ミルクティー色の恋人





 甘すぎると、時に人は苦さを求めたがる。そういうものなのだ。だって私は他人の目から見れば十分すぎるほど恵まれているのだろうし、私自身も幸せなのだと思う。だけど、だからこそぶちこわしにしたくなる、瞬間がある。
 私の恋人、ひいくんは違う大学の男の子。美術系のサークルに所属していて、それが縁でお知り合いになった。私たちは週に一度はデートする。付き合い始めてもう半年になるけれど、彼の顔は変わらずハンサムだ。いつでもニコニコ笑っている。よくわからない絵や置物を作るのが趣味。高そうな2LDKのマンションに一人暮らししていて、某有名会社の跡取り息子。
 そしてひいくんは私を好きだと言ってくれる。


「そうだよしいちゃん。僕は君のことが好きなんだ」

 ぼやけた色のワンピースや花柄のスカートやなんかが入った専用のクローゼットから今日着て行く服を選ぶ。やり過ぎない程度に整えたナチュラル風メイク。香水を塗って、髪を巻く。鞄に小物をつめる。そして鏡で全身を確認する。彼の好みはとてもわかりやすい。まずおっぱいが大きくて、見るからに純粋そうな・全体的に淡い色の・ミルクティーとか飲んでいそうな・ゆるくてふわふわした処女。……もとい、女の子。
 ひいくんはそんな私のことを愛していると言ってくれる。


「愛しているよ、しいちゃん!」

 かっこよくて、お金持ちの恋人に一途に想われている。みんながほしいのは『金持ち』で『性格のいい』、『イケメン』の恋人。そうよ、彼は性格に問題があるわけでもないの。商品を手に取り「かわいい」を連呼してから困り顔で財布を確かめるそぶりをすれば、次に会うときにはサプライズプレゼントを用意してしまう。彼はそんな純朴な人間だ。
 甘くて、幸せで、文句の付けようもない日々。
 私は今とても充足している。
 ……私は今、充足している?

 嘘だ。
 私はこの甘ったるい彼との関係を、ときどき修復不可能になるほどめちゃくちゃに、破壊してしまいたくなる。甘いものばかり食べていたら辛いものや苦いものがほしくなる。それと同じだ。
 もっと詳しく言うと、ぜんぶ嘘なんだと言ってしまいたくなるときがあるのだ。
 あんたが好きだと言ったしいちゃんはぜんぶ偽物なんだよ、と。

 有名な女優と同じ位置につけたほくろは整形だし、二重まぶたもそう(私の家は両親も弟も一重まぶたの家系だ)。照れながら隠して見せた胸だって自前じゃない。肩にあるのは痣じゃなくて刺青をファンデで隠した痕だし、ナチュラル風味メイクで見えない素顔は別の顔。煙草も好き。お酒も好き。ほんとは酎ハイとかカクテルくらいじゃ酔えないのよ、知ってた?
 彼がよく連れて行く雰囲気だけのカフェは吐き気がするくらいだ。あたためられた牛乳もコーヒーの臭いもおしゃれ風に気取った音楽も気に障る。服だってそう。シフォンスカートなんてあんな足にまとわりつくもの大っ嫌い。丈がぎりぎりのパンツとかがっちがちに武装したファッションを入れた箱を、ゆるふわと別に隠してある。私が本当にゆるふわなのは頭と股の間だけだ。それでもひいくんは私の本性に気づきやしない。『ひいくんが初めてだよ』そんな常套句を鵜呑みにしてしまうような、そんな朴な彼だもの。彼の『君だけだよ』と私の『あなただけ』が決定的に食い違ってることをあなたは知らないんだ。

 なんて馬鹿で愚直のお人よし!

 私にそう値踏みされていることを彼は知らない。だって言ったことないから。態度に出ないよう細心の注意を払ってるから。それにね、ひいくんの長所は顔がいいところと、家がお金持ちだってところ。それから私に簡単にだまされてくれるところ。

 あなたは私の唇が好きだと言ってくれる。
 ――でもその唇は平気で嘘をつくみだらな口。
 新しい服を着た私をかわいいとほめてくれる。
 ――それはあなたの好みに合わせて作った嘘の私。

 私というカップに注がれたものの中身を、かわいいあなたは気づかない。だから私はあなたに打ち明けない。この甘さに嫌気が差すまで私はきっと口にしないだろう。
 けれどもし、もしそのときがきてしまったら?
 そのときには彼はどんな顔をするのだろう?
 最近はよくそんなことを考えてしまう。甘さ吹き飛ぶ最後の場面。ひいくんはそのときくらい、あのニコニコした笑顔をやめるのかしら。


「ね、産まれてくる子はどっち似だろうね?」

 無邪気にそんなことを聞く、私のかわいい恋人。
 私は彼に、うまく微笑んで見せる。



*****



 甘すぎると、時に人は苦さを求めたがる。僕はしいちゃんのそういうところが大好きだ。通り一遍でないところ、とんでもない苦みを上手に甘さで覆っているところ。
 僕の恋人、しいちゃんは違う大学の女の子。サークルの合コンで出会ったのだ。声をかけてきたのは向こうが先で、胸が大きくて、ぽってりした唇の下のセクシーなほくろに僕の方がひとめぼれした。付き合ってもう半年、週一回のデートの誘いに彼女は快く応じてくれる。向こうは学生寮に入っているからたまに門限を持ち出してくる。ショッピングが好きなくせにほしいものを素直にほしいとねだれない。そんな彼女がいじらしくて僕はつい、好きだと言いたくなってしまう。


「ありがと! ひいくん、大好き!」

 彼女はデートのときにはいわゆる“ゆるふわ”な服で僕のところに来てくれる。僕の好みをどこかで聞いてきたのだろう。そうやって好みに合わせてくれるのは嬉しいことだ。本当は普段外に着て行っている胸もとが大きく開いたような服が似合うのに。そういうところがいじましい。かわいくてかわいくて、いとおしくて、たまらないのだ。僕はそんな彼女のことを心の底から愛している。

「私もひいくんのこと愛してるよ」

 僕は幸せ者だ。こんなにも僕のことを想ってくれる恋人がいて。彼女は胸が大きくて、僕のためにあらゆる努力を惜しまず、それでいて努力する姿を僕に見せない女の子なのだ。
 そしてその頑張りを、彼女は僕に気づかれていないと思っている。うまく嘘をつきとおせていると考えている。

 でも僕はちゃんと知っているんだ。
 彼女は僕に会えない間は人恋しくて、寮を抜けて夜遊びに出てしまうような子なのだ。しっかりしているようでふらふらしている女の子。そんな子には、こっそりGPSでも持たせていないと危なっかしくて夜も眠れない。だから僕は彼女がいつ・どこで・何をしているのか、ちゃんとわかっている(もし彼女に何かあったら守ってあげなければいけないからね)。
 それに僕はいつだってしいちゃんの声を聞いていたいし、どこで何をしてるのか知っておきたい。しいちゃんの友人も思い出も写真も、そのすべてを知りたいんだ。
 もちろん、知っていることも沢山ある。しいちゃんの趣味が本当はカフェめぐりなんかじゃなくてバイク趣味だってこととか、中学一年の八月以来たびたび警察のご厄介になっていたことも。
 それだけじゃない。僕に会う前、煙草の臭いを消して来るのにどれだけ気を使っているか。先月は二回合コンに行った。恋人の数は三人。肩の刺青はモルフォ蝶の美しい青。『好き』も『愛している』も君から言ってくれたことは一度もない。カフェオレを飲んだときに一瞬見せる苦汁を飲まされたような眉のひそみ。お酒に弱いふりをしているのは、酔ったふりでもしないと甘えられないからだね。

 なんて嘘つきで計算高く、愛らしい人なんだろう!

 けれど、彼女も知らないことがある。
 ひとつは僕が彼女の頑張りをすべて知っているということ。ふたつめはお金というものはとても便利だということ。お金はしいちゃんが考えているほどやさしいものではない。お金は怖いものだ。使い方一つで大抵のことはできてしまう。
 ――こんなもの、家族や友人に見られたらとても困るだろう。
 今のところそれらは、僕ひとりで楽しむための個人用フィルムとして保管している。もちろんこれから先もそうであることを祈るばかりだ。僕は別にいいんだよ。君が誰と夜を過ごしても。僕から離れさえしなければ。

 そんな僕でもときどきしいちゃんに言ってしまいたくなるときがある。彼女がいつも笑顔で僕に差し出す、カップの中に投げ入れた秘密の正体を。
 もしも彼女に言ったらどうするだろう?
 彼女はどんな顔をするのだろう?
 もちろん僕はそんなことを直接しいちゃんに言ったりしない。だって僕は、僕のために似合いもしない服を着込んでくるいじらしい彼女が大好きなのだから。
 でもときには僕が彼女の中身をちゃんとわかっていることを知ってほしくて。
 僕はごく遠回りにほのめかしてみせるのだ。


「ね、産まれてくる子はどっち似だろうね?」

 一瞬こわばる彼女の顔が、僕にはとてもいとおしい。



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