ほろびる時刻




 傾いた日の陽光。四月の窓辺。
 教卓の脇に据えられたオウムがラジオの電波を受信している。『…以上、未来の天気をお送りしました。なお突然の酸性雨にはご注意ください…』酷い花粉症に見舞われたトランペットのむずがゆくなる音色に混じって、遠くの廊下で誰かがたてる神経質な靴の音。
 ヨウコはそういうなんでもない音に耳を傾けていた。
 目の前では着々とトランプタワーが組み立てられていく。
 宇宙人は持ち前の恐ろしい集中力でこのタワーの建設を進めていた。宇宙人は普段はおしゃべりな方であったのだが、建設作業に入ると一言も口を利かなくなってしまった。
ヨウコはと言えばとっくにこの遊びに飽いていた。二人で遊ぶのも退屈だから他のことをしよう、と始めたのが今のトランプによるタワー作りだったが、ヨウコは一段も作らないうちから投げ出してしまった。それからは宇宙人がタワーを築いていくのをただ眺めていた。

 ヨウコと宇宙人の間には、いつからか、放課後の音楽室でトランプでカードゲームに興じるという奇妙な習慣が出来上がっていた。ゲームに使うトランプは初めからボロボロで、四隅が削れて丸くなっていた。宇宙人が常に身につけているものだ。そういえばどうしてトランプなんか肌身離さず、とヨウコは思った。
(なぜならとても興味深い)
 答えたのは宇宙人お得意のテレパシー通信だ。
 ヨウコは音に集中するため目を閉じた。脳に直接語りかけてくるため周囲に会話がもれることはない。ただ、ラジオの電波が乱れてしまうから、傍受される恐れがあることは否めない。

(このカードはこの地球からのロケットに積まれていた。このカードがわれわれの先祖に船を飛ばさせたのだ。カードにはわれわれの星には存在しない物質が含まれていた。自然にはありえない。知的生命体の存在を裏付ける確かな証拠だ。わたしはずっとこのカードがどういう用途で使用されてきたのか考えていた。知的生命体がわれわれへ向けた何らかのメッセージであるという説が学者たちの間では主流だ。この星にたどり着くという目標は達成したが、このカードからはまだわれわれが気づかないメッセージが読み取れるかもしれない)

「しかし、なにもかもおそすぎた、です」
 と、ユウマは一方的に回線を切断した。


 風を感じてヨウコはそっと目を開けた。
 宇宙人が閉じていた窓を開け放ったのだ。外からの風に乗って、朽ちかけたさくらの花びらが一枚、そっと、完成間近だったタワーの中腹に触れた。

「あ」

 と、言うより早く、タワーは音もなく瓦解してしまった。
 下校を知らせる放課後のチャイムが鳴り響いた。いつの間にかトランペットの音がやんでいたことにヨウコは気がついた。
「ちゃいむなりました」
 ユウマが言った。ヨウコの座っている所からでは逆光になってしまうので表情はうかがえない。「ようこはかえりますか」
「また散歩にでも行きたいの?」
「もうすぐほうかごです」
「今が放課後よ」
「それはちきゅうのほうかごきます」
 それきり黙りこんでしまった。宇宙人が何も言わなくなってしまったので、ヨウコは床に散らばったトランプを一枚一枚集めはじめた。よくわからないけれど、怖いなら帰ってもいいんじゃないのかしら、とヨウコはぼんやりと思った。この宇宙人が故郷の星のことを何より大事に思っていることは承知していた。こんな壊れかけの惑星にいるくらいならいっそ、故郷の星へ引き返してしまえばいい。
「でも帰るならあたしも連れて行ってよね」
「かえれない、ません」
 突然、何かをこらえるような声で宇宙人は言った。ヨウコは宇宙人を振り見る。
 影の中でも黒みがちの目がかすかに光を宿している。その目はヨウコのことを見つめていた。見えない回路がちりちりと網膜の奥を刺激する。
「めを」

 ヨウコは何も言わずに立ち上がると、ラジオの電源を静かに落とした。



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