亡霊は暁に泣く





 平日夕方のファミリーレストラン、窓に面したテーブルに二人の高校生。客の入り具合はまばら。夕食時にはまだ早い時間だ。店内には彼らのような学校帰りの学生や、昼から粘って帰らない主婦層がちらほらと席を占めている。今ここで話をしている二人の高校生は、そんな周囲のことなど全く気にも留めていない。
 二人の会話は相互に話すというよりは、片方だけが相手に対し長々と話し続けるという、幾分か一方的なもののようだ。怪談実録風にここではこの二人を〈T〉と〈Y〉と仮称することにしよう。

「……という話が流行しているようだ」
「なんだか可哀相な話だな」
 話をしていた方、〈Y〉が長い話に一息つくと、〈T〉は素直に感想を漏らした。二人はドリンクバーに立とうともせず、テーブル越しに向かい合っている。〈Y〉は冷え切ったコーヒーを一口飲んで頷く。

「これはね、都市伝説であることを否定し続ける都市伝説なんだ。だって噂を流した〈友達の友達〉なんて見つかりっこないんだよ。フレンド・オブ・ア・フレンド――FOAFという。人づてに話すとき、最初の二、三人までなら、情報の発信元を突き止められる。〈友達の友達〉と言うからね。でもこれが伝言ゲームのように五人、十人となってくるとわからなくなるんだ。〈友達の友達の友達の…〉と続けるのも冗長だろう? そもそも〈友達の友達〉自体その人にとって面識のない他人のようなものなんだから、どんなに長くても結局は〈友達の友達〉と省略されてしまうんだね。
だから、噂の源流を調べるに当たって、FOAFというのは見つからないことが多い。まして今はインターネットがあるからさ、誰のどこからの情報かなんてわかるはずもない」

 〈Y〉は早口で自身の見解を述べ、相手の反応をうかがうように目配せした。

――だからさTくん、〈影男〉の都市伝説はね、〈影男〉自身の噂を否定するため永遠に見つからない〈友達の友達〉を捜してさ迷う、自己矛盾を抱えた、救えない怪談話なのさ。君の言うように可哀相、なのかもしれないね」

 〈Y〉がそう言うと〈T〉は苦い顔でスープカップに手を添えた。彼は冷え切ったオニオンスープをまずそうに飲み干す。
 彼ら二人は〈影男〉の都市伝説について話していたようだ。
 〈影男〉――それはこの町でも盛んに噂される、とある怪人者にまつわる話である。

「救えない怪談話、なあ……」
 そう言って〈T〉は困ったような表情で頭をかいた。
「オレにはどうしようもないよ、怪人だなんて」
「弟くんの小学校で流行っている『妙な噂』を聞きたいと言ったのはそっちじゃないか。心配しなくても君に退治しろなんて言わないよ、『寺生まれのTくん』。僕らにできることを考えようぜ」
「ちょっと待てよ」

 〈T〉か思うところがあったのか、勘ぐるような目を向けた。それを受けた〈Y〉は楽しそうにニコニコ笑って聞いている。その様子を見て〈T〉の頬が引きつった。

「どうにかする、つもりなの? 話を聞いたら三日後に来る……とか言ってたね。まさか、オレをダシにして『噂の検証をする』とか言う気じゃないだろうなきみは」
「まさか!」〈Y〉は大げさに「何、ちょっと噂をカタルだけさ」
 そう言って、まだ新しそうな携帯電話をかざして見せた。
「歯には歯を、噂話には噂話を、なんてね」



 ……聞いた? 〈影男〉の話。
 なんかね、〈本物の怪人〉が現れて「おれの名を汚す偽者め!」って言って、〈影男〉のマスクをべりべり剥がしちゃうらしいよ。
 本物? 本物なんてどこにいるんだよ。
 ××森の奥にいるんだって。そこに捨てられている電車をアジトにしてるって。お姉ちゃんが言ってたよ。
 俺が聞いたのは〈影男〉が現れたら「BD」って三回唱えるってやつなんだけど。
 BD? 何それ? 唱えるって、どうして?
 怪人の天敵の名前なんだって。〈影男〉に出会ったときにこれを大声で三回叫ぶんだ。そうしたら、真っ黒い子供みたいなのが出てきて〈影男〉を追っ払っちまうんだって……




 数日後、再びファミリーレストラン、窓に面する席。
 先の〈Y〉と〈T〉の二人は、同じ席で、同じように向かい合って座っていた。

「それで、どういう手を使ったの」
 〈T〉が苦々しい顔で第一声を放った。
「弟がやけに嬉しそうに報告してくれたよ。『もう大丈夫だ』って」
 〈Y〉は嬉々として〈T〉の問いに答える。
「簡単だよ。君の、例の顔の広い友達にも協力してもらってね、〈影男〉への対抗策を噂に混ぜてみたんだ。『口裂け女はポマードが嫌いだ』、みたいにさ」
 前にもそうしたように、〈Y〉は携帯電話を相手に示して見せた
「面白いものだね。僕はいくつかほのめかしただけなのに。本物の怪人のアジトやら謎の子供やら、どこから出てきたんだろう。実に興味深いな」
「……怪人の噂話も、こうやって作られていったんだろうな」
「だろうね」
 悪びれるでもない〈Y〉の様子に〈T〉は少し閉口したようだ。何か言いたげに相手の顔から目線を外し、やはり頭をかく仕草をすると、皮肉気に言い放った。

「きみは大概ペテン師だ」
「そりゃそうさ」そう言う〈Y〉は妙に楽しそうだ。「名は体を表すというでしょう。僕の名前は偶然にもカタリというんだもの、口先三寸が性分だ」
「……〈彼〉は救われるんだろうか」と〈T〉
 〈Y〉は目を細めて首を振る。「少なくとも、このお話の中ではさ」


 それについてはまだなんとも断言できない。
 しかし、彼らの流した『対抗策』は広がりを見せている。
 怪人〈影男〉は、少なくともこの町では誰かを傷つけることはないだろう。まだこれからも人々の前に姿を見せることもあるだろうが、その時は何らかの方法で撃退されてしまうのだ。
 きっとこれで〈影男〉は救われる。――〈私〉は、そう信じたいのだ。
 町に〈影男〉の噂が囁かれ始め、〈私〉は自分というものが分からなくなった。

 〈私〉とは怪人に憧れたただの物書きだったのか。
 それとも〈影男〉という噂話のために遡って創作された過去なのか。
 果たして〈私〉は現実の人間か物語の中だけの存在なのか。

 ――けれどそれももう、どちらでもいい。
 撃退法を得た〈影男〉の物語は、代わりとして恐怖を欠き、劇的に失速するだろう。――語られなく、なるだろう。晴れて語られない物語になるわけだ。
 しかし、〈私〉自身が物語になってようやく知ることができた。語られないことは死と同一ではない、それは目を閉じて、眠りゆく感覚に近いのだと。〈私〉が憧れたあの怪人たちも、けっして死んだわけではなく、眠りについているだけなのだ。そして誰かに起こされる日を待っている。
 今の〈私〉は何より安心していた。噂と言う物語の中に提示された希望の一つに。これでもう、血を嫌うあの人の名に、泥を塗ることもなくなるのではないか。
 そして――ああ、なんということだろう。
 虫の良いことだが願われてやまないのだ。最後の瞬間、流された噂の通りにあの人にお目にかかれること。そして幼い頃から憧れた、どんな宝をも手にしたあの腕が、虚飾に張った〈私〉の仮面を引き剥がすことを。



「ぼうれいはあかつきになく」了


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