ごった煮 | ナノ

約束を果たす日まで・2

 あの不思議な出会いから一週間ほど。燐は暇と余裕さえあればあの廃れた駄菓子屋へと赴いていた。もちろん、クロも連れて。そして今日も今日とて彼女のもとへと赴くのだ。毎回そこで何をしているかといえば、特に何かをしているわけではなく、燐とクロがその日の出来事を彼女に語っているだけである。今日は珍しく寝坊しなかっただとか、授業中に寝ていて先生に教科書で叩かれたとか、女子生徒が大量の資料を運んでいたところを手伝ったら感謝されただとか。そんな些末なことから、塾のことまで、たくさんのことを彼女に話すのが、燐は内心とても楽しくてしかたがなかった。
 日常を語る、というのは雪男相手でも成立するにはするが、雪男は多忙なせいか「そう」とだけ返して話を切り上げることが大半だ。たまにきちんと返してくれるが、そんなのは稀である。だいたい、父ならまだしも同い年の弟に話して面白い内容などあまりない。そういう意味でも、少し年が違うだけのはずの彼女に話すというのは、別格なものであった。元々父が生きていたころは不良を気取ってツンケン尖って反抗していたから、こうして日常を話すこともなかった。話しても心配させるようなことばかりだから、尚更。だから日常を話すなんていうのは幼稚園、小学校低学年ぶりで、ひどく懐かしく、懐古するもの故に温かかった。
 今日はどんな話をしようか。
 そうこうして思惟に耽っていれば足は目的地まで辿り着いた。初めの一回はクロを追うのに必死で、二回目はそのことがあってクロに案内を頼んだが、三回目からは自分でいけるようになった。物覚えの悪い燐にしては上等だろう。辿り着いたことに燐は少しの達成感を覚えた。そうしてノックもなしに引き戸をガラガラと開ける。するとクロが『いちばんのり〜』とのんきな声で言いながら、燐の肩から店の中へと飛び降りた。
「ちわ〜っす」
 同じく、燐も間延びした声で店の主に呼びかける。ほどなくして店主・ナマエと、その仕え魔であるマシロが紺碧の暖簾の向こうから現れた。
「いらっしゃい、二人とも」
『あそびにきたぞ』
「お邪魔するぜ」
「はい。お邪魔されます」
 くすり。とナマエが小さく微笑むことが、毎度『座ってください』という合図となっている。だから今日も燐はそれを合図に初めてここを訪れた時と同じ場所に腰を降ろした。クロも、マシロがいる畳の上へ上がった。こちらがそうやって移動しているうちにナマエがゴリゴリ君を取りにいくことも、毎度のことで。「はい」と差し出されたそれをサンキュ、と受けとることも、毎度のこと。そして袋を破って中身を取り出して、一口目を含んだら、ナマエが隣に腰を降ろして話しかけてくるのだ。「今日はなにがあったの?」と。それは今日も変わらなかった。だから燐も同じように毎度思いついたことから話していく。毎度、燐は話す順番なぞ考えない。
「今日はな、あの雪男がさあ―――」
 今日、最初に思いついたのは我が弟である雪男のことであった。

back