娘高跳びの素敵な三段跳び



あくさら【アクサラ・悪皿】
 →アクロバティックサラサラの略称。アクサラ。悪皿は当て字。悪皿さん。

あくろばてぃっくさらさら【アクロバティックサラサラ】
 →都市伝説の怪人の名。ネット掲示板オカルト板が発祥とされる。
女性。身長2〜3m。全身を赤色の服に包み、帽子を目深にかぶる。両目が陥没したように抉れている。左腕に無数の傷があるとされる。俊敏な動きで人を襲う。また、見た者は不幸になるとも言われる。東北地域を中心に目撃情報が寄せられている。
名の由来は動きの奇抜で大胆な様と、長い黒髪のたなびく様。

――キッタカタリの怪異ファイルより一部抜粋





 一、二、三! 擦れた靴底が軽快に跳ねる。本能的に計算された間合いを一気に詰める。彼女の軌道に遅れて砂塵が舞う。三、四、五! 六!で長い脚が鋭く上がる。その瞬間、彼女は重力から解き放たれた。豊かに束ねた黒髪が浮き上がり、空中で鮮やかに円を描いた。腰を器用にねじりあげる。棒に肉薄する、獣のように引き締まった背が、向こう側へと落ちていく。
 ――かくして彼女は背面からマットに吸い込まれた。水平に置いたバーは上下に三、四度動くと元の静けさを取り戻した。
「165cm……」呟く計測係の声は押さえ切れぬ興奮と感動で震えていた。「……成功!学校新記録達成だ!」
 その宣言にわっと歓声が起こる。息を飲み見物していた生徒たちが一斉に彼女の元へ駆け寄った。マットの上に仰向けに倒れた彼女を同級生たちが取り囲む。
「やばいってアクサラっち!」
「もうこれ以上バー上がんねえべ? 世界目指しちゃう?」
 中心にいる彼女は、矢継ぎ早にかけられる言葉に対し眩しそうに目を細める。上空では燦々と太陽が降り注いでいる。指の長い手を顔の前でかざす。長く細い足をマットの外に投げ出すと同級生たちは輪を開けた。彼女がぬっと立ち上がる。
 ――巨体、である。
 同級生たちの輪の中で頭一つ、どころか、胴体一つ分抜きん出ている。

「すごいね、空飛んでるみたいだった!」
 同級生の一人がそう言った。クラスでもひときわ小柄なその同級生と並ぶと、彼女の長身はなおのこと強調された。身長が二倍も違う。
「もっと高くしても飛べそうだね」
 小柄な同級生は自分の頭上に設定されたバーを見て感嘆の声を漏らした。その様子を見る彼女は満更でもなさそうに「楽勝だ」と言って背に張り付いた体操着を引っ張った。


 今し方、見事な走り高跳びを披露してくれた彼女は何者か?
 彼女の名前は阿久サラ。
 月上ゲ高校二年四組出席番号一番
 ――当人曰く、「ちょっとだけ」人より背が高くて、「ほんの少し」黒目がちで、「今時珍しい」黒髪の長髪、「どこにでもいる普通の」女子高校生だ(と彼女は主張してやまない)
 そんな長身なる美貌の彼女には誰にも言えない秘密があった。
 それは――



「ねえねえアクサラちゃん」
 休み時間、購買に向かおうとする彼女を何者かが呼び止めた。見慣れない顔の男子生徒だ。金髪だのアクセサリーだの全体的にちゃらちゃらしていて妙になれなれしい。
「今度テニス部の試合でさ、人足りないんだよねー。だからちょっと助っ人で入ってよ」
「駄目だ」
「ええ〜? いいじゃんあんたスポーツ万能なんだからさあ」
「駄目だ」
 こういった頼まれ事も彼女にあっては珍しくなかった。というのも打てば満塁、泳げば四海を征し、跳べば遙か天蓋を越えていくといった彼女のことだ。運動部からの誘いには慣れっこだった。

「アクサラちゃんのケチ」
「駄目なものは駄目だ。それにワタシの名前は阿久・サラだ。
 どこの誰だか知らないが気安く『アクサラちゃん』などと呼ぶんじゃない」

 唇を尖らせる男子生徒を押し退けるように購買へと向かう。彼女はこうした誘いはすべて断るようにしていた。運動は大好きだが、たとえ助っ人であっても部活に入ることはできない。都市伝説たるもの、昼の世界で目立つわけにはいかないのだ。


 そう――都市伝説。
 夕闇に暗躍し、人間を驚かす幽鬼。どれだけ世に科学が席巻しようと、今もなお、人の口端に上って失われない噂の総体。口裂け女、怪人赤マント、人面犬……彼らの都市伝説の名前を誰もが一度は聞いた覚えがあるだろう。
 何を隠そう、彼女もその都市伝説の一員だった。彼女というのはもちろん、冒頭で見事な走り高跳びを見せ、現在購買で買った大量のおにぎりをかき込んでいる彼女のことだ。
 『アクロバティックサラサラ』
 この一見ふざけた名称が彼女という都市伝説に当てられた名前だ。
 彼女は見かけこそ月上ゲ高校に通う「何の変哲もない普通の高校生」だが(と主張する彼女の目には一点の曇りもない)、その正体はけっして人間に知られてはならないのである!

「あれ、さっきお弁当食べてなかった?」
「アクサラっちってちょっと変わってるよねー」
「わかるわかる。動きとかたまに人間離れしてるっつーか」

 ……正体を知られてはならないのである!

 
 彼女は人間としての今の生活に満足していた。
 憧れた一人暮らし、都会の暮らし、夢にまで見た学生生活……。
 初めて来た頃は見るものすべてが新鮮で、それこそ毎日町中を跳ねまわ……もとい、歩き回ったものだ。高い所が好きな彼女にとってテレビで見るような高層ビル群がないのだけが残念だったが、この月上ゲ町という土地も住んでみるとなかなか悪くない。当初は心配していた人と人との繋がりの希薄さというのも慣れてみればなんということはない。気候は穏やかで食べ物はおいしい。いい町だ。
 だからこそ。だからこそ、だ(と握る拳に力が入る。)
 正体がばれて故郷に連れ戻される……なんてことは断じて避けなければならないのである!(彼女の心のなかに駅前のメロンパン屋やら学食のおばちゃんの顔が次々とめぐる)

 しかし最近ではあんなに嫌いだった故郷を懐かしく思うときもある。
 最初こそホームシックにかかる暇もなかったが、一月経ち、三ヶ月を過ぎ、いざ生活に余裕が出てくると、田舎に残して来た姉の姿がふとした瞬間によみがえる。
 喧嘩別れのような形で故郷を飛び出した手前、寂しいなどとは言えないが、それでも時々、道路標識や電信柱を見上げては
「姉様……お達者だろうか」
 と呟かずにはいられないのだった。



 そんな彼女は校舎の裏、思い詰めた顔で校舎を見上げていた。時は放課後、下校時である。
 彼女は果たして何をしているのか?
 泰然とそびえる白い校舎に姉の姿を偲んでいる――わけではなく、彼女の目は校舎のある一点に注がれていた。三階中程にある、不用心にも開けたままの窓。彼女の教室の窓だ。
 忘れ物だ。彼女は一度帰宅していた。帰宅して鞄を開け、いざ中身を取り出す段になって、あの教室に忘れ物をしたことに気がついたのだ。数学の教科書とノート。明日の一時間目の宿題の範囲である。そこで彼女は学校まで再度舞い戻った、という次第だ。
 ではなぜ校舎裏で教室の窓を睨んでいるのか?
 
(……雨樋に足をかけて蹴り上げる……着地せず腕の力だけで着上……二階から三階まで跳んで窓縁に着地……いけるな……)

 ここでの彼女はあくまで普通の人間だ。人間として過ごす手前、力を押さえて暮らすのは仕方がない。普通の人間は屋根の上に上ったり、走ってる車の上に飛び乗ったりしないんだ……そのことは重々納得している。
 しかしそれはそれで、彼女にとってストレスであるのもまた事実だった。本当は昼間の走り高跳びだって身長の倍は跳べるし、学校新記録どころか世界新記録を塗り変えるのだって楽勝だ――もちろん校舎の三階まで駆け上るのだって

(アサメシマエ、というやつなのだ!……ふむ)

 彼女は辺りに人気のないことを確認する。そもそもが校舎裏だ、人っこ一人通らない。校舎の中も大丈夫だ。部活動の連中も帰宅する時間、そんな時間の教室に人がいるはずがない。そう考えてうんうん頷く。頷いて、靴を脱ぎ壁際にそろえた。靴のまま跳んで壁に靴の跡をつけないためだ。(これに限らず、彼女は妙なところで律儀だった。)

 二、三度軽く跳んで身体をほぐす。目標は校舎三階、開いた窓。
 息を吐いて、吸う、止める!ジャンプだ!
 後はイメージした通り、長い手足を存分に活用する。
 観客がいれば「踊るように」とでも形容しただろうか。「アクロバティック」は本来、曲芸や軽業を表す「アクロバット」に由来している。そのアクロバティックを名前に冠す、人を魅せる大胆な動きは彼女の専売特許だ。この点に置いて他の都市伝説に劣るところはない。
 曲芸的な早業で、三階の窓までたどり着くのに十秒とかからなかった。
(さすがワタシだ。多少休んでいてもカンはなまっていないようだ……)
 彼女は一人で頷きながら満足げに半開きの窓を開く。長い片足を突っ込み、上半身をくぐらせたところで気がついた。

 教室に、人がいた。
 目が、合った。

「……」
「……」

 見つめ合う形で両者固まる。相手は一人、男子生徒だ。特にこれといった特徴もない、平凡な男子。同じクラスかもしれないが少なくとも彼女の方に面識はない。この場合知人でなかったのが幸いなのか災いするのか混乱した彼女の頭では判断つかなかった。

(ヤバイ――! 油断した! 完っ全に油断した! なぜこんな時間に教室に人間がいる。電気もつけずに! どうする? ここはやはりあれか、クチフウジをするのか? ああ、どうしよう! 姉様!)

 こんなときに限って彼女の脳裏によぎるのは、『あなたはそそっかしいところがあるから、正体がばれないよう特に気をつけなさい』という姉の言葉だ。どうしてあのときもっと真摯に姉の言葉を受け止めなかったのか! 次に浮かんだのは『もしも正体がばれたらそのときは……』と言う、どすのきいた姉の微笑だった。
 もはや彼女に残された考えうる手段は二つに一つ。相手を消すか、面識が無いのを逆手にこのまま逃げ去るか。二択の間をぐらぐら揺れていた。

「あの――
 先に動いたのは相手の方だった。彼女はとっさに身構える――片足と頭だけをくぐらせた、なんとも間抜けな体勢で。
――教室、間違えてませんか?」
「……は?」
「ここ、一組ですけど。二年一組」

 あまりに平然とした対応に、彼女の方が毒気を抜かれた。相手の方はもう帰宅するところだったようだ。そういえば彼女が窓から侵入したとき、相手はすでに鞄を肩にかけていた。

「たしか同じ学年の――うちのクラスじゃないですよね。ここ一組です」
「ああ……どうも」
 つられて彼女も素の反応を返す。
「それじゃ」
 と、相手は何事も無かったかのように立ち去った。そのあまりの自然さについ彼女は自分の状況も忘れ、その背中をただ見送ってしまった。

(なんだったんだ。あれは)

 ひとまず外に放り出したままにしていた残りを引き入れ、彼女は教室に降り立った。二年一組、違うクラスの教室に。一瞬、姉の微笑む顔が浮かんだ気がするがそれを急いで振り払う。

(……ばれて、ない。ばれてない! ばれてないことにしよう! ノーカンだ!)

 スカートの埃を払い、二度三度と頷く。


 彼女の名前は阿久サラ。
 又の名を都市伝説『アクロバティックサラサラ』
 夕闇に暗躍し人間を驚かす、高校生としての彼女の日常は概ねこんな調子である。


「娘高跳びの素敵な三段跳び」
(あるいは「ハイ・ジャンプ!」)了




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