亡霊の緋





 全てが赤に佇む。逢魔が時と呼ぶに相応しい、暮れ行く林に、朽ちた列車が放置されていた。木々に囲まれたその列車は表面を錆びに侵食され、今となっては動くことのない。枯れ飛ばされた草木が散乱するその車内、女物の白襦袢に煙管の男。
 奇妙な風体の男が言う。

「いかにも。私が幽霊の正体だ。この廃棄列車はアジトの一つでね」

 対するは薄汚れた身なりの少年。安っぽいビニイルの椅子に腰を下ろした少年は、正面に陣取った男を睨みつける。

「ここをアジトにして何をするつもりだ?」
「答えてもいいが、思い出せるかね、君は、私を。私が、何者かを」
「お前は幽霊のふりをしている。僕が町の人たちのように怖がると思うなよ」

 少年の強気な発言に、男は愉快そうに首を捻った。煙管の先をくわえて、紫煙をくゆらせる。
 少年は思う。巷間で口だたされている林の奥に棲む、薄気味悪い幽霊の噂は奴のことだったのだ。奴は邪悪なものに違いない。
 しかし少年はどうしてか、胸に引っかかるものを感じるのだ。奴は幽霊ではない。幽霊のふりをした人間だ。けれどただの人間といっては誤謬がある。人でもなければ幽霊でもない、化物という語も当てはまらない。
 この男を形容する、ただ一つの言葉があるはずなのに。
 どうにも茫洋と霧がかった脳内。少年はどうしてもその言葉を発見することができない。男は煙管の先を少年に向けた。

「ところで君はどう思う、ここにあるものを」
「どう思う、だと?――

 廃棄列車にはあらゆる物が、所せましと載せられている。
 (束になった少年雑誌、黒ずんだ人形、円柱型のポスト、空になった駄菓子の売り箱、空き瓶、マッチ箱、フラスコ、踏みミシン、アルミ製の四角い缶、針が飛んだ蓄音機、黒電話は受話器が外れているしタイプライターは故障中、テレビのアンテナは傾いていて、鼈甲縁の眼鏡と吹硝子は寄り添い、壁には歌劇のスタア、煙突の写真、割れた白熱電球、どことも知れぬ看板の山、山、山、山!)
 それらは山と積み上げられ、少年と男以外を取り囲むように、座席を埋め、窓を塞ぎ、扉から毀れ出そうなほどに溢れた無機物たち。それらはどれをとっても古ぼけて、埃が積もっていて綺麗とは言いがたい(少年の格好とて、それに負けず薄汚いものだったが)。赤い陽の中で見るそれらは、我楽多としか言いようのない『物』だ。少年にはどれもこれも馴染みがない、はずであるのに、なぜかそれらに強い既視感を覚えるのだった。
 少年はやっとのことで言葉を紡ぐ。

――よくも、こんなに」
「ここは世紀末の墓場なのだ」
 男は煙を吐くその口の、薄い唇を歪めた。
「時代に忘れ去られ、誰にも顧みられない、我楽多同然の遺物が最後に流れ着く所だ」
「どうしてこんなものを集めるんだ?」

「集めているわけではない。自然と集まるようになっているのさ。なぜならこの場所自体もまた、忘れられた空き地であるのだから。そうさ、私とて例外ではない。今の時代に私たちのようなものが入り込む余地はないのだ。そうだろう?」

 男は浮ついた笑みで同意を求めるように謳い上げた。『私たち』、という言い方に少年は眉を潜める。この男はなぜか知らないが初対面の少年を同類と見なしているらしい。冗談ではない、こんな得体の知れない人物と一緒にされてたまるかと、少年は人差し指をまっすぐ男に突きつけた。立ち上がり、そして言う。


「お前はいったい何者なんだ!」


 指された男は、一瞬全身の動きを止めた。座席に体を預けたまま、硬直したその目が、投げられた言葉の意味を理解した途端に、気でも違ったかのように笑い出す。哄笑、それだけが列車の壁に反響する。男の狂気に少年は思わずたじろいだ。男は両手で顔を覆って腹の底からこみ上げる笑みを受け止める。指と指の間、引きつった唇から言う。


「質問に答えてあげよう」


 立ち上がる、男の姿は赤にぼやけてゆらゆらと、まるで実体のない陽炎のようだ。顔は覆ったまま、挟んだ煙管が指から落ちる。床に落ちた煙管から、こぼれた煙が周囲に散らされる。
 顔にあてた手を、ゆっくりと頬へ、まわされたその手は引き裂くようにして、男は、『男』のマスクを剥ぎ取った。
 その瞬間、少年はこの男を形容し得る、ただ一つの呼び名を思い出した。


 彼こそは黄昏に赤いマントを翻す者。
 誰にも侵されない美学で司法に背く正体不明の化け物。
 日の本に傘差さず闊歩する幽霊。
 そうだ、この男こそ――


「私は【怪人】」

 何者でもないその人物は誰でもない声でそう言った。

「時が移ろうことなど百も承知! 『今』は光より確実に一点に走る。全ての古きものは時間に消し去られる。弔われることもなく。
「だが私は許さない。私を忘れ去ろうとする世界を許しはしない。
「時が全て蔽うのが理というのならば、
「ならば私は彼奴らにひとつ、復讐をしよう! 私を忘れた人間に、自分たちが置いてきたものが何ものであったのか思い知らせてやろう。私を知らぬ者にはこの名を目蓋の裏に刻みつけるのだ」

「今度ばかりは私の邪魔をさせはしない」

 少年は怪人と対峙した。廃棄列車の壁に追い詰められる形だ。
 この時に及んで少年の頭には未だ煙に似た、不透明の迷宮が渦巻いていた。それは怪人と向き合っている恐怖が原因ではない。この対峙は今が初めてではないはずだ。いや違う。初めてではない? ここに来たことはない。奴とは初対面であるはずだ。さっきも同じような感覚を、あの我楽多を前にして、何十年も昔に廃棄された我楽多に覚えた感覚に似ている。集めた、いいや、廃棄列車に集うのは、時代に忘れ去られたものたち、奴は時代からはじき出された怪人で――

「なら、僕は、どうして、ここに……?」

 今、少年にとって正体不明のものは目の前の怪人ではなく、自分自身に他ならなかった。怪人と、相対する自分は一体何者なのだ?
 煩悶する少年に、怪人は憐れむような視線を向けた。


――俺もお前も亡霊なのさ、【少年探偵】」


 それは怪人と同様、かつて少年に与えられた呼び名であった。
 長い時間の末に当人にすら忘れ去られた、少年を形容し得るただ一つの呼び名であった。




back



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -