杯は四つ[4/4]



 窓のない部屋に木製の丸テーブルが一つ。テーブルの端と端は互いにうんと手を伸ばせば届く距離。白いテーブルクロスの下から覗く足は一本足。
 テーブルの中央には濃緑のワインボトルが一本。そしてボトルに密接して、取り囲むようにワイングラスが四つ。いずれも同じ透明のグラスであり、中身は赤黒い液体が八分目辺りまで、きっちりと均等な高さに注がれている。
 さて、グラスが四つということは、人間が四人ということであり、その四人の人間は、慎重な面もちでグラスと向かい合っていた。
 九時の席の少年が話した推理とはこうだ。
 ――そもそも、このワインには本当に毒が入っているのかどうか。
 そして彼の立てた結論は「ワインに毒物は入っていない」というものだった。

「思うにこれは解釈の問題なんだ」
 三人の少年探偵を相手に、少年は言った。
「この中で、かろうじて成人していそうなのは、年長者のきみだけだ。お芝居のきみは微妙だけど……それでもまだ十代だよね。化粧をしていても彼より年上には見えないもの。これは僕の体感だけど、どうだろう」
「どうと言われても、たぶん年長者なんだろうなとは」と三時の少年。
「同じく、おそらく年下なんだろうなとしか」とこれは十二時の少年。「僕自身は、そうだな、十代で先生に弟子入りして、犯罪事件に携わっていた年月を考えると、お酒くらいは飲める年のはずだよ。こう見えて自動車の運転もできるしね」
 車なら実は僕も運転したことがある、と言い出すとややこしくなりそうなので、九時の少年は「なら良かった」と頷くのみに留めた。
「僕はグラスに入っているワインは、毒なんて入っていない、どれも同じワインだと思うんだ。なぜなら、年長者のきみを除く三人はまだ未成年だからね。未成年にとってアルコールは毒だ。だから『一つは薬で三つは毒』、これは実際に毒が入ってるんじゃなくて、僕たちにとって毒だ、ということしか言っていないんじゃないかな」
「無理がある」
 難色を示したのは六時の少年だ。
「橋を渡らず端を渡るってのと変わらない。それじゃ推理じゃなくてとんちだよ」
「そうだよ、とんちだ。きみはやっぱり鋭いね」
 九時の少年は間髪を入れずに言い返した。
「そのとおりだ。無理がある。でも、同じようなことを誰かが言ってたでしょう。こんなの、なんのヒントもないんじゃフェアじゃない、ただの決闘だって。――そもそも、いいかい? メッセージが中途半端すぎるんだよ。『グラスは四つ。一つは薬で三つは毒』、それから『ひとりひとつ、かならず飲み干すこと』、このメッセージのいったいどこに謎があるんだい?」
 投げかけた問いに誰かが反応するより先に、自分で答えを言う。
「謎なんてない。いいかい、謎なんてないんだ。だって考えてもごらんなさい、少年探偵を四人も集めるんだ。それなら謎の一つでも解かせるのが筋ってもんじゃないか。それがなんだい、四つの中から正解の一杯を当てろというならまだしも、考える足がかりがないときた。同じことをするにせよ、もっとやりようがありそうなもんじゃないか。たとえば特殊な暗号を解かなければ毒入りのグラスがわからないだとか、グラスにそれぞれ特徴をつけるだとかね。なのになぜなにも用意されていないのか? 簡単だ。犯人には僕らに謎を解かせる気がないんだ。だから謎も用意する必要がなかった」
 ――正しいかどうか、というのは実は問題ではない。話した内容がいかにもっともらしく響くか、いかに言い聞かせられるかにかかっているのだ。ペテンもはったりも、この場においては有効だ。
「とするときみたちは次にこう考える。それなら誰がこの事態を仕組んだのか。僕らに唯一共通する敵は怪人だ。それにもしこれをやつが仕組んだのだとして、やつは僕たちの命を取るようなやり方は好まない。血を見るようなやり方は好かないんだ、そうだろう? それよりはむしろ、僕らが困る姿を見たがっていると考えたほうが納得がいく。そしておもむろに言うんだ、『歓迎の飲み物を用意したつもりだったんだが、そうも警戒されるとは悪いことをしたねぇ。ほら、これはただの葡萄酒だよ』とからかうつもりなのさ。あれはそういう悪役じゃないか。だからこれは大丈夫な飲み物なんだ。むしろなんとも思わず飲み干してやったほうが、やつの鼻を明かしてやれる」
「きみ、それは推理とは言わないね。あて推量だ」
 探偵助手が肘をついてにやにやと挑発するように言うので、探偵助手はそうだろうとも、そうだろうとも、ハッハッハァとまるで怪人そのひとのように笑った。
「天下の探偵助手がこんな敵の引っかけごときでびくびくしているなんて、おかしいったらないね。そんなんでよく先生の一番弟子を名乗れたもんだ。僕は飲むよ。話していたら喉が渇いてきたしね。こんなもの、なんともないただの葡萄酒なんだからさ」
 少年探偵たちは、演説する本人がそうであるように、面白そうに耳を傾けている。
 信じるんだ。この推理が正しいと。
 すべてを煙に巻くのだ、自信たっぷりに。
 探偵が決死の場面で立てた推理は間違わない。それがたとえどれほど突拍子のないものであっても、確信とひらめきをもって口にすれば、最後には必ず活路へつながる。それ/お約束を利用するのだ。すべてはどれだけ自分を騙せるかにかかっている。
「きみたちはどうする? やっぱりやめておくかい?」
 それがとどめの一言だ。そしてここまで言われて怖じ気づくような者は、そもそもが冒険に向いていない。あるいは無謀と棄却するにせよ、前案を上回るような策を提示できねばとても探偵の助手など務まらぬ。勇気と知恵と、時に雷鳴のようなひらめきと無謀さを持つ者こそが探偵の助手にはふさわしい。そしてここには少年で探偵で探偵助手が四人いる。
 ちょうどここに、四人いるのだ。

「ところが最悪の場合は四人のうち三人が失われることになる」
「ここまできたらいっそそれでもいいよ」
「よくはないけどきっと大丈夫さ」
「そうやって生き残ってきたんだもの」
「そうさ、生き残った一人が『僕』を演じればいい。考えてみたら、ここにいるのは全部『僕』じゃないか。僕だけが『僕』であることはない。どうにかなるさ。どうにかね」
「そんなことを言うと、きみ自身のファンに怒られるよ」
「でもそのときは『僕』を思い出してくれるだろう?」
「思い出の中でのみ、僕らはうしなわれることはない」

 少しだけ年上の少年探偵ははにかみつつ杯を持ち上げ、
 男装役者の少年探偵は高らかに顔の前へ掲げ、
 少女の少年探偵は両手で捧げ持つようにし、
 架空の少年探偵は誰でもない少年の顔を杯に映した。
「いっせーので飲む?」
「それじゃあ格好つかないよ」
「大人ならどうするんだろう。誰か音頭を取る?」
「いいや、僕らには『あれ』があるじゃないか」
「そうだそうだ、『あれ』があった」
「『あれ』ってなんのことだい」
「だから『あれ』だよ。ああ、きみは忘れちまったのか」
「そうかそうか、きみたち教えておあげなさい」
 十二時と六時の両方から耳打ちがいく。
 三時の席は、正面に座る顔がぱっと晴れていくのをにこにこと見守っている。
「ああ、なるほど! 思い出したよ。『あれ』ならちょうど収まりが良い」
「よかったよかった。それじゃあ仕切り直しといこう! いざ!」

 と声を揃えて整えて、朗らかな笑みとともにグラスの音が小気味良く鳴る。それは始まりの合図でもあり、共通の文脈を持つ者の間でのみ有効な、終わりを意味する合言葉だ。きみは知っているかい? なら声を合わせて言ってくれ。こう唱えるんだ。
 ばんざい、ばんざい、少年探偵ばんざあい、と。









[←]

back



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -