02





「危ねえだろちゃんと置け」
 じいちゃんに言われ、ぼくは箱の隣にそろそろと下ろした。
驚きのあまり危うく放り投げてしまうところだった。
「よく見ろ」
 そんなことを言われなくてもぼくの目は箱の中のものに釘付けだ。

 ――お面、のようだ。それもまだ作り途中の。

 当たり前だ。こんな中に人の顔が入っているはずがない。
 それはわかっていても、まるで生きているかのような凄みがあった。二本の牙をむき出しの口とか、目とか、今にもこっちをぎょろっと睨んで怒鳴りだしそうだ。怒り顔なのだろうか? けれど裂けた口は大笑いしているようにも見える。
 途中だと言ったのは簡単で――色が塗られていないのだ。
 木を彫って表情をつけたところで終わっている。出来はいいようでも未完成らしい。ただ、木の色が黒く変色しているから、作られたのはだいぶ昔のことなんじゃないだろうか。

「これなんの面?」
「俺が知るかよ。いつの間にか紛れ込んでたんだ」

 そんな無責任な……。
 持ってみていいかと目で問いかけるとじいちゃんは箱の中身をあごでしゃくった。
恐る恐る持ち上げてみる。思ったよりも軽い。軽くて薄いけれど、とてもしっかりした木のようだ。裏面は顔をはめる用にゆるく窪んでいる。
近くで見てみると鼻筋や目尻の皺まで丁寧に彫り込まれていることが見て取れた。木で彫られて、なんとなく無骨な印象とは対照的にとても丁寧に作られている。
 ……でも、見れば見るほど何のお面かわからない。一応人の顔のようだけど、生えているのは歯というより牙だし。顔つきも人間だったらものすごく濃いほうだ。
 眉間に縦に掘られた模様は……目、だろうか?

「あいつは神社で使う祭祀の面じゃないかっつってたな」
 面の模様を詳しく見ようとしたところで、じいちゃんが思い出したように言った。
「あいつって?」
「だからコノシロだよ――ほれ、店番してた男のほうだ。そいつが言うにはなんでも、ほれ、祭りでやるだろ。鬼払え」

『おにはらえ』というと、毎年神社でやっているやつだな。舞台でお囃子に合わせて踊ったりする行事のことだ。……まともに見たことは一度もないけど。

「神様に扮した連中が悪鬼たちを立ち退かせる、みたいなよ。そんときに被る面があんだろ。で、この面は鬼払えの『鬼』なんじゃねえかと」
「鬼」
 角こそ生えていないものの……言われてみれば鬼、に見えるだろうか。
「でもなんか外国の鬼っぽいけど」
 そう、能面と違ってこれはアジア的とでも言うのだろうか……日本は日本でも東京ではなく沖縄出身という感じ。インドあたりの神様っぽくも見える。うまく言葉に出来ないけど、色を塗るとしたら絶対、赤とか派手な黄緑とか、そういうけばけばしい色に塗られるんだと思う。
「外国に鬼がいるのかよ。もうしまうぞ」
 じいちゃんは言いながら乱雑に包みをかけなおした。
「少なくとも中国にはいるんじゃないの」
 あまりに取り合ってもらえないのも癪で反論する。ぼくが言うとじいちゃんは「ありゃ鬼じゃなくてキだ」と面倒臭そうに答えた。
「大陸で鬼っつったら幽霊のことだ。俺らの赤鬼青鬼ってのとは違えよ」

 そう言ってまだ包み紙がまとまらないうちから蓋をした。そういえばじいちゃんは終戦のとき中国にいたとかって言ってたっけ……。
 じいちゃんは箱を一瞥した後、面倒臭そうにばりばりと頭をかいた。いつも思うけど、そんなに乱暴に扱っていたら白くなった髪が抜けてしまうんじゃないかと不安になる。気の済むまでやって溜息をつくとじいちゃんは着物の懐から一枚の紙切れをすっと抜いた。
 お札? お小遣いでもくれるんだろうか?
じいちゃんにしては珍しいな……ぼくの一瞬の期待とは裏腹に、机に叩きつけられたのはお札はお札でも、

「……おふだ、みたいだね」
「みたいじゃなくてどう見てもそうだろうが。箱の――」言いながら、じいちゃんは箱の蓋を取り上げ、側面を指で示した。「――このへんについててよ、開けるときに破っちまった。こりゃお月見神社の印だ」
 指差された箇所には千切れたお札の半分が貼りついたままだった。破られた箇所に当てればぴったり合いそうだ。
ぼくは無言で机に置かれたお札を手に取った。……どうせなら『おふだ』じゃなく『おさつ』がよかったな。どっちも字は『お札』なんだから。

 それにしても疑問だ。
 どうやら札は箱を封印するように貼られていたらしい。
 ――封印? 鬼の面を?
 ……なんだか我ながら嫌な言い回しだ。

「なんでまたお札で封してたんだろう」
「だから知らねえって。何度も言わせんじゃねえ」
 じいちゃんは箱をぼくのほうへ押し出した。
「とにかくだ。なんで古書屋の物置にあるのか知らねえが、神社へ返してくれ」
「そんなん別にわざわざうちに連絡しなくても。神社の人に取りに来てもらうとかすればいいのに」
「あちらさんは祭りの準備で取り合ってくれんのよ。どうせお前もほれ、今日の祭りにゃ行くんだろ。ついでだついで。こんなもんいつまでも置いとくのは気味が悪いんだよ!」
「オレだって気味悪いよ……」
 汗をぬぐう。暑さのせいかさっきから汗が止まらない。
「どうせなら表にいた子に頼めばいいのに」
 ぼくがそう言うと、じいちゃんはぴたりと動きを止めた。
さっきまでの威勢がうって変わって、口元を引きつらせている。

「ばっ、ばっか、お前……お前、そんなことさせれるわけねえだろうが!」
「なにどもってんの? あの子じいちゃんの親戚なんじゃ……」
「いいからとっとと行け!」

 声の勢いに押されて積み上げた本の山が一部崩れる。
 なにをそんなに怒鳴ることがあるんだろう。年をとると怒りっぽくなって嫌だなあ。……ぼくはあんな頑固じじいにだけはならないようにしよう。

 そんな悠長な考えも早々に、追い払われるように部屋を出ることになった。
 もちろんぼくの手には強引に持たされた『面入りの箱』がある。
 反対側には空のコップ。これを台所に置いて、交換に今晩うちで使う宴会用の酒を引き取るという算段だ。
 ……というか、お月見神社に箱を届けるのは百歩譲ってよしとして、どうして宴会用の酒まで持っていかなくちゃいけないんだ。
 なし崩し的に引き受けてしまったけど、一旦家に戻って酒を置いて、それから町の反対側にある神社まで行くのって結構な労働だぞ。それにこの暑さ。こんなことになるってわかってたら自転車に乗ってきたのにな……。




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