大変居心地の悪い一日が終わった。 始まって、放課後になるまでが一週間くらいかかったような気がする。 キッタくん……じゃなくて、キッタさん、は休み時間になるたびにクラスメイトに取り囲まれていた。取り巻きの大半は女の子だ。クラスメイトから質問攻めにあう転校生。都市伝説程度に話は聞いていたけれど実際に目にするのは初めてで、少し感動してしまう。 「ったく、転校生くらいで大げさだよな」 「ほんとそれ。どこの田舎の学校だっての」 一方のぼくら男子は遠巻きに眺めているだけ。女の子の方がこういうイベントには積極的だ。 「……どこ住んでんのかな」 「さあな。誰か聞いてこようぜ?」 「じゃあお前が行けよ……」 女の子たちとは対照的に、こちらではこんな会話が囁かれている。どうやらこれが転校生が来た時の正しい教室のあり方らしい。みんな口ではどう言っていても、転校生の存在に浮き足立つのを隠せていないのだ。 それも無理ないと思う。 キッタ……さん、は転校生で、女の子で、しかも美人だ。美人なのだ。これが極めて重要なことだ。教室に美人の転校生が来て気にならないはずがない。 しかしながら、女の子たちの勢いに、ぼくら男子は完全に尻込みしている。あそこに参加するのは、肉を取り合う虎の群に飛び込むようなものだ。キッタ、さんの前の席なんて、椅子といわず机の上まで女の子たちに占領されている。――この、今女の子の尻が二つほど乗っている机がぼくの席だ。 休み時間のたびにこんな調子だから、チャイムが鳴ったら押しのけられる前に避難しなくてはならない。 それでも女の子が騒ぐ気持ちもけっしてわからないでもない。キッタ……さん、は宝塚の男役的というのか、凛々しい、のだ。王子様は言い過ぎだけど、中性的な容姿をしている。ぼくが男の子と間違えたのもうなずける(と、思いたい。) 「あやかりてえなあの人気」 「転校生って言っても騒いでるの最初だけでしょ」 男子サイドはこんな感じだ。混ざりたい気持ちがないわけではないが、なんとなく互いに牽制しあっているふしがある。輪に入れなかったもの同士の結束力というのか、これは妙な仲間意識の賜物だ。そんな空気があるから、ぼくはキッタさんと一悶着あったことは話さず、適当に周りに合わせていた。 だから―― 「マジで人気なのなー、あの子。 そういやさ、Tくんは行ったらしいじゃん? 彼女のお・う・ち」 ――その何気ない一言に、その場の空気が一瞬凍りついたのがわかった。ざっ、とみんなの視線が一斉にこちらを向く。ぼくは思わず目をそらした。上唇を噛む。あ、これはまずいな。こんな反応をしたのでは認めたも同然だし、なにかあったことは歴然だ。なにか取り繕わなくては。 「あのさ、オレは、その、プリントを届けただけで、なにも」 「おいおいおいおいTくんよぉ」 「興味なさそうな振りして抜け駆けか?」 「そういや授業始まる前に二人話してたよな」 「教室飛び越して家ってお前、なにしたんだよ」 あ、これは駄目だ。 言い逃れできないやつだ。 あくまで冗談めかして喋っているが、彼らの目は笑っていない。さっきまでの結束感が嘘のように、一転して裏切り者を見る目つきだ。 「今度俺にだけは教えてくれよ? Tくん」 爆弾を投げ込んだ当の本人はそんなことを言って、へらへらと行く末を静観している。どこから情報を入手したのか知らないが、なんて余計なことを言ってくれたんだ……。 「本当に、なにも、そういうあれじゃなくて……」 言葉を濁しながら立ち上がろうとするぼくに、いつの間にか固められていた背後から、両肩に手が置かれた。逃げようにも逃げられない。ぼくを押さえつける手がそう物語っていた。 キッタさんが女子に囲まれてそうしているように、ぼくもまた男子たちから質問攻めにされることになった。けれどそれは質問攻めというぬるいものではない。「尋問」と呼ばれるべきものだった。 「――どうにもさっきからぼうっとしているね」 その一言でぼくは現実に戻ってきた。目の前にはキッタくん、もとい制服姿のキッタさんがいて、ぼくを見つめていた。……なんだか前にも一度こんなことがあったような気がする。 「大丈夫かい? 僕の風邪が移ってしまったかな」 「え……ああ、いや、体調は大丈夫。ちょっと疲れてるみたい」 月曜日だからかな、とぼくは取り繕うように頭をかく。知らない間に思考が過去へトリップしてしまっていたようだ。今はもうとっくに放課後、場所は同じく教室でも、昼休みの集団尋問からもう四時間はたっている。 「たしか、僕の連絡先が聞きたい、だったか」 そうだ。あれから紆余曲折(どこをどう曲がったのかは覚えていないが)あって、ぼくは責任を取ってキッタさんのアドレスを聞きに行くことになったのだ。なんの責任なのか、結局アドレスを知りたかっただけなのではないか、そういった疑問は一切無視された。とにかく、明日までに聞きださないとリンチにでも遭いかねない。 そういう理由で、ぼくはホームルーム後にキッタさんを呼び止めた。ぼくの席が彼女の前でよかったと思う。でなければ今日の様子から考えて、女の子たちが先に持って行ってしまっていたに違いない。(もっとも、キッタさんは誰と帰る約束もしていない、と言っていた) ああ、にやついて横を通って出て行く男子連中が腹立たしい。けれどキッタさんはそんなことは露知らず、「困ったな」と口元に、曲げた人差し指を当てた。 「持っていないんだ。ケータイデンワ」 「持ってないって、それほんとに?」 ちょっと信じられなかった。今どき携帯電話を持っていない高校生がいるなんて。このぼくですら持っているというのに、キッタさんの家はそういうあたりに厳しい家庭なのだろうか? 「正確には持っていないわけじゃないのだけれど、使えなくなってしまって。こっちで新しく買い直さなくてはいけないな」 「? そうなんだ。珍しいね」 故障したということだろうか? よくわからないが、本人が持っていないというのならそれでいい。ぼくも堂々とみんなに弁解できる。 とにかく、と彼女は一息ついた。 「そういう理由で僕の連絡先は教えられないんだ。だけど君の連絡先を教えてくれれば、何かあった時に連絡することはできるよ」 「そっか。けど、なんていうか聞きたいのはオレじゃないんだ。あいつらが聞いて来いってうるさくてさ。ほら、今話題の美人転校生とお近づきになりたいみたいでさ」 ぼく自身が女子の連絡先をすごく知りたがっているように受け取られるのも癪で、慌てて言い訳のように付け足した。 「だろうね」と彼女は言う。とてもつまらなさそうに。ぼくが発言した『美人』に対する賛同でなければ、昼間の一件、ぼくが尋問されている所を見ていたのだろうか。キッタさんは挑発するように、その涼しげな目を細めた。 「知っているよ。君たちが盛り上がっていたところなら遠目にさ。僕に言わせれば自業自得だ。君が調子に乗って転校生と顔見知りだ、なんて話したりするからだね」 「いやいや、自分から言ったりしないって」 あの場でどう考えても不興を買いそうな情報を、自慢げに話したりなんてしない。 大体、そんなことをしたらぼくがキッタさんを男だって勘違いしていたことも、金曜日に早退した理由もばらさなくちゃいけない。今日はうまい具合に早退は体調不良でごまかすことができたが、もしそんなことがばれたりしたら……恐ろしい。 「そんな、自分から爆弾踏みに行くような真似はしないよ」 「でも誰かには話したんだろう?」 そう言って彼女は食い下がろうとしない。 その疑わしげな物言いを受け、ぼくは考えるポーズを取る。 はて、誰に話したんだったか……。 「考えてもみろよ。君が話したのでなければ誰がそのことを知り得たんだい?」 なんだか話が長くなりそうだ。 ぼくは鞄を自分の椅子に置いた。机によりかかって、金曜日に彼女と別れた後のことを思い返してみる。 たしか家族には話した。帰宅がいつもより遅かった理由を訊かれて、簡単に説明した覚えがある。でも土日は家の用事で家にいたし、誰かと連絡を取り合うこともなかった。もしかしたら見舞いに行く姿を見られて噂になっていたのかもしれない。 そういったことをかいつまんで伝えると、キッタさんは「それは変だ」と腕を組んだ。 「今日クラスの女の子たちと話した限りではそんな噂はなかったぜ。いったい誰が言い出したんだ? 君が転校生の家に行っていた、なんて」 それはもちろんあのとき教室にいた―― 「――誰、だったかな」 ここで初めて、ぼくはその相手を思い出せないことに気がついた。あのときの、昼休みの教室には全体の三分の二くらいの男子がそろっていた。その中の一人がそう言ったのには違いない。それが誰だったか……ああ、夏休みぼけもいよいよ深刻だ。 「誰だったっけなあ」 考えてみるがどうしても思い出せない。そうやって頑張って記憶を辿っていると、あることが思い浮かんだ。ぼくはそれをキッタさんに話すことにする。 「でもほら、そんな深刻に考えることないんじゃない? オレに日直代理を頼んだやつがいるじゃないか。だったら、誰かしら知っていて当然だと思うけど」 「Sくんだな」 キッタさんがすばやく反応した。 「君の話の中に出てきた、休んでいる転校生にプリントを届ける仕事を肩代わりさせた人物だ。……でも、正直君の記憶はどこまで信用していいのかわからないなあ」 彼女は少し考えるようにして指を立てた。 「Sくんの特徴をもう一度教えてくれるかい?」 Sくんの特徴。それはたしか―― 「色が黒くて、ちょっとチャラい感じの男子?」 「なぜ疑問系なのかは置いておくとして、正確には『見るからに夏休みデビュー』という雰囲気の『日焼けして』『耳にピアスを開けている』男子だ。君は金曜日、僕に対してそんなふうに話していた」 ……よくそんな細かいところまで記憶しているものだ。感心してしまう。話した本人ですらまともに覚えていないというのに。 と、ここでキッタさんは周囲を見回した。ホームルームが終わってからそれなりに時間がたち、みんなもう出て行った後だ。教室にはぼくらの他は誰もいない。そういえば、Sくんから転校生の家に行くよう頼まれたのも、こんな場面設定だった。 「だけどさTくん、君が言うような生徒がこの教室にいたか?」 彼女は不思議と声をひそめてそう言った。 「今日一日、一番後ろの席からクラスメイトの姿を観察してみたんだ。目立って日焼けしている人は何人かいたよ。ピアス穴が開いている子もいないではなかった。けどさ、『日焼け』と『ピアス』を両方満たすような人間はいないみたいだぜ。君が会ったSくんというのは本当にそんな姿をしていたのか?」 「じゃあ勘違いだったかも……なんて」 「君ねえ、自分の発言には責任を持てよ」 さすがにキッタさんも呆れた様子だ。 無責任なことを言っている自覚はある。けれど、『キッタくん=キッタさん』の件で前科があるだけに、ぼくは自分の記憶というものに自信が持てない。 「そうだなあ」 溜息混じりに、キッタさんはぼくと同じく机に座った。今まで向こうだけ立ったままだったのだ、と気づいて少しだけ後ろめたい。なんとなく、ぼくは姿勢を正す。 「君、金曜日にあれだけしゃべっておいて自分でおかしいと思わなかった?」 「きみが女子だと見抜けなかったことなら忘れてほしいんだけど……」 ぼくは相手の顔色をうかがう。キッタさんは首をゆるゆると横に振った。 「違うよ、君の話の矛盾点だ」 「矛盾点?」 思わず聞き返してしまう。 「矛盾って、ぼくの話が?」 「そうだよ。矛盾点」 彼女はあくまで冷静だ。静かにぼくへ決定打を突きつける。 「君の話は現実と矛盾しているよ」 back |