ごった煮 | ナノ

約束を果たす日まで・3

 ジリジリと照りつける太陽。地面を覆うアスファルトがその熱を吸収し、放出しているわけだから上下どちらからも蒸されるような感覚に陥る。今日の最高気温は四十度。日頃大抵のことは涼しげな笑顔で堪え抜き、かわしてしいると自負しているが、さしもの自分も、このうだるような暑さには堪えきれなかった。ネクタイを少し緩め、シャツは第一ボタンを少しでも通気性をよくするべく開けている。眉間には、くっきりと深い皺が刻まれていた。普段、自分は意識的に柔和な笑顔ばかりうかべているので、それしか知らない人間が今の自分をみたらどうなるか。きっと何かにとり憑かれたとでも思うだろう。たれ目気味な自分の目がつりあがっているさまは、珍しいに違いない。ただ、兄という例外は「お前もちゃんと暑いって感じるのか」などと、さも人を人間ではないように言ってくれたので朝も早くから沈めてやったが。
 そもそも、こんな炎天下の最中外出したその原因は兄なのである。つまり、自分が不機嫌な理由も兄なのだ。であるからして、兄の頭にこぶを二段作ってやった。三段でないのはこの暑さが兄のせいではないから。せめてものやさしさというものだ。兄ののんきそうな顔が浮かんでため息が出る。
(まったく……どう考えても怪しいだろ。祓魔師でないのに使え魔、平成なのに昭和のものしかない店、加えて僕達と同い年くらいの店主だなんて)
 原因とは、最近兄が毎日通いつめている駄菓子屋であった。いや、正確にいうならば、その店主と白い猫又の使え魔にある。
 どう考えたっておかしいではないか。
 自分の記憶では同い年くらいの祓魔師なんて聞いたこともなければ猫又を使え魔としている者は兄しかいないのである。加えて、店主は猫又の言葉を理解していたというではないか。
 普通、人間であれば聞き取ることのできない言葉を、何故店主は理解できるのか。
生まれた時に魔障を受け、恐らくもの心つく前から悪魔をみ、兄と喧嘩するたびに魔障を受け続けた自分ですら、未だ悪魔の言葉など理解できていないというのに。
 それをどうして、一介の駄菓子屋店主などができるのか。
 考えられることは三つ。
 一つ、悪魔が店主に憑依している可能性。
 二つ、兄や自分と同じように悪魔の血を引き、なおかつ兄のように悪魔の血や力や感覚が欠けずそのまま受け継がれている可能性。
 あとは、悪魔による幻などの魔術である可能性だ。
 一つめならば、さほど手間はかからない。この学園都市において存在できるということは、つまりは雑魚だから。上級クラスは(住民と若手祓魔師、および候補生以下の見習い達への考慮、なにより日本支部の本部があるためだろう)強力な結界に拒まれる仕組みなのだ。
 二つめは、少々面倒である。まずは支部長である彼に話をとおさなければないし、そして色々と段階を践んだのち、保護にのりださなければならない。これが普通の混血児であるなら簡単だが、悪魔の言葉を理解できるレベルであるならぐっと複雑になることが予測される。だが、この可能性は低いだろうことも同時に予測できた。兄程に悪魔の力をひいているとなれば、マンモス校である学園の生徒の氏名を全て覚えているような彼が気づかないはずがないからである。例えが事と一致していないが、要は彼がとんだ記憶力と把握力の持ち主ということだ。――まあ、兄のように面白半分で見逃しているということもありえない話ではないが――兄程大事をぬかす人間も、そうそういるものでもない。
 三つめは、下級ではありえないので却下。それに悪魔であるクロが何も感じず、のんびりしていたのでないと判断した。クロは元々は神であり、祠で暮らしていたのだから結界やそれ系統には敏感なのだ。駄菓子屋敷地内で、ということは広範囲でのことだろうし、結界を張って幻を操っていると考えたほうが賢明である。
 ならば憑依の有無は判断できないのかといわれれば、できないのだ。悪魔はまず精神的に取り憑く。そして憑依対象の負の感情につけ込んで増長させ、自身の身体を対象をゲートとすることで虚無界より顕現させやすくする。我々が感知できるのはその最後あたり。本当に姿を変化させるあたりからやっと感知できる。初期段階ならば低級程度の魔力では同じ悪魔のクロとて感知するのは難しい。クロがわからなかったのは、そういうことだ。
(――さて)
 かつりと、乾いた自分の靴音に思考から意識を戻せば、目の前には目的地としていたくたびれたような、古ぼけた駄菓子屋がある。
 腰にとりつけているポーチから銃を一丁とりだし、不備がないか確認した。――不備は、ない。
 ひとつ息を吐いて荒んだ敷地内へと踏み出す。
 ガラガラと立て付けの悪さがわかる音をたてながら引き戸を開ければ、兄から聞いていたとおりの世界が、そこにはあった。
 傷んだ木材の棚、コンクリートが剥きだしの床に、年代もののレジとアイスストッカー。アイスストッカーのなかには、兄がいっていたとおり、見たことのないパッケージのゴリゴリ君が少し入っている。
 アイスストッカーからそれを取り出して製造月日を探した。
「まったく……どうして気付かなかったんだ、兄さんは……」
 大方、タダであげるからという言葉に気をよくして古くてもいいか。とか、賞味期限がないなら、とか、何も考えずに食べてしまったのであろう兄を思えば、ため息は自然とこぼれた。
確かに、アイスに賞味期限はない。冷凍庫に入れておけばいつまでももつ。一、二年なら自分とてそこまで気にせず食べるだろう。
 しかし、これはあまりにも、
「一九八X年、ね」
 もう、三十年以上も昔である。
 流石に、口にするには抵抗がある数字だった。
 恐らく、ゴリゴリ君が製造され始めてから間もない頃のものと思われるが、つまりはこの店は三十年以上も前から存在していることになる。――ますますもって、店主である少女への疑いは深まるばかりだ。
 三十年も経っているのなら、少女の親あたりが店主をしていてもおかしくはないはずだ。それか、祖父母でも考えられる。例え、どちらも不幸があって継げない、継続できなかったのなら、普通は他に経営権を譲渡するか売るかするはずだ。普通の親なら、普通の家庭であれば、成人もしていない学生一人に店を託すなんてことはしないはずである。少女が経営のスペシャリストだというなら話は別だが。
 ……まあ、それはないとは断言できた。スペシャリストがいたなら、現状はここまで悲惨にならない。
 三十年も前の商品をそのままにしておくなんて、ありえない――そう、辺りを警戒しつつ、考察していたときだ。
 張りつめていた網に、微かな気配がかかった。音だ。
 その方向に、銃を向ける。
 そこには、取り立てて目立つところのない少女と、綺麗すぎるほどに汚れのない、真っ白な猫がいた。
 少女は銃口を向けられて戦くどころか、困ったように微笑んでいる。
 ここで、違和感。
(……妙だな)
 悪魔であるなら、頭の弱い奴であればボロをだすか、強い奴であれば知らぬフリをする。
もし人間であるなら、恐怖し、困惑し、声を上げるだろう。
 しかし、少女はどちらでもなかった。ほんとうに、妙。
 ぐ、と眉間に皺が寄る。銃を持つ手に力がこもり、警戒をいっそう深めれば、真っ白い猫が鼻を鳴らした。小馬鹿にされているようなそれに、眉間に皺がまた一つ増える。
 少女はそんな猫の頭を諌めるように撫でた。そうして、小さくごめんなさいと、苦笑した。
「この子、警戒心が強くて――こういう場合、いらっしゃいませ、って言えばいいのかな。それともこんにちは、かな。ね、マシロ」
 みゃあ、と猫は短く返した。なんとなくだが、その大きな眼には呆れが浮かんでいるように見える。
 しかし、本当に緊張感がない。いったい、何を考えているのか。それとも、何も考えていないのか。
 照準を、少女の額に合わせる。
「――どちらもこの状況では適切でないと思いますが」
 どういうつもりなのか。
 暗にそう含んだ言葉を吐き出して、少女の次の動向を予測する。
 知らぬふりをとおすか、中身が姿を現すか……。他にも何パターンか予測した。
 さあ、どうするのか。
 そう身構えたけれども、少女は緊迫したこちらの雰囲気など気にもせず、こちらへやってきた。
「……っ」
 思わず反射的に一発放ってしまった。
 まずい、発砲音の後に思う。何故なら少女が人間である線も完全には消えていなかったからだ。――しかし。
(え?)
 こちらの杞憂はよそに、少女は何事もなく歩き続けていた。どういうことか。確実に、額を貫いたと思われた銃弾は、実際には額を、少女を貫くこともなく壁にめり込んでいるではないか。
 おかしい。自分は確かに額を狙ったはずだ。緊張でぶれたとかではない。それは言える。この状況よりも緊張する任務はたくさんこなしてきたし、単なるミスでもない。くだらないミスはしないようにと、ずっと小さい頃から訓練と鍛錬を積んできたのだ。しかも、至近距離。まず、外すなんてことはない。
 唖然としているこちらをよそに、少女はアイスストッカーからゴリゴリ君一つを取り出した。
 そして、それをこちらに差し出してきた。
「どうぞ。製造月日は古いですけど、魔法で時間を止めていますから、物自体は新しいままなんです」
「え、……はぁ……?」
 もうだめだ。思考が追いつかない。悪魔ではないことは、それとなくわかったが、逆にただの人間でないこともわかった。
 ほれほれ、とゴリゴリ君が少女の手で揺らされている。
 そうしてそれを受け取ったのは、自分ではなかった。
 音もなく、突如現れた白と紫の対比が目に悪い格好の長身の男。白くて裏地が紫のシルクハットを脱ぎ、手にしていた傘を少女に預けると、何を気にするでもなくゴリゴリ君を袋から取り出し、そして口に含んだ。
 シャリシャリと男の口に消えていくゴリゴリ君。二度ほどそうすると、男はうーんと唸った。
「味は今の方がいいですね。しかし、“色々”混じっているこの味も懐かしくてなかなか――いやはや、思い出とは何よりも深みをもたせるスパイスですな。さあ奥村先生、あなたもお一つどうぞ。なあに、心配ありません。このゴリゴリ君は私の空間維持の魔法により、当時より時は経っておりませんから。ささ、召し上がれ★」
 我が物顔でゴリゴリ君を取り出すと銃を取り上げて代わりにゴリゴリ君を握らせてきた。唖然呆然。この人に対し、音もなくどうやって入ってきたかなんて質問はする意味がないし、ただ時間を浪費するだけだ。だから当面訊ねるべきは、
「何故ここにいらっしゃるのですか――フェレス卿」
 というか銃を返せ。
 そう睨め付ければ、男、メフィスト=フェレスはニヤニヤとした笑みをたたえながら自分を見下ろしてきた。
「言い忘れましたが、魔法はアイスストッカーから取り出した時点で無効になりますから、そのままですと溶けてしまいますぞ」
 まさか、奥村先生、お店の品物をダメにするおつもりで?
 ニヤニヤはそのままに返された言葉に、なら勝手に他人に渡したお前はどうなんだと言いたくなったが、飲み下した。相手はこんなのでも腐っていても上司である。
だから、
「――、いただきます」
 ため息をついて、開封した。そういえば、ゴリゴリ君なんて食べるのはいつぶりだろうか。
 一口含めば、記憶とは少々異なる味がして、化学調味料か、とぼんやりと思う。食べたことはないはずなのに、確かに懐かしいと思わせる味である。
 もう、少女も猫も、この店もフェレス卿も、このゴリゴリ君も――すべてがわからない。完 全にお手上げだった。
 それでも思考が崩壊しないのは、ゴリゴリ君の冷たさがあるからだと、少しゴリゴリ君に感謝した。

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