06





 サトルくんはぼくの肩に乗せていた手をそのまま反対側へ回すと、一方的に肩を組むような体勢に持ち込んだ。驚いて彼を見ると、横から覗き込む彼の顔はぼくの前で見せるあの不真面目な表情で、さっきまでの緊張が嘘のように消えていた。さっきのはなんだったのか問いかけようとしたところで、彼は喉の奥から、堪えきれないとでも言うように、くつくつと音を立てた。なんなのだろう。
「あんた“友達甲斐”なさすぎ!」
 ……と、いきなり至近距離で指をさされた。これはぼくに対する台詞のようだ。助けを求めてキッタさんの方に目を向けると、向こうは向こうで当てが外れたような顔をしていた。

「もっと抵抗されると思ったんだけどな」
「俺だってそう思ったけどさ。俺ね、真面目な顔すんの超苦手なわけ。Tくんがあんたとつるんでなんかしてたのは知ってるよ。あんたが手に持ってるそれ――
 サトルくんがふてぶてしくあごでしゃくる。キッタさんの持つ茶封筒に向けられていた。ぼくは気づかなかったが、教室に入ってきたときから持っていたのだろう。
――それ見てもう無理だわって。こういう諦めのいいところが今風でしょ。それに生徒全員に名札なんかつけさせて兵糧攻めみたいなことされちゃあさー。もう早めに迎え討つしかないじゃん?」
「そっちは僕を避けているみたいだから、こうでもしないと会ってくれないんじゃないかと思ってね」
「で、あんたはどういう怪異なわけ? 都市伝説系? 妖怪系?」
「僕はいたって普通の人間だ」
「嘘をつけ。普通の人間があんな化け物ホテルに住めるわけねえだろうが」
「それより、君のような存在は他にも沢山いるのか?」
「ち、ちょっと――

 ぼくを置いてけぼりにどんどん話が進んでいく。この場で事情を把握できていないのはぼくだけのようだ。説明を求める意味もこめて、ぼくは二人に待ったをかけた。機関銃のような応戦が中断してぼくに向く。

「邪魔すんなよTくん」「どうしたんだいTくん」

 二人分の視線が痛い。ぼくはどちらにと決めずに尋ねた。

「――話が、よくわからないんだけど」
「君の隣にいるのが“Sくん”だ」
 キッタさんが事も無げにぼくの問いに答えた。
「それだけの話だ。この教室に潜む四十一人目のクラスメイト、Sくんとは今ここにいる。『金髪』『日焼けにピアス』、君が語ったその男子生徒のことだよ」
「え?」
 理解が追いつかない。横を見る。金髪の、眼鏡の彼の、肩を並べるその顔がにっこりと微笑んだ。キッタさんの言葉がなにを意味するのか、理解しきれるより早く、ぼくは慌てて肩に回された腕を振り払った。焦げ茶色に焼けたその腕はあっさりぼくを解放した。
 金髪の、よく日焼けした肌。あ、よく見ればピアスが両耳についている。たしかに、これはぼくがキッタさんに話したところの“Sくん”だ。いや、これはサトルくんだ。この間会ったときから彼はずっとサトルくんだ。でも彼はSくんでもあるわけで……

「え、きみがおばけだったの」
「おばけ。……おばけ!」

 何気ないぼくの一言に、サトルくんが噴き出した。「うん、そだね。おばけ。そりゃいいわ。おばけ!」腹を抱えて笑う姿に、さすがのぼくでも腹が立つ。しかしこの反応を含めて彼はサトルくんだ、クラスメイトの。それともSくん、なんだろうか。
 笑いすぎて酸欠気味の呼吸にまじり、傷つくなあ、とその男子生徒は言った。
 そんな彼を前にして、キッタさんはいたって冷静だ。彼の笑いが収まるのを待ってから、確認するように問いかける。

「Sくん改め、さとるくん、と呼べばいいのかな?」
「うん、いい、それでいいよ。あんたどこまでわかってんの? 俺がどういうもんだか知ってるなら説明してやってよ、その人に。このままじゃ話が進まなさそうだから」
 その人――つまりぼくのことだ。サトルくんは、いや、この知らないクラスメイトは、椅子の背を抱えるように逆座りしてへらへら笑っている。
 そんな彼にキッタさんは動揺する様子もない。……メンタル強いな。

「Tくんから聞いた話の限りだと、Sくんが君に働きかけた行動は三つ。一つは転校生のところへプリントを届けに行かせること。二つ、それでいて翌日になって転校生は存在しないと告げること。三つ、転校生のアドレスを君が聞きに行くよう仕向けること。――以上のことから考えると、Sくんの行動はある目的において一貫している」
 キッタさんは指折り数えていた手を握り、人差し指を一本立てた。
「Sくんの目的は、Tくんを介して転校生に探りを入れること――そうだろう?」

 ……どうやら、その言葉に驚いたのはぼくだけだったようだ。サトルくんは「まあね」と、キッタさんの台詞をいともたやすく肯定した。
「Tくんはスパイの才能ゼロだったから、こうして俺が痺れを切らして出てきたわけだけど。なにせこの人、丸め込まれやすいし、言われたこと鵜呑みにしちゃうから俺のほしい情報は全然手に入らなかったね」
 スパイ……全然気づかなかった。
「Tくんは知らないうちに間諜にされていたわけだ。ならばなぜSくんが僕に直接接触してこないのか、それが疑問だった。Tくんのときにやったように、クラスメイトを誤魔化すことができるなら、なぜ僕にはそれをしないのか。いや――しないのではなく、できない理由があったんじゃないか? ぼくはそこから考えたんだ」

「待ってよ、そこがわからないんだ」
 ぼくは若干まだ混乱しながらも口を挟んだ。
「誤魔化すとか目的とか、サトルくんはクラスメイトだし」
 少なくとも、幽霊ではないはずだ。今さっきだって、彼の手はぼくの体をすり抜けたりしなかったし。幽霊なら普通は触れない。――でも彼はさきほど自分で認めたのだ。自分が人間じゃないことを。ぼくはずっとクラスメイトだって思っていたけど、そうじゃないっていうなら、
「この人、一体誰なんだよ……」

「じゃあせっかくだからここで、僕が借りてきたこいつを見てみようよ。これを見れば君の疑問も少しは氷解するだろう」
 そう言って、キッタさんは手に持っていた封筒をぼくに見せた。さっきサトルくんが気にかけていたやつだ。サトルくんは椅子の背に頬杖をついたまま、手で「どうぞ」と促した。キッタさんが封筒から取り出したのは一枚の写真だった。
「これはこのクラスが四月に撮影した集合写真だ。ほら、Tくんもここにいるね」
 彼女の指の先には緊張した面持ちのぼくが写っていた。年度初めに取った写真だ。それを認めるとキッタさんは満足そうに写真をぼくに向けて差し出した。
「確認するといい。これが彼が二年一組の生徒ではない、という証拠だ。ここに写っているのは三十九人の生徒と二人の教師、そのどこにも彼の姿はない」
 受け取った写真と、今そこに座っている男子生徒とを比較する。彼は夏休み明けから派手に印象を変えているから、四月のときと顔の印象が変わっているはずだ。それに手間どるぼくに、時間の無駄だと判断したのか、キッタさんは写真を取り上げた。

「あのね、いくら外見の特徴が変わったと言っても整形したわけじゃないんだ。なんなら僕がこの写真の三十九人全員、一から名前を読み上げていってもいい。吉田さとる、なんて名前の生徒がいればいいんだがね」
「じゃあ彼は……」
「駄目押しついでに資料がもう一つ」
 キッタさんは茶封筒の中からもう一枚、今度は文字とイラストが印刷されたプリントを取り出した。
「……去年の校内新聞だ。ここへ来る前新聞部の部室で借りてきたんだ。ほら、ここに記事が出ているだろう? 生徒による公衆電話の使用が一時的に禁止されているね。読み上げるよ。
 ――『最近、生徒の間で悪戯が流行している。よって以下はこれを禁止する。さとるくん、こっくりさん……』――ほら、彼の名前がここにちゃんと出ている」

 彼女はぼくにもよく見えるように新聞を裏返した。そこにはたしかに怪談が流行していることと、それを禁止する勧告が寄せられていた。
 ぼくはそこに書かれていた言葉を自分の目で確認し、思わず後ろを肩越しに見た。目をはなしたスキに消えている、なんてことはなく、相変わらず金髪黒縁眼鏡の男子生徒がだらっとした体勢で椅子に座っていた。彼は、ぼくらの話の途切れたのに気づいたのか、携帯に寄せていた目をこっちに向け、へらへら笑いながら片手をふってみせた。

 ――さとるくん。
 それはたしかにここにいるサトルくんと、同じ名前の怪談だ。




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