05





 金曜日の放課後、ぼくらは教室で人を待っていた。
『ぼくら』とはぼくとクラスメイトのサトルくんのことで、待っている人物はキッタカタリその人だ。HRが終わって、まだ教室にはぼくら以外にも残っている人がいる。サトルくんは珍しく苛立ちを隠そうともしない。普段が軽いだけにこれは大変な違和感だ。

「サトルくんって、名字なんていったっけ?」

 ……ぼくのこの一言がいけなかったのかもしれない。
 彼の胸に名札がついていないのが気になって、つい聞いてしまったのだ。いつもの彼なら軽くいなしてくれそうだが、今日は虫の居所が悪いようだ。
 キッタさんが来るのを待ちながらも、ぼくはその点が少し不思議だった。サトルくんはキッタさんに会いたがっていたからここに来たはずなのに、なにをそんなに厭うことがあるのだろう。
 名札のことも、彼なら自分から乗ってきそうなものなのに。
 二日前だったか、女の子たちが提案して二年一組では全員が名札を制服の胸につけている。転校生のキッタさんが早くクラスメイトの名前を覚えるようにということらしい。名札なんて、普段なら式典のときくらいしか使わない。ぼくの名札が厚紙に手書きなのは、学校に持ってきていないためにその場で書かされたものだからだ。机の名前シールも同様の理由で貼られている。ぼくですらお粗末な名札を作ってつけているのだから、イベント好きのサトルくんがノータッチというのは不思議だな、とそう思った。

 そんな気まずい時間がおそらく十分ほど続いた頃だろうか。ぼくら以外に残っていた最後の人と入れ替わりに、入ってくる人影があった。ぼくとサトルくんは揃ってその人物に目を向けた。
「お待たせ。少し調べ物をしていたら遅くなってしまった」
 ……そう言って入ってきたのはもちろん、キッタさんだ。

「会うのは初めまして、だね。そちらが『さとるくん』か」
 と、ぼくのすぐ隣に立つサトルくんを一瞥した。ぼくはその言葉に軽く混乱を覚えた。初めましてもなにも、彼はぼくらと同じクラスメイトで、さっきまで一緒に授業を受けていたはずだ。いや、二人は初対面なんだったっけ?
 ぼくが口を開こうとした矢先、


「Tくん、あんたそいつに騙されてんだよ。
そいつは転校生なんかじゃない、このクラスに紛れ込んだ化け物だ」


 サトルくんがいつになく厳しい口調でぼくの発言を遮った。
 そして彼はその手でぼくの左肩を掴んだ。急にこの人はなにを言い出すんだろう。きっといつもの軽口だ。そう思ってサトルくんの手を外そうとしたぼくは息を飲んだ。
 彼はぼくを見ていない。わざとらしいまでの黒縁眼鏡の奥で、彼はキッタさんを睨みつけている。金色の前髪のかかる眉間には深く皺が刻まれていた。サトルくんみたいに軽い人が、これだけ誰かに敵意を向けるなんて……
「俺、言ったよなTくん。もっと疑えって。このクラスに転校生なんかいないって」
「え? ああ、うん」
 反射的に相づちを打ったが、彼がなにを言わんとしているのか、さっぱりわからなかった。サトルくんはそれを聞いているのかいないのか、キッタさんを見据えたまま話を続けた。


「そいつはあんたに名簿の四十番は吉田と書いてキッタと読むんだって説明したろ。それは嘘だ。吉田はヨシダ以外に読みようがねえんだよ。あいつは俺の名字を奪って、俺の代わりにこのクラスに居着こうとしている化け物だ」

「そうだ、ヨシダ・サトルが俺のフルネームなんだよTくん。そいつに名前を取られたせいで、俺は自分の名字をなくしちまったんだ。そいつのせいで俺は影みたいな存在になった。Tくんは俺に協力して、俺の代わりにあいつの動向を見張っていてくれたんだ」

「あいつの名札を見ろ。転校生なら新品の名札をもらってるはずだ。なのにあれ、新品とは思えないほど汚れてるだろ? あれは元々俺のだったんだ。だからだよ」

「九月一日当日まで、キッタカタリなんて名前の生徒は存在していなかった。生徒どころか、そんな人間はいなかったはずだ」

「そいつの言葉を信じるなよTくん。ついこの間知り合ったばっかのやつより、ずっと一緒のクラスの友達の方が信用できるだろ?」




 一方的にまくし立てるサトルくんを前に、ぼくはどうすることもできずにただ突っ立っていた。あまりに急な展開に頭がついていけない。サトルくんの本名がヨシダ・サトルで、転校生のキッタカタリの方が後から来た偽者で、それってつまり――どういうことだ?
 キッタさんの方が化物で、例の『座敷ぼっこ』はキッタさんだった、ということになるのだろうか。いや、そんなまさか。
 ぼくはサトルくんとキッタさんとを交互に見返した。サトルくんは強張った顔のままぼくの肩を掴んでいる。一方のキッタさんは、それを平然とした表情で聞いている。睨み合うように対峙する両者を前に、ぼくは様子を伺うばかりだ。そんな時間が何分にもわたって続いたように感じたが、実際に経過した時間はほんの十数秒だろう。



「……って、やろうと思ってたんだけど、やーめた」



 間延びした声で、先に動いたのはサトルくんの方だった。




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