ごった煮 | ナノ

手を引いておくれ

「ピカピ!」
「……待って」
 進んでは振り返り、進んでは振り返り。
 黄色く小さな身体が愛らしい相棒のピカチュウは先程からそうして僕をどこかへと導こうとしていた。
「どうしたんだよ、ピカチュウ」
 たたた、と足早に進む相棒。
 最近は模擬バトルばかりで、相棒がそれに若干飽きを訴えていたのは知っていたが、さては彼にとって感興をそそらせる何かがあったのだろうか。
 そう、一つの仮説が頭を掠めた。
 しかし、だとしても、だ。
 そこにわざわざ人間を連れていく必要などあるのか。いくら旅を始めた当初から共にいるとはいえ、人とポケモンの感性の差が埋まるわけではないし、変わるわけでもない。それは生まれもったものであって、ポケモンに備わっている特性に近しいものだからだ。故に、彼が楽しいと思ったところで、僕がそう思うわけではない。まあ、景色とか、そういった共通の“目”を通したものならばまだわかる。けれど、あくまでそれは一般の話で、生憎と僕は自然に美的何かを感じられる感性は持ち合わせていなかった。それは、長年相棒を務めている彼ならば、当然承知の事実のはずだ。
 ならば、何故、彼はこうも僕を誘うのか。
(……ああ、そうか)
 シュンッと、また一つ、仮説が過った。
「なあ、ピカチュウ」
 ピィカ? 彼は振り返った。
 その、仮説とはつまり、僕と彼が“共感”をもてる、“共通”の事柄。僕も、彼も、好きなもの。
 ――普段使うことなどない表情筋が、微かに動いたのがわかった。そして、彼に問う。
「“誰が”来た?」
 僕が好きなものは、ポケモン、ポケモンバトル、ポケモン。つまりポケモンに関わるものすべて。
 彼が好きなものは、ポケモンバトル、ひなたぼっこ、散歩。これに共通するもの――すなわち。
「ピィカ、ピカチュウ!」
 ほら、あそこだよ!
 そう言わんばかりに、短い腕と小さな指でしきりに何かを指し示す彼。
 その先にあるものとは、
「ねえ」
「……? ……!」
 黒く一つにまとめ上げられた髪を揺らす、たぶん、僕よりも5、6歳は年上だろう女性。そして、女性の後ろに佇む見たことのない黒い獣。おそらくは他の地方のポケモンだろう。女性は、僕の声に、僕の存在にひどく驚いたように絶句して、黒い獣のは警戒を露に唸る。
 確かに、シロガネやまに人間なんてそうそういるものではないから、女性が驚くのも無理はない。
 ……それよりも。
「あなたは、トレーナーだよね?」
 でなければ、シロガネやまに立ち入ることなど許されない。シロガネやまに立ち入ることが許されるのは、ここを繋ぎとして広がる二つの地方の頂点に立った者、そして特別に認可されたリーグ関係者つまりは四天王と、同じくジムリーダーのみだ。
 だが、どちらの地方のジムにも女性のようなリーダーはいなかったし、また四天王にもいなかった。チャンピオンは変わるが、四天王は関門のようなもので、役割的にはジムリーダーと似たポジションにある。
 篩(ふるい)として存在する彼らがそうそう変わってしまえば、つまりは水準が動くことなりかねない。それは、挑戦者にとっては大きな変化になる。リーダー以上チャンピオン以下。なんとも難しい位置であるのが四天王で、リーダー以上の実力を持ちながらも、チャンピオンの下でなければならないそれはもはや道化だ。
難しい中間職だからこそ、彼らの代わりというのはあまりいるものではなかった。
 自分がリーグを制覇してから三年は経つが、それぐらいでは四天王のメンバーが変わるわけもない。
 つまり、この女性は。
 表情筋が、また動くのがわかった。
(元、チャンピオンか、現チャンピオンか)
 コクリ、女性が頷いた。ならば。
「バトル、しよう」
 言うのと同時に、ピカチュウに下がるように目で伝える。それから、女性を見た。
 その女性の目は、まるで戦意が感じられず、寧ろ何か焦っているようだった。おそらく、まさかシロガネやまでトレーナーとバトルするなんて夢にも思わなかったのだろう。しかも、ここは最深部。いくら二つの地方を制した者とはいえ、ここまで来るとなれば、人間は勿論、ポケモンのほうも疲労が溜まっているはず。
 しかし、トレーナー同士の目と目が合えば、それはバトル開始の合図であり、また了承の意味をもつ。
 僕が一つボールを投げれば、ポン! と耳馴れた音とともに、光からカメックスが現れた。
「……逃げないよね?」
「……視線が合ったらバトルの合図。……わかってる。そこまで落ちてないよ……レントラー」
「……レントラー?」
 ス、と、女性の後ろにいた黒い獣が、女性の呼びかけに、自身の主人の前へと躍り出た。前に出ることで全貌が露になったそれは、黒と青の獅子のようだった。
 バチィッと、空気中で青い閃光が瞬く。
(でんきタイプか)
 戦意を若干和らげ、興味深くレントラーと呼ばれた獅子を見た。やはり、見たことのない種だ。
 そんな僕に、女性は、ああ、と答えてくれた。
「シンオウの子なんだ」
「……へぇ」
 チャンピオンに、見知らぬポケモン。
 ただえさえ、久しぶりの人間相手のバトルを前に興奮もひとしおだと言うのに。揃えられた二つのカードに、それはさらに高められていく。
 他にも何がいるのか気になるところではあるが、それはバトルしていればわかることだろう。カメックス、そう呼び、戦闘体勢に入れと、視線をレントラーから女性へと戻す。
女性と、再び視線が交わった。
 女性も、こちらの雰囲気の変化を読み取ったようで、諦めたようにもう一度レントラーの名を呼ぶ。
そして女性は間を置かずに先制を取った。
「でんげきは!」
「からにこもるで耐えろ」
 バチィバチィッと稲妻がカメックスを襲う。
 でんげきははそのスピード故にほとんど必中技だ。ましてやすばやさに欠けるカメックスが避けられるはずもない。まもるで凌いだほうがダメージは無いが、向こうは見るからにすばやさが高い。まもるは使った後に隙が出来やすいのだ。そのすばやさで、こちらが体勢を整える前に絶対にそこを突かれてしまう。……そうなれば、相性上こちらが圧倒的に不利だった。
「カメックス、そのまま回転しながらハイドロポンプ」
「! レントラー、避けて!」
 堅固な甲羅に、高い防御力が売りのカメックス。効果は抜群とはいえ、まだまだイケるようだ。
 高速で回転するカメックスから放射された膨大な量の水は、回転から生まれる遠心力によりやがて大きなうずしおとなってレントラーに迫る。
 どうやらそのすばやさを活かし、ギリギリ大ダメージを喰らわない程度のところまでは避けられたようだが、生憎ここは狭い洞窟の中。運悪くレントラーの後ろには巨大な岩石があった。
「ギャウン!」
レントラーの体躯が水に押され、岩肌に叩きつけられる。
しかし、女性はそれを大して意に介さずに次の命を下した。
「飛んで渦の上に。それからほうでん!」
「……!」
 レントラーは叩きつけられたダメージをものともしない身軽さで、言われるままに地面を蹴って宙に浮く。カメックスが作るうずしおよりも、高く。
 その驚異的なジャンプ力に目を開くのも束の間。いくら下が電気を通しにくい地面とはいえ、ハイドロポンプのせいで濡れてしまった。犯した失敗にチッと舌を打つ。水が電気をよく通すのは、別にポケモンバトルにおける相性でなくたって常識で、この世の摂理。
 もはやからにこもるでは防げない。カメックスに回転を止めさせ、仕方なしにまもるを指示した。
 途端、辺りを眩い電光が包み込む。
 そうして光が止みきる前に、カメックスの前に飛び、躍り出るレントラー。先程から地面にあまり触れないでいるところを見るに、どうやらじしんを使われることを恐れているらしい。
マズイ、そう思った瞬間には、レントラーの鋭い牙が、体勢を立て直せていないカメックスの喉元へと迫っていた。
「……運悪すぎでしょ、私――レントラー、かみなりのキバ」
 バチィッ、カメックスの喉元で一際眩い電光が走る。カメックスの太い叫びが洞窟に木霊し、ドタンと青い巨躯が地面に臥せった。
 ……急所に当たったのだろう。しかも、麻痺というオマケまで付いてきた。
 そこを、女性が見逃すはずも、してくれるはずもなく。女性が指示し、レントラーはまた地面を蹴る。
「――かみなり!」
 先ほどなど比べ物にならないほどの光が、虹彩を突き抜ける。虹彩の限界がきたところで、 反射的に目を瞑る。すると直ぐに辺りは暗くなり、レントラーとピカチュウのフラッシュだけが頼りの空間へと戻っていった。
「戻れ、カメックス」
 傷つき、戦闘不能となったカメックスをボールに戻した。
 そして、次なるポケモンを出すために、ホルダーに取り付けたボールに触れる。
 女性を見れば、先ほどまで戦意がなかった瞳が嘘のように、爛々と煌めいていた。
「……僕はついてると思うけど」
 久しぶりに見る、畏怖と畏敬以外の目。
 それをみればゾクゾクと背中に何かが走る。
 僕はずっと、これを待っていたのだろうか。そう思えてくるくらいに、胸は激しく波打ち、ボールを持つ手には汗が滲む。
 こんなに気分が高揚したのは、幼馴染みと頂上を賭け、戦った時以来だ。
 どうやら、僕の言葉は女性には届かなかったようで、女性は次なるポケモンに備え腰を低く落とした。
 ならば、もうこれ以上の思惟は必要ない。
「いけ、カビゴン」
 宙に投げられたボールは、綺麗な軌道を描き、そして大きな光を生み出した。
 ドスン、と響く地響きに、女性の身体がよろけそうになった。が、きちんと持ち直す。
 レントラーが、気遣うように鳴き、それに女性は平気だと返した。
 さて、そろそろいいだろうか。
 目配せすれば、女性は頷き、レントラーが吼えた。
「……いくよ」
 さあ、第二幕の始まりだ。

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