼なじみとして楽しくやっていけただろうに。 
 だが、そんなことを思っても仕方がない。ゆるゆると首を振って、バカな妄想を振り払った。もう、現実はそこまで迫っているのだ。今更何を考えようと、何をしようと、栓なきことだ。
 ぐっと手綱を握れば、まるでこちらの葛藤を読んだようにエポナが顔を寄せてきて、小さく鳴いた。まったく、主はこんなダメ人間だというのに、良くできた相棒である。相棒の優しさが心に染み込んでいくようで、そっとその鼻を撫でることで応えた。
 今は辛くとも、きっとそんな過去もあったんだと笑える日がくるだろうからと。それまで、少しの我慢、理性をもって律すればいいのだと。
「だから、少しの間、私のわがままな旅に付き合ってね、エポナ」
 ごめんね、と言えば、今度は気にするなとばかりに力強く鳴いた相棒に、自然と笑みはこぼれる。
 そろそろ行こうか、手綱を引けば、どこからかラッパ等の管楽器の音色が響いた。どうやら、時間がきたらしい。壮麗な音楽とともに馬の蹄が地を蹴る音も耳に入る。それに誘われるように、人びとが町を縦に結ぶ街道へと流れていった。おそらく、人が流れ着いた先には彼と彼女がいるのだろう。馬車に乗って、白い衣装に身を包んで、幸せそうに笑っているのだろう。
 確かめようとも、最早人垣によってそれは不可能に近い。まあ、確かめずともよいのだ。しかし、ふたりの顔を見られないのは、ちょっぴり惜しいものがある。ふたりが幸せそうにしていたなら、胸が痛くとも区切りと切り替えができたかもしれなかったから。
 ふ、と自嘲気味な笑みをこぼして、くるりと踵を反した。
「行こうか、エポナ」
 いつか、二人の間に子供ができたときにおめでとうと心から言えるようになるまで。その日までは、
「さようなら、ふたりとも」

back