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「つまり、口裂けさんは人捜しで俺を訪ねてきたってわけぇ?」

 午後八時の室内、彼はベッドの上にだらしなく胡座をかく。「こんな所まで? わざわざ?」そう言う声には呆れが交じっている。始めに女に声をかけた時とは打って変わって気のない態度だ。
「そうよ」女が平然と答える。「私はわざわざこんな所まで貴方を訪ねて来てあげたの。……ところで坊や、その『口裂けさん』というのはやめなさい」
「いいじゃん呼び方くらい」
 彼は口をへの字に曲げる。女は目を細めて「子供みたいなことを言わないの」とふて腐れた彼の態度をたしなめる。
「貴方、名前にコンプレックスでもあるの? エレベータの中でも素直に名前を明かしてくれなかったわね」
「別にないしそんなの」
「どうかしら」と、女が脚を組み直す。真っ赤なワンピースから伸びる長い白い脚の艶めかしさに、正面に座る彼も思わず目をやった。途端に、野生の狐を思わせる鋭い目が彼を咎める。男の目を意識してわざと組み直した癖に理不尽だ、と彼は内心で不平を唱える。
「貴方がどうあれ名前は大事よ。それ一つで呼ばれる対象の性質を決定しかねないものなんだから――特に、私たち『都市伝説』にとってはね」

 そう話す女こそ――裂けた口で語るこの女こそ――都市伝説の中の都市伝説、『口裂け女』だ。都市伝説と聞いて彼女の名前を浮かべぬ者はいないだろう。夕闇の中、『ワタシキレイ?』と問いかける美女。その姿にうかうかと返事をしようものならば、『これでも?』そう言って見せつけるマスクの下、ぱっくりと耳まで裂けた大きな口。驚いているのも束の間、女の手に握られた凶器で、口を裂かれてしまうという。『伝説の都市伝説』――言い得て妙だが、女はまさに都市伝説の中でも伝説の存在だった。

「確かにお姉さんの言うことも一理あるけどさ」
 ――その口裂け女が弁を振る舞う相手、それもまた都市伝説だった。
「『さとるくん』なんてネームバリューじゃ口裂け女に遠く及ばないし? 名乗ったとこで誰それって感じじゃん」
 同級生にすら覚えてもらえないような名前だし、と小さく呟く言い訳を女は聞き逃さない。
「ああ貴方、人間として学校に通っているんですってね」
「悪い?」眼鏡越しの目が不機嫌に女を見る。
「それなら尚更、口のきき方には気をつけなさい。そうね、私のことは『素敵なお姉様』とお呼びなさいな」
「……口裂けのお姉さん」
 無言で、女の指が鎌の腹を撫でる。彼は慌てて言い直す。
「わーったよ! 素敵なお姉様! はい、これで満足? つーか、話続けていい?」
「構わなくてよ」
 穏やかに話すその下では依然として鎌が鈍く光っている。太股の上に行儀良く揃った刃を見ていると、さきほど切られかけた口端の痛みが蘇る。バラにトゲ、サカナにホネ、だ。そういった付属品と同じ、鎌だって触らなければ痛くない。彼はそう思い込むことにする。
「どこまで話したかしらね」
「口の裂けた素敵なお姉様が人捜しで俺んとこに来たってとこまで」否応なく声が沈む。「……メリー姉ちゃんのおかげでね」
「そう恨みがましい目をしないの。メリーのほうから言ってきたのよ。『最近あの子が悪い遊びを覚えたみたいだから、一つ懲らしめてあげて』――なんて言って」
「うっわ、超余計なお世話!」と吐き捨てる。メリー、通称『メリーさんの電話』は彼の姉代わりだった。血縁はないが、同じ電話の都市伝説としてなにかと世話を焼いてくる。「だからってフツーそこまでする? 目立つ格好して男誘っといて、いざホテルったらマウントポジションで鎌突っ込むとかねーよ! トラウマになったらどう責任取ってくれんの?」
「これに懲りたらしばらく女遊びは控えることね」
 声をかけた相手がどんな化け物かわからないんだから、と女が小さく笑う。
「すぐ俺がそうだってわかったの」
「長く生きているとわかるものよ。目の前の相手が自分と同じ存在かなんていうのはね」
「ふうん、そうなんだ」淡々と話す女の言葉も、言外に「貴方は気づかなかったようだけど」と言われているようで面白くない。彼はにやにやと浮ついた笑みを浮かべる。「……ね、正解を引き当てるまで何人に声かけられたか当ててあげようか」
「本題に入るんじゃなかったの?」
「十四人」
「もう二人足りないわね」
「そいつらも俺にしたみたいに口を裂いたの?」
 女が首を傾ける。その肩から流れるように黒髪がこぼれる。「……口の減らない坊やだこと。それで一矢報いたつもりなら貴方、後悔するわよ」
「ほんの冗談じゃん。大人なら子供の可愛い冗談くらい笑って見逃してよ」
 のらりくらりと笑って、女の視線をかわす。「本題ね、本題。」

「まずさ、人捜しってなに? 天下の口裂け女様が誰を捜すっていうの?」
「預かり物をしているのよ」
「預かり物ね。その捜してる相手からってこと?」
「そうね」話しながら女が言葉を選んでいるのがわかった。「私はそのひとの大切な物を預かっているの。大切な物、だと思うわ。あのひとにとってはね。だからこれはどうしても会って返さなければいけないのよ」
「でもその人が行方知れずで見つからない、と」彼が先回りして女の台詞を遮る。「そのひとだのあのひとだの、随分回りくどい言い方するじゃん。それって誰……なのかは教えてくれないんだよね」
「貴方のためよ」
 口裂け女はきっぱりと言い切った。
「俺のため、ねえ」思わせぶりな言い方だ。正面から聞いても話してくれそうにない。彼はとっさにそう判断し、質問の方向を変える。「その預かり物ってさ、どういうものなの? ……あー、やっぱり今の質問なし」預かり物は預かり物、だ。それを女が話すとは思えない。もっと婉曲的に問い詰めるほうがいい。軽い口調で尋ねる。「そだね、返せないと、どうなる?」
 その質問は予想していなかったとでも言うように、女は一瞬考え込んだ。彼にしてもその反応は意外だった。女は口元に手を当て、言葉を選ぶ。
 そしてぽつりと一言、

「ヤバいわね」

「……ヤバい?」女の口から出たものと思えない、そのあまりにイメージとかけ離れた言葉を彼もつい繰り返す。「ヤバいって、ヤバいの」
「そうね。ヤバいわ。私があれを持っていると知れれば、狙ってくるであろう心当たりが十や二十じゃきかないもの」
「なにそれ、そんなに危ないわけ?」
「あのひとはルール無用で、どこかしらでいつもトラブルを起こしていたから」唇から、裂けた口をなぞるように、頬に手を当てる。「全方位が敵みたいなひとなのよ」
「それなんかの比喩じゃなくて? 天下無敵の口裂け女がヤバいって……お姉さんどういう人からなに預かってんの」
「私だってあのひとの味方なんかじゃないわ。かろうじて敵じゃないだけ」そう言って、口裂け女は悩ましげに首を傾ける。「本当は二〇〇〇年にあのひと自ら取りに来ることになっていたのだけれど。約束なんて守る相手じゃないわね」
 彼はふと喫茶店で女が『半分正解』と答えたのを思い出した。あのとき口にしていた『待っているのに来ない相手』というのは、その『全方位敵しかいない誰か』というのに違いない。
「正直な話、早く手放してしまいたいの。私もあのひとにばかり構っていられないのよね」
「……で、人捜しってわけね」
「ええ。お願いできるかしら」
「でもなんで俺なわけ?」
 彼は、『さとるくん』は、胡座にしていた足を組み直す。
 伝説の都市伝説が危機感を感じるような相手だ。乗りかかった舟の大きさに彼は慎重になっていた。前のめりの体勢で、女の真意を問うように続ける。「人捜しならもっと色々あるでしょ。俺んとこまで来なくても兄ちゃんに聞けばいいじゃん。兄ちゃん――『こっくりさん』にさ。言っとくけどあっちのがよーっぽど物知りだかんね」
「それは駄目」女は即答した。しかし彼は「どうして」と問うて食い下がらない。
「あのひと、私の呼び出しには答えてくれないの。長い付き合いなのに薄情だこと」
 彼は心中でぼやく。――もう試してたのかよ。そんでダメもとで俺んとこ来たのかよ。……わかるけど。おもしろくねー。
「昔から合わないのよ。あのひとはほら、あれをするなこれをするなってうるさいじゃない。十円玉は何日以内に使え、取っておくな、なんて。儀式の一環だなんて言うけれど、あれは性格ね。挙げ句この私にまで口出ししてくるんだもの」
「設定が多すぎる、鎌かハサミかメスか統一しろ、とか?」
「うふふ、そうね」口裂け女が不敵に笑う。笑って、その手の鎌を愛おしげになでる。「『こっくりさん』との不和は今に始まったことじゃないわ――ねえ、頼る当ては今のところ貴方くらいなのよ、『さとるくん』」と、女の目が三日月形に細められる。笑っている、わけではない。「引き受けてくれるかしら」
「断ったらどーせ怖いことになるんでしょ」

 話を聞いてしまった時から――いや、喫茶店で声をかけてしまった時点ですでに――引き受けることは決まっていたのだ。断れるわけないじゃん、と深く溜息を吐く。その裏、女に頼られてまんざらでもないのも確かだった。なにせ相手はあの、伝説の都市伝説『口裂け女』。それがわざわざ訪ねて来たんだから悪い気はしない。

「それで? お姉さん、ケータイは?」
「携帯電話のことかしら。ないわよ。そんなもの」
「はあ?」ベッドから浮かせかけた腰が止まる。
 女が「持っているわけないじゃない」と彼の態度に不信感をあらわにする。悪い予感だ。彼はその後の展開を予想して、そうではなければいいという期待を込めて尋ねた。
「お姉さん俺がどういう都市伝説かわかってんの?」
「都市伝説の『さとるくん』でしょう? なんでも質問に答えてくれる」
「……あのさあ」わかってないじゃん、と再びわざとらしく溜息をつく。「俺はあんたらみたいなエンカウント系と違って、呼び出すのにそれなりの手順ってもんがあるわけ。こっくりさんと同じ儀式召還系なの。わかります? だから100パー全力で行くにはちゃんと手順踏んでもらわなきゃい」
 台詞が途中で止まる。
 彼の首筋には鎌の切っ先が突きつけられていた。反射的に両手が上がる。椅子に座っていたはずの女はいつの間にかベッドに身を乗り出していた。女の、口裂け女の剥き出しに裂けた口が歪む。音をつけるなら『にっこり』だ。
「……儀式なんかしなくたって、貴方はここにいるじゃない。問題ないわ。ね?」
「ないです。あるはずがないです」
 即答する。がくがくと頷いて同意する。
 女の手が音もなく引く。なにが素敵なお姉様だ、と彼は内心悪態をつく。




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