『月上ゲ町伝説〜幻の英雄〜』
メロンガメは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の商店街組合会長に意見しなければならぬと決意した。メロンガメには理由がわからぬ。かの会長は月上ゲ町商店街にゆるキャラはいらぬとのたまって、ゆるキャラたる自分を排除しようと云うのだ。まったく許せぬ。メロンガメは今まさに商店街会議に殴りこまんとしていた。
クリーム色のブーメランパンツ、大人一人分ほどの重量の甲羅を背負うた出で立ちである。半裸の男には不似合いなほど間の抜けた『メロンガメ』のマスク。それが彼、メロンガメという男である。
メロンガメは実にたくましい大男であった。ちょっと手を伸ばすだけで街灯をひと撫でできてしまう。その筋肉は銃弾すら弾き飛ばす勢いだ。このような大男が肩を怒らせ商店街を歩いているのだから、振り返らぬ者はいなかった。
彼は激しい怒りに満ち満ちていた。この町に自分以上のゆるキャラはおらぬ。彼はそう行き巻いていた。たしかに自分はこれっぽっちもゆるくない。周りの者は皆彼をつかまえては「イラストと違う」などと声を上げた。ゆるキャラとはその町の存在を外部へ宣伝し、住民を守り慈しむ、いわば町の顔である。しからばこの肉体はこの町を守るために必然的に蓄えられた盾であり、拳である。故にこの町になくてはならぬ存在なのだ。自分以上にこの町を、月上ゲ町を守れる逸材など存在し得ないのだ。
――その自分を廃止しようなどと、かの商店街会長はなんたる裏切りであろうか。皆々は会長の決定に何も言わずうなずいた。反対して制裁を下されることを恐れているからだ(と、彼は考えている。現実には彼の降板は満場一致であった)
この問題を対決できるのは、当人であるメロンガメを置いて他におらぬ。そういうわけで彼は今、商店街会議に殴り込まんとしていた。
道を行く警官がぎょっとして彼を止めた。
「まま待ちなさい!」
上ずった声で叫ぶ警官。とっさに構えた銃は震えていた。
――よもや町のゆるキャラに銃を向けるとは何事か。
何があったのかと商店街の人々が顔を出す。
「不審者め!手を挙げろ!」
メロンガメはそれが新米警官であることに気づき、握りかけた拳を解いた。この若者は着任して日が浅い。おそらくはメロンガメのことを知らぬのだ。町の治安を守る者として、地域のゆるキャラ一つ知らぬようでは勉強不足であろう。……しかしどのような相手に対しても月上ゲ町の広報を務めるのがゆるキャラの役目。
メロンガメは一人で合点し、後ろ手で甲羅の中身をごそごそと探った。メロンパンを模したこの甲羅はゆるキャラにとって必要なあらゆるものを収納・携帯しておくように作られている。
「ふふ不審な行動を!ててって手を挙げろ!」
銃を構えなおす新米警官に、メロンガメは黙って一枚のビラを突きつけた。
「これは……?」
駅前に貼ってある『メロンパン焼きたて!』の広告である。移動型の販売車と一緒にメロンガメのイラストが印刷されている。メロンガメは相手の目線の高さまで屈んでやり、ビラと自分の顔とを対照させる。困惑を湛えた目がビラとメロンガメとの間を何度も往復する。確認に気をとられ、銃を構えた両腕が徐々に下がっていく。
――やっとわかってくれたものと見える。
固まったまま動かない新米警官を後目にビラを再び甲羅に納め、屈めていた身体を元に戻す。急がなくては会議が終わってしまわないとも限らない。
ところがこの新米警官はあわてて銃を構え直すと、
「不審者め!よもや自分がこのメロンガメくんだと言うつもりじゃないだろうな!」
言うつもりも何も、実際にそうなのだが……。
武力行使は好まぬメロンガメではあるが致しかたない。なにせこちらはゆるキャラとしての存亡の危機なのだ。謂われのない非難に足を止められている場合ではないのである。
「あっ!」
メロンガメは強靱な腕力と瞬発力を以て新米警官の手から銃をもぎとった。銃を腰につなぎ止めていた紐はいとも簡単に切れた。
「何をする!」
銃を奪われ叫ぶもすでに遅い。メロンガメは銃を軒先の屋根の上に載せた。身長2メートルの大男ならいざ知らず、この警官の手では届かぬ高さである。
警官が怯んだ隙をついてメロンガメは駆けだした。その頃には黒山の人だかりとなっていた見物人たちがわっと割れる。拳銃をあのまま置いておくわけにいかぬ新米警官は追いかけることができない。彼を追う者がないのは必然であった。
かような妨害を受けながら、彼はようやっと商店街組合会合の根城にたどり着いた。
『カフェ・ラ・モントル』
連中はしばしばこの場所を貸し切って会合を設けていた。
メロンガメは扉を押しあけた。
貸し切りのはずの店内にベルの音が鳴り、中にいた者たちは一同にこの乱入者に注目した。当然この乱入者とはメロンガメのことである。皆が怯え、顔を見合わせ始める中、ひとり臆することなく口を開いたのは、上座のテーブルに座る初老の男であった。
「今更君が何をしに来たのだね」
この初老の男こそメロンガメの排斥を決定した月上ゲ町商店街組合会長であった。
「よもや異議を申し立てに来たわけではあるまい」
それを受け、メロンガメは背負っている甲羅からノートと筆ペンを取り出した。慣れた手つきで書き込んだ文章を見せつける。
『異議を申し立てに来たのだ』
「君のクビは商店街組合の総意だ。君はこの月上ゲ町のイメージキャラクターとしてふさわしくない」
初老の男は白くなりつつある片眉を上げた。
「帰りたまえ。君がいたのでは『春のわくわく商店街スタンプラリー』の話し合いができん」
周りの者が控えめにうんうん頷く。しかしここで引くとことは決定を受け入れるということだ。自身の存在が否定され、それを甘んじて受けるということだ。
つぶら極まりないマスクの目が一同を睨みつける。
組合会長は、黙り込む一同と頑として動こうとしないこの巨漢の男とを見比べると、深くため息をついた。
「君をクビにしようと言い出したのは『ブルドッグ』の三木村くんだ。文句があるなら何故君がクビになったのか彼に聞くがいい」
「ええっ!?」
名指しされた男――三木村が裏返った声を上げた。一昨年『スーパーブルドッグ』店長に抜擢された人の良さそうな男である。メロンガメは発案者というこの男へ向けて足を踏み出した。
「それは――」
この哀れな男は救いを求めて首をめぐらせたが、者共は皆すばやく目をそらした。
皆自分の意見に一も二もなく賛成したくせに。
メロンガメの両眸ばかりがこの男をしっかと捉えて離さない。つぶらさとは対照的に人を射殺せそうなほどのマスクの眼光にさらされて、男は可哀想なほどに縮こまっていた。心中では昨年産まれたばかりの娘と最愛の妻の顔がぐるぐると巡った。ソファに限界まで身体を押しつけ、涙目で半裸の巨漢の顔色を伺う。震える声で
「――イラストと違う」
その瞬間、メロンガメの手がグラスを握りつぶした。
会長以外の人々がひっと息を飲んだ。
「ひええ」
逃げようとした男を丸太のような腕がぐわしと捕まえた。子犬でも持ち上げるかのような気軽さで男の身体がつり上げられる。男は両手をばたつかせて必死に弁解を試みた。
「苦情!苦情が来てるんです!住民のみなさんから!きっ、来てるんですうっ!本当なんですよう!」
ばんっ、と乱暴に広げたノートに片手で書き込む。
『どんな苦情だ』
「どんなって……」
スーパー・ブルドッグには「お客様の意見箱」が設置されている。この箱が、組合加入者の集まりとして存在している商店街組合の意見箱の役割も兼ねていた。元々月上ゲ町商店街のイメージキャラクターとして制作された『メロンガメくん』は町内会ではなく商店街組合の管轄となる。
ところでメロンガメについてはこのような意見が寄せられている。
『可愛くない』
『怖い』
『イラストと全然違う』
『どうして着ぐるみじゃないんですか?』
地域に住む者として実に率直な意見だ。三木村店長もこれらの意見に素直に同意し、会合時に提出した。
しかし――正直に言えば、死ぬ。
悩んでいる間にもつぶらな目が迫ってくる。
三木村雅史は齢三十五にして初めて死を覚悟した。
「私は好きですけどねえ、『メロンガメくん』」
にっちもさっちもいかない状況に一石を投じたのは、カフェの女給・藤樺みやこ嬢だった。
「私の友達にも好きな子がいるんですよ。隣町の子なんですけど、アメコミのヒーローみたいで格好いいって。最近はちょっと変わったゆるキャラも流行ってるんですよね」
ね? と花がほころぶような笑みに、三木村は自分の状況も忘れて
「あ、はい……」
忘我の表情で返事をしていた。
「やっぱり!それでこんなマッチョな方なんですねえ――あっ、すみません!会議中に口を挟んじゃって。コーヒー、ここに置いておきますね」
冷める前にどうぞ、とメロンガメの横にそっとコーヒーが差し出される。――余談であるが、ミス・月上ゲ町との呼び声高いみやこ嬢である。常連の中には彼女目当ての客も多い。
みやこ嬢が店の奥に戻るまで、しばし空白の時間が流れる。
メロンガメは三木村をソファに降ろしてやると、ソーサラーごとコーヒーを手にして、一同を見回せる離れた席にどっかと座った。彼の手にあるとコーヒーカップも30ccのエスプレッソカップに見えてしまう。
一部始終を静観していた組合会長が言った。
「……月上ゲ町イメージキャラクター、メロンガメに異論のある者」
手を挙げる者はいない。
「賛成の者」
今度は全員の手がささっと挙がった。
「では、彼には今後とも月上ゲ町のイメージキャラクターを務めてもらうものとする。――これでいいか?」
月上ゲ町商店街組合会長は苦々しい顔でメロンガメに問うた。
メロンガメは鷹揚に頷き、マスクの上から(どういう仕組みになっているのか知らないが)コーヒーをすすった。
「メロンガメさん!」
店を出るメロンガメを追って、みやこ嬢が駆け寄った。
「今日はお疲れ様です。――でも、グラス、割っちゃ駄目ですよ」
月上ゲ町のゆるキャラは、ひどく赤面した。