01





「この家は――
 キッタくんがぼくのほうを見て言った。「この家は田んぼの真ん中に建てられている。田舎町の町外れだ。周囲には他になにもない。広い平地に家だけがぽつんと立っている。二階建ての、そう大きくはない古い空き屋――そういう家を想像してくれ」
「人は住んでないんだね」
 空き家ってことは。とぼくが確認すると、キッタくんはうなずいた。
「住んでいない。それも長く人が入った形跡もない。この家には玄関がないんだ」
「玄関がない?」
「そう。玄関がない。見てごらん」

 キッタくんに促され、ぼくは一階を見渡した。手前に台所のようなところがある。台所のような、と言ったのはかろうじて流し台があるくらいで、机もイスも、他に台所とわかるようなものがなかったからだ。台所からのびる廊下には、お風呂場とトイレに居間、それから二階へ続く階段があった。玄関があるべき位置は壁になっている。
「見ての通り、この家には玄関がない。――だから、六人の子供たちは一階のガラス戸を割って侵入した」
 これがその跡だ、とキッタくんが居間の窓を指さした。たしかに下のほうに穴が開いていた。子供ならなんとか通れそうだ。それとも窓を割ったところに腕を入れて、中の鍵を開けたのかもしれない。それにしても……
「よくこんなとこ入ろうと思ったね。中学生だっけ? 肝試しにしてもこんな薄気味悪い家、窓割ってまで入らなくても」
 言いながら、ぼくの目は知らず知らず、廊下に置かれた『あるもの』へと向かってしまう。

「中になにがあるかは知らなかったんだ」キッタくんはぼくと同じ方向に目を向けて言った。
「しかし、だからこそ侵入した、とも言える。大人は執拗にこの家を避けるにもかかわらず、その理由を子供たちに説明しなかった。理由もわからず禁止されていたんだ。隠されれば隠されるだけ知りたくなる。開けてはいけないものほど開けてみたい。――そうだろう?」
 なにもかも見透かしたような口ぶり。ぼくは一瞬はっとした。キッタくんの問いかけが、ぼく自身へ向けられたもののように感じられたのだ。キッタくんは構わず先を続ける。
「地元の子供たちの間では、この家は『パンドラ』と呼ばれていたそうだよ」

「パンドラ?」あわてて気を持ち直す。「パンドラって『パンドラの匣』、とかの?」
「そう。そのパンドラ。君も『パンドラの匣』は知っているね?」
「ええとたしか……」
 その昔、パンドラという女の人が災いの詰まった箱を開けてしまって、そのせいで閉じこめられていた災いが世界中にあふれ出てしまった……みたいな話だったはずだ。
 ぼくがしどろもどろに答えると、キッタくんは「おおむね正解」と笑った。
「この家がパンドラと呼ばれているのもそのあたりに理由があるはずだ。――というのも、この家の本当の名前は『禁后』と書くんだ。『禁』じる皇『后』と書く。しかし誰もこの名前をどう読むのかわからない。そのまま漢字だけ読めばキンコウだとかキンゴウになるはずだけど違うらしい。パンドラというのは子供たちの間だけの通称なんだ。その家の本当の名前は『禁后』。玄関のない、パンドラと呼ばれる家――ここまではいいかい?」
「いいけど……」
 この家がどう呼ばれているのかはわかった。
 キッタくんが「なんだい?」と首をかしげる。

「……さっきから気になってたんだけど、これなに?」

 ぼくは廊下の真ん中に置かれている『あるもの』を指さした。
 化粧台、というのだろうか。正面に鏡があって、足下に引き出しがついた大きめの台。その台が、なぜか廊下のど真ん中に、通行を妨げるように置かれている。これじゃ台所からトイレに行こうと思ったら横をすり抜けるようにして通らなきゃいけない。二階に上がるのも一苦労だ。
 ……変なのはそれだけじゃない。
 もっと変なのは、その台の前に置かれた『これ』のほうだ。
 ぼくは最初、そこに人が座っているのかと思った。台の正面、ちょうど鏡に映るくらいの高さに棒が立ててあって、長い髪の束がだらりと垂れ下がっている。帽子掛けに、帽子の代わりにロングヘアーのカツラを引っかけてあるような状態だ。薄暗い空き家の廊下に、不自然な化粧台と宙に浮いた人の頭(のようなもの)。気味が悪いことこの上ない。
 それになんだかこの髪……

「作りものにしては妙にリアルなんだよなあ」
「本物らしいよ」
「うっわ!」

 指で触ろうとしていたぼくはあわてて飛びのいた。
 その勢いで思わず棒をはじき倒してしまいそうになる。ぐらっと傾く棒と髪の毛。まずい!……と思ったところで、キッタくんがさっと棒を受け止めた。
「……本物だ、という話だ。実際にどうなのかは知らないよ」
 キッタくんはあきれたような口調で言った。
「本物の、髪の毛?」
「これを作った人間はずいぶん凝り性だったから、真偽の程は定かでないね」
「ああ、そう。そうなんだ。へえ……」
 キッタくんの話もほとんど耳に入らない。指の先にさらっとした髪の感触がまだ残っている。心臓に悪い。……その辺りのものには変に触らないようにしよう。

「さてTくん」
 キッタくんが仕切りなおして言う。
「この『禁后』だが、ここに忍び込んだ六人は全員が全員中学生だったわけではない。A、B、Cという三人の男子中学生と、女子は話者の『私』とD子の二人。残る一人はD子の妹だった」
 指を立てて説明していく。
 これで六人、と最後に足した人差し指を持ち上げる。

「このD子の妹というのが問題のある子だった。それというのも、中学生五人がちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまったんだ。中学生のお兄さんお姉さんが、一階でその鏡台や髪に気を取られている間にね。いなくなったことに気づいた五人はあわてて辺りを捜索した。……といっても広い家じゃない。外に出た様子はないから家の中にまだいるはずだ。そう――」人差し指が真上をさす。「――二階にいるに違いない」

 ぼくはこわごわと上の階を見る。二階にも部屋がある。それも本当に部屋だけ、という感じで家具はない。あるのはただ……
「D子の妹は二階の鏡台の前にいた」キッタくんが続ける。「一階に置いてあるものと見た目はほとんど同じだ。もちろん鏡台の前の髪の毛もね。その部屋に入った全員が息をのんだ。なんともないのはD子の妹だけだ。そしてD子の妹は全員が見ている前で、鏡台の引き出しを開けた」
 引き出しをあける仕草。ぼくも思わず息をのむ。

「D子の妹は中から一枚の半紙を取り出した。『これなあに?』と言ってね。――半紙には筆で『禁后』と書かれていた」
「……どこから出したのそれ?」

 キッタくんの手には、いつのまにか『禁后』と書かれた紙が握られていた。半紙に毛筆のでかでかとした字で『禁后』――話に出てきたものと同じだ。
「もちろん二階の鏡台の引き出しからさ」
 キッタくんはいたずらっぽく笑った。
「一段目の鏡台にはこの紙が入っていた。『禁后』、言うまでもなくこの家の由来となるものだろうね。――この紙を目にしたとき、五人の身体は固まって動かなくなってしまった。なにかまずい、と感じるものがあったんだろう。しかしD子の妹は誰も答えてくれないのが不満なのか、取り出した半紙をしまうと二段目の引き出しも開けてしまった。すると二段目にも、これとまったく同じように書かれた半紙が入っていた」
 キッタくんが『禁后』の紙をぴんと張る。(さすがに二枚目は出てこなかったので安心する)

「さて、ここで問題だ。引き出しは全部で三段ある。三段目にはなにが入っているのだろう? 気にならないかい?」
 一段目には変な紙、二段目にも同じもの。三段目が気にならないと言えば嘘になる。……でも展開から言って、悪い予感しかしない。

――彼らにしても、誰一人その先を開けるつもりはなかったんだよ。だけどそこはお話の都合というやつでさ。『なにやってんのあんたは!』とまっさきに動いたのは姉のD子だった。彼女は妹を叱りつけ、紙を戻そうと引き出しに手をかけた」
 そこでキッタくんは鏡台に目をやった。
「それがたまたま三段目だった。気が動転していたんだ。D子はもともと探検に乗り気じゃなかった。不幸な事故だね」
 鏡台は不気味にたたずんでいる。その前には、長い髪。やっぱり一階と同じで、女の人が鏡に向かって座っているように見える。ぼくは見たこともないD子という女の子の動揺を想像する。こんな異様なシチュエーションで冷静でいられるわけがない。

「D子は三段目の中を見た。見てしまったんだよ。D子の視線は引き出しの中身に釘付けだ。釘に打たれたように、動かなくなってしまった。引き出しを見つめるD子の様子はどう見てもおかしい。棒立ちに眺めていた仲間たちは、慌てて彼女に駆け寄った。するとD子は中身を見られまいとするかのように――

 ガンッ、と大きな音が鳴る。

「素早い動きで引き出しを閉めた。――誰も、不幸なD子以外の誰も、三段目の中身を見なかった。それを直視したのはD子だけだ。――D子はにわかに自分の髪をつかんだかと思うと、それをそのまま口に運びはじめた」

 キッタくんは自分の髪を指で浮かせてみせた。

「引き出しの中にはなにが入っていたのか? D子はなにを見てしまったのか? それは誰にもわからなかった。――でもそれを見たから彼女がおかしくなったというのは誰の目にも明らかだ。――D子は心ここにあらずといった様子で、自分の髪をちゃぷちゃぷとひたすら舐めている。仲間が呼びかけても応じない。取り憑かれたかのように髪を口に運んでいる。全員パニック状態だ」
「……それで?」
「どうもならない」

 キッタくんはきっぱりと言い切った。

「彼らはD子を連れてほうほうのていでパンドラから逃げ出した。だがD子は精神を病んだまま戻らなかった。この話はここで終わり。なにも解決しない」

 そのあまりに非情な結末にぼくはあっけにとられてしまった。
「ちょっと肝試しくらいのつもりだったろうに、あんまりじゃない?」
「怪談というのは得てしてそういうものだよ。こちら側にさしたる否がなくても怪に遭うときは遭うものさ。まして今回は自分たちのほうから乗り込んだんだ。文句は言えない。呪いの積もった家だもの。ある意味では『呪怨』に近いね。あれも死者の呪いが蓄積され、関わるものを次々と呪い殺していく家だった」
 キッタくんが早口で説明する。……『じゅおん』って映画のタイトルだったっけ、とぼんやり考える。
 呪いの家、パンドラ、『禁后』か

「そんな家にいたら頭が変になりそうだ」
「そうだね」とキッタくんがうなずく。
「実際に僕らがこの家にいたら、ただじゃ済まないだろうね。怖いこわい」
 ――本当にそう思っているのか?
 そう尋ねたくなるような顔でキッタくんはにこにこ笑っている。それがなんだかおかしくて、ぼくも曖昧に笑い返した。




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