07





「Tくんは『さとるくん』の都市伝説を知っているかい?」
「ううん、聞いたことないな」
「おい!」
 後ろから野次が飛んだ。今まで黙って話を聞いていたサトルくんだ。キッタさんはさらっと言い流したが、あれでは彼を人間じゃないと言ったも同然だ。彼が怒るのも無理はない。
「いや、Tくんの方だからね」
 彼はぼくに向かって言った。今にも立ち上がって迫ってきそうな勢いだ。
「それは聞き捨てならねえよな。俺を知らないなんて、あんたにだけは言われたかねえよ。あんたが俺を呼び出したから、俺はここにいるんだろ?」
「……ああ、やはりそういう事情なのか」
 サトルくんの台詞の途中で、キッタさんは納得したふうに呟いた。その言葉にサトルくんは「そうだよ」と不貞腐れた調子でうなづいた。
「キッタサンさあ、ちょっとこの人に説明してやってくんない? あんた、なにからなにまで知っているって感じだしさあ」

 うっかり忘れていた。彼は人間じゃない、かもしれないんだ。集合写真に彼の姿はない。同級生というのは嘘だった。彼は四十人の生徒に交じった四十一人目のクラスメイト、知らないはずのクラスメイトなのだ。にもかかわらず、意識していないと忘れそうになる。彼とぼくは同級生なのだ、と思ってしまう。……彼の自然なふるまいが、これだけ堂々と教室にいて気づかれなかった理由なのかもしれない。

――なんなら語って聞かせよう」
 キッタさんがぼくの思考を遮って話し始める。
「Tくん、『さとるくん』はこういう都市伝説なんだ」



 さとるくんを呼び出すために必要なものは、公衆電話と十円玉、それから携帯電話だ。
 まず公衆電話に十円を入れて、自分の携帯の番号に電話をかける。このとき、自分の携帯電話の電源を切っておかなくてはならない。
 呼び出しに成功すれば、二十四時間以内にさとるくんから電源の切れた携帯に着信がくる。
 最初の電話でさとるくんは彼の現在地を告げ、それから電話のたびに近づいてくる。
 そして最後は自分の後ろに現れる。
 このときに、さとるくんはどんな質問にでも答えてくれる。



「へえ、そうなんだ……」
「ただし、後ろを振り返ったり質問を出さなかった場合、さとるくんに連れ去られてしまう。携帯電話を使った都市伝説なんだ。もっとも――
 と、キッタさんは横目で彼の方を見た。
――怪談話をその怪談本人を前に話して聞かせるなんて、とんだ茶番だけどね」
「とんだ茶番ですよ、Tくん」
 サトルくんは一転して機嫌が良さそうだ。以前、キッタさんもぼくが語る『自分の怪談話』嬉々として聞いていたし、二人は案外似たところがあるのかもしれない。
これで『さとるくん』という都市伝説のことはわかった。
 彼女の、いや『彼らの』言葉に嘘がなければ、その話はサトルくんのことを言ったもののはずだ。
「でもそんな都市伝説の人がこのクラスにいるなんて、そんなこと――
「だっからさあ、あんたにそれを否定される覚えはねえんだけどなー」
 と立ち上がり、彼は思わせぶりな手つきで黒縁眼鏡を外してみせた。ぼくはとっさに身構える。なにをするのかと思いきや特になにも仕掛けてくる様子はない。彼は眼鏡をシャツの胸ポケットにかけ、なにもない素の顔をぼくにさらした。

「Tくんさあ、去年の五月十五日のこと覚えてる?」
「……去年の?」
「いやいや答えなくていいって。質問してくれよ、なんのことだって。『さとるくん』が答えてやるからさ」
 意味深な台詞だ。どんな質問にでも答えてくれる都市伝説、というキッタさんの言葉が思い出される。そのキッタさんは腕を組んで話を聞いている。――どうしてこの人はこんなに平然としていられるんだろう?
 ぼくはしぶしぶ質問した。
「……去年のことってなんのこと?」
「罰ゲームだよ。あんたはクラスのお遊戯で負けて、その罰ゲームで俺に電話させられたんだ。クラスで流行っていた都市伝説、さとるくんに」

 そう言われてもぼくには思い当たるものがない。
 ぼくの反応のなさにサトルくんは肩をすくめて、
「どうしてあんたはそう覚えが悪いのかねえ……。あのときもそうだった。あんたは自分で電話をかけてきたくせに、そのことをからーっと忘れていやがったんだ。俺は何度も電話したんだぜ?」
 彼は電話の形に親指と小指を立てた手を耳に当て、首を傾けた。


「あんたは全然電話に出なかったな。知ってるよ。あんた就寝時間十時だもんな。俺が移動しながら電話をかけている頃、あんたはすやすや寝入っていた。
携帯電話を介して大体のことは知っているんだ。これって結構怖いことだぜ?あんたは毎日十時に寝て五時に起きる。……でも俺だって雰囲気ってものを大事にしたいんだ、家族が起きてるような時間だと雰囲気が出ねえんだ、わかるだろ?
コールの度に俺はあんたに少しずつ近づいた。
最後だけは電話に出てくれたな。

『ぼくはさとるくん。なんでも答えてあげるよ』

あんたは布団で寝転がったまま、電話に出た。
俺はあのとき、あんたの背中を踏みつけてやれる位置にいたんだ。知らなかったろ?
あんたは寝ぼけ眼で俺に質問をした。あのままなにも言わなかったら、俺だって今頃こんなところにいなかったのにな……
そうだ。あんたは俺に答えようのない質問をぶつけたんだ。

『すみません、何さんでしたっけ……名字聞いていいですか?』」

 と、サトルくんはぼくの声色を真似てそう言った。一瞬、ぼくはそれを自分が言ったように錯覚してしまった。他人の口から発せられる自分の声。なんでもない不自然さに寒気がした。彼はその仕草はふざけたものでも口調は妙に気だるげに、だからさあ、と話を続ける。
「俺はさあ、まだ都市伝説としての歴史が浅いわけよ。だからさあ、『設定されていないもの』は存在しないことと同じだ。 “ある”か“ない”かじゃない、“あるはずのない”名字を教えろとあんたは俺に言ったんだ。数々の質問をこなしてきた俺も、さすがにそんなことを聞かれたのは初めてだわね。答えに詰まるわな。
するとあんたは勝手に合点した。わかるよ、あんたは電話を切り上げて早いとこ夢の続きに戻りたかったんだ。あんたは言ったよ。

『じゃあまた明日学校で、さとるくん』

――こうして俺は宙吊りになったまま回線を断たれてしまった。
出された質問に答える、その儀式を終えずに。こっくりさんだって儀式を正しく終了しねえと祟るんだ。俺だってそうだよ。俺はあんたに取り憑いた」


 取り憑いた、とサトルくんはぼくを睨みつけた。それは教室で彼が最初にキッタさんに見せた目と同じものだ。向けられて初めてわかる、敵意のこもったまなざし。ぼくが反応に困っていると、彼は大げさな動きで肩を落とした。
「……んだけど、Tくんってば全っ然、気にかけねぇんだもん。俺もう超傷ついたわー。いい加減俺もクラスメイト演じるのしんどくって」
 そう言って大きなため息をついた。意味もなくポケットから眼鏡を抜き、そのつるの先をかじる。こういう動作や言い方は、ぼくが知っているクラスメイトのサトルくんだ。

「それで君は教室に居ついていたわけだ」
 キッタさんが考えながら口を挟んだ。
「本来、携帯電話の都市伝説の『さとるくん』がどうして学校にいるのか疑問だったんだ。Tくんが一役買っていたんだね」
「『また明日学校で』だ。Tくんは俺をクラスメイトと勘違いしたまま、俺という都市伝説と招き入れちまったんだよ、なあTくん? あんたの一言でさとるくんという都市伝説は変形して、あんたのいる学校にだけいられるようになった。存在しない番号、たとえば、四十番目のクラスメイトとして。――どう?これでTくんでもわかった?」
「……じゃあやっぱり、きみは人間じゃないんだ。『さとるくん』、なんだね」
「そんなんTくんが一番よく知ってるはずじゃね?」
 彼は、『さとるくん』は皮肉っぽく笑った。でも、どうしてだろう。その笑みはぼくに対してというよりは、正体を明かしてしまった自分への自嘲のように思えた。彼は自分から進んでキッタさんに正体を話させたのに、どうしてこんなに、後悔したような顔を見せるのだろう。




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