白壁 [2/6]





 そのうち、水平線の上に白い要塞が出現した。
 思わず立ち止まって、辺りを見回した。こう何もない所で見逃していたとは思えない。それはいつの間にか出現したのだ。そして私はその白い塊を、要塞だ、と。根拠はないがそう思った。私はあの場所へ行かなければならないと思う。理由はないが。ここでじっとしていても仕方がないではないか。私は足を踏み出した。

 そう遠いようには見えないのに一向に近づいてこない。
 感覚としては走っているつもりであるのに、足取りは余計にふわふわとして覚束ない。そうしている間にも水はどんどん迫っている。もう膝の辺りまで上がってきている。波に身体を揺さぶられ、ともすれば転んでしまいそうだ。
 はやる脳内、「描けなくてもいいじゃないか」、と。
 唐突にそんな台詞が浮かんだ。
 胸の中で火種がくすぶる、じりじりと。何か、何か忘れてはならないことがあったような、そんなむず痒さと共に。
 ――私は何か忘れているのか?
 考えているうち一歩、二歩と足取りが重くなる。ついには直前の警告も無視して立ち止まってしまった。水が嬉しそうに轟々とその嵩を増している、質量を持って押し寄せる、こんなにも透明な水が。見下ろす水鏡、空と雲、それから足、胴、胸、ときて、私の顔だけが映らない。首から上だけが不自然な光の屈折で掻き消えている。鏡には私の顔だけが映らない。私には、顔がない!
 頭が割れるように痛い。手を当てる。大丈夫だ、まだ、首が落ちたわけではない。私はまだ私の形を保てている。この頭痛は警鐘だ。歩け歩けと警鐘が耳の奥で痛いほど鳴っている。追いつかれるな、今なら間に合う。そう思っているのだが身体は言うことを聞かない。駄目だ。これではとても駄目だ。

 顔を上げる。

 目の前には白い要塞の、街の全景があった。
 丘のようにせりあがった大地に、白い建物が規則正しく配置されている。道も白ければ、きっと住民も白い色をしている。私は白だけはそれとわかるのだ。真新しいキャンバスのようだ、と誰かが昔そう言っていた。その光景を見た私は素直に美しいと思った、あの時も。そうだ、私は、誰かを探していた。そんな気がする。誰だっただろう。とても、大切な人だった。
 そう思った途端、私は白い街の中に立っていた。
 裸足の足に刺さる痛みで気がついた。いつの間にか、水の張った砂地は真っ白な石畳の道に変わっていた。白い色の、水でしとどに濡れた服を着て、私は白い街の路地と路地の日陰に立たされていたのだ。港を一足飛びにして。
 うわんうわんと耳の中で響く音がある。私の手には銃が握られている。
 私は――あの人、彼に、会わなくては。

 もっと深く潜らないと。
 呟いた声は耳鳴りにかき消された。気が遠くなった。


 そこで、目が覚めた。





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