杯は四つ[2/4]



 まずは状況を整理しよう。

 そう言いだしたのは、四人のうちの誰であったのか。自分か、あるいは隣にいた少年か。おそらくは四人とも、誰がそう言ったのか判別がつかなかったのではないだろうか。なにしろ目覚めたばかりで誰も彼も事態を把握しきれていなかったのだ。自分と彼の見分けがつかないということくらいは容易に起こり得たし、誰かが言い出さなければ自分がその提案をしていたことは明白だった。その場にいた、誰にとっても。
 だが提案が声として形になったおかげで、いくらか落ち着いたのもたしかだ。
 四人は互いに目配せし、事前に示し合わせたかのように、めいめいに述べはじめた。
「僕たち四人は目が覚めたらこの部屋にいた」
「部屋にあるものはテーブルとワインのセットくらい」
「扉らしいものはあるが押しても引いても開きそうにない、と」
「そしてその扉のところにはなにやらメッセージが貼ってある」
「それは気づかなかった」
「どれどれ」
 と扉のところに四人がわらわらと集まる。文言に目を通した反応には個人差があるが、四人とも怖がる様子はないという点は共通している。四人の中で一番背の高い少年は、鍵の形をしたカードを迷わず剥がした。
「裏にはなにも書かれていないね。透かしても特に変わらない」
「毒とかグラスとかっていうのは、たぶんあそこのワインのことだろうね。ワインの数はちょうど四つ、僕らの人数も四人だ」
「鍵の形の紙に書いてあるってことは、僕らがあれを飲んだら扉が開くってことかな」
「うーん。でも毒なんだろう? どんな毒かはわからないけれど、悪ければ三人は死ぬぜ。助かるのは一人だけだ。もっとなにか方法がないかなあ」
「さすがにこの紙を鍵として使えということはないだろうね。鍵穴に入りそうもないし」
「鍵穴? 穴があるのかい?」
「ほら、ここ。下のほうに小さいけれど」
 二番目に背の高い少年は、カードをすっと奪うと鍵穴らしき穴にあてがった。それはたしかに鍵をさすための穴のようだが、少年の桜貝のような小指より小さな穴だ。鍵の形のカードでは大きすぎるばかりか、かわりばんこに目をこらしてみても、向こう側の景色は窺えそうになかった。
「ところでみんな、所持品は?」
「ハンカチにちり紙、それに手帳くらいかな」
「いつもなら鳩を忍ばせてるはずなんだけど、ここは窓すらないからなあ」
「閉じ込められたときに取り上げられたのかな。万能ナイフか針金、せめてそのどちらかがあれば鍵くらいどうにかできそうなのに」
「敵の目も節穴じゃないってことか」
「え? 敵って誰だい?」
「そんなの決まってるさ。僕らに恨みのあるやつなんて、例の怪人……」
 腕を組んで話していたのは、四人のうちで一番小柄な少年だ。彼ははたと言葉を止めると、どんぐりのような目をぱちぱちとまたたかせ、他の三人を振り仰いだ。
「そういえばきみたちは誰だい? 探偵団のメンバーじゃないね」
「そういえばそうだ。あんまり馬が合うもんだから、僕らとっくに顔見知りだと思ってたよ」
「やあ、さっきからどうして僕の言いたいことがわかるんだい。なんだかきみたちと話していると、自分自身と会話しているような気がするよ」
「たしかにそうだ。それも顔見知りっていうのも、あれでしょう、鏡に映る自分の顔が見慣れているのと同じって、言ってるような……」
 一番大きくはないが一番小さいわけでもない、中くらいの背丈の少年は言葉の途中で口ごもった。自分で話しながら、恐ろしい事実に気づいてしまったかのように口を結ぶ。見れば他の三人も似たような反応だ。そこでこの少年は意を決して口火を切った。
「僕は、とある探偵の先生のところで助手をしている者なんだ。な、名前はちょっと明かせないけど、それなりに有名なんだよ。僕じゃなくて、先生がね、名探偵として」
「あ……そ、そうそう、名探偵」
 一番背の高い、一番年長の少年が一番に話に乗った。
「かくいう僕もだ。難事件の調査から潜入捜査まで、先生の助手でありかつ片腕として事件を任せてもらう身で」
「さらには探偵団の団長として活躍する身、だね?」
 したり顔で後をついだのは二番目に背の高い、スマートな少年だ。
「時に変装の名人たる怪人とも渡り合い、こなした冒険は数知れず!」
「えっと、知り合いの刑事さんにも、可愛いだけでなく賢いと褒めてもらえることで評判の」
「ちょっと待った、『僕』はそんなこと言わないよ」
「そうだよ。自分で言うのはちょっと、恥ずかしいというか、厚かましいというか」
「だって仕方ないだろぉ。みんなが先に言うから、他に思いつかなかったんだもの」
 一番小柄な少年は、他の三人の追及から逃げるように身体を縮めた。
 ともあれ、これではっきりした。
「きみたちはみんな『僕』、ということだね」
「信じがたいけどそういうことらしい」
「つまりどういうことなんだ?」
「僕が四人いるということだよ」
「贋者が僕に変装してるってこと?」
「僕はどの僕も僕であるように思えるんだけど」
「とにかく座ろう。頭が混乱してきた。ちょうど椅子も四つあることだし」

 こういうときに頼りになるのは年長者だな、と少年は思った。
 ちなみにこれを思っているのは、テーブルの九時の位置に座っている少年だ。もしかしたら彼の右手に座る少年と、向かいの席に座る少年も同じように思っているのかもしれないが、誰が思っているにせよそう変わりはしないだろう。
 九時の少年の左手、十二時の席は、四人の中で一番背の高い少年だ。襟付きの白いシャツを着た彼は四人のうちで一番年上であるように見えた。少年よりは青年、と呼んだほうがふさわしいのかもしれない。大人と呼べるほどには成熟しきっていないが、九時や六時の少年と比べればその年かさは明らかだ。
 その彼は自身でも、年長者としてこの場を取りまとめなくてはならない、という責任を感じているのだろう、てきぱきと取りまとめ役を務めた。
「しかし四人がかりで調べても成果なし、か。これはまた本格的に監禁されたなあ。せめて助けが呼べればよかったんだけど、事態が変わらないことには難しそうだ」
「名探偵の弟子が四人集まっても手がかりなしなんだ。テーブルの裏、クロスの縫い目、隅々までの壁と床。まず見落としはないさ」
「違いない。きみたちがいてくれるだけ心強いよ」
 十二時の青年はそう言って、あどけなさの残る顔で笑った。
「そうそう、なんてったって『僕』が四人いるんだ」
 詰め襟姿の三時の席の少年は、勇気づけついでににっこりと微笑み返した。
「どんな窮地だって乗り切ってしまえるさ。いままでだってそうやってきたんだもの」
 ねえ、と首を傾けて他の二人にも同意を求める。
 二人にとってそれは聞かれるまでもないことだったので、「そうだろうね」「今度もなんとかなるよ」と、返事の声が重なってしまった。さっきから、こういうことがよくあった。自分が言おうとしていることを先に隣の人間が言ってしまうような、不思議なシンクロニシティが起こるのだ。もっとも、彼らの場合は偶然ではなく、元は同じ人間だからというのが大きかったが。

 そう、四人はすっかり打ち解けてしまった。納得したのだ。自分の他の三人が、いずれも自分と同じなのだということを。それも「同じ種類の」というのではない。「同じ人間」なのだ。三面鏡を開いたとき、左右と正面に移る自分が鏡面を乗りこえてきたら、きっとこんな感じがするのだろう。
 話してみると四人は全員が全員、同じ探偵に師事した少年探偵助手で、それぞれがほど近い冒険とスリルを乗り越えていた。それがどういう理屈で顔を突き合わせているのか、というのはたしかに疑問だ。だが六時の席に座る少年の「並行世界というのがあるでしょう。僕たちはきっと同時ではなく、それぞれ少しずつ異なる世界にいたのが、なにかのきっかけでこうして出会ってしまったんだよ」という言葉には説得力があり、それ以外に理由のつけようもないため、ひとまずはそういうことにしてしまった。
「にしても、いったい僕らを閉じ込めたのはどんな人物なんだろう」
「怖がらせて恐怖させるのが目的の変質者の仕業だね」
「こんなめに僕らをあわせる人間は、一人のほかにありはしないよ」
 九時の少年の言う『一人』は一人しかいない。
 彼ら少年探偵たちが追いかける、怪奇なる盗賊その人だ。百面相の変装で数々の財宝を狙う恐ろしい怪人は、その計画の尽くを邪魔してきた少年と探偵に深い恨みを抱いている。そして、恨みを晴らす機会を虎視眈々と狙っているに違いないのだ。
「今度のこともきっとそうさ。やつならそういう意趣返しをやりかねない。いまだって事務所で退屈を持てあましているだろうからね」
「ムショで退屈……? まあ、また懲りずに脱獄してろくでもない計画でも立ててるってところだろうね」
「それはどうだろう」
 九時と六時、年若い二人の意見に難色を示したのは、十二時の少年だった。理由を聞かれた彼は、自分でも自信がなさそうに言った。
「なんでもやつは血を流すようなやり方は好まないというじゃないか。それに派手に目立つのが好きだから、予告状なんてものを出すんでしょう。いくら僕らへの意趣返しにしたって、こういうやり方をするかな」
「そうは言っても悪いやつのすることですから、追い詰められればなにをするかわかりませんよ。たとえば、館ごと火で炙られそうになったりだとかね」
 と、六時の少年は、ものわかりの悪い大人に言い聞かせるように言った。年上に説明するときの癖なのだろう、彼と年の近そうな九時の少年にはそれがわかった。十二時の少年は気づいていないのか、あるいは気にしていないのか、腕を組んでううんとうなった。
「でもそれは、やつのほうが追い詰められたときには、ということでしょう。僕らはまだ、記憶にある限りでは、やつに危害を加えていない。それは向こうが自棄になるような状況じゃないということだ。でなければ、」
 と視線を送る先には、四つのグラスが並んでいる。
「彼がこんなことをするだろうか? あのカードの文言が本当なら、このうち三つには毒が入っている。その毒がなんであれ、口にすればただでは済まないだろう。それよりも、僕らはもっと別の犯罪の可能性を考えるべきなんじゃないか」
「別の犯罪って?」
 尋ねたのは彼の隣、三時の席の少年だ。肘をつき、目を細めた彼は、空いたもう片方の手をひらひらさせた。「どんな犯罪にせよ、犯人には僕らを殺すことくらいは簡単なはずだ。捕まえたそのときに殺しておけばよかったんだからね。僕らを閉じ込めて、人数分よりひとつ少ない毒を用意して、なんて、こんな回りくどい手を取るのはどうしてだい?」
「それは僕にもわからないよ」
 と十二時の少年は手のひらを返した。
「ただ、現に僕らは閉じ込められている。犯人はできるだけ長く僕らを生かしておいて、僕らが苦しむところが見たいんじゃないかな。心に深い恨みを持つ人間というのは、ときに如何なる苦痛や罪悪を押してでも、思いを遂げようとするものだからね」
 と、その言い分にどこか経験に裏打ちされたものがあるのは、気のせいではあるまい。彼には彼の、探偵助手としての考えがあるのだろう。
「とすれば、犯人はどこかで僕らを監視しているのかな。さっき調べたときには覗き穴や仕掛けの類いはなさそうだったけど」
「うん。でもきっとまだ僕らが発見できていないだけで、このやりとりもどこかで監視されているんだと思うよ」
「ああ、」
 と声をあげたのは、年長者二人のやり取りを見守っていた九時の少年だった。
「監視でもしてなければ誰が最後の一人になったかわからないから、か」
「おそらくはそうだ。たとえば、紙に書かれた文字を読むようにでもして、犯人はどこかから僕たちの行動を監視している。それは間違いないんじゃないかな」
「じゃあ問題はどのグラスが毒なのか、だけど」
 と三時の席の少年は、詰め襟の首を窮屈そうに撫でた。
「こればっかりはヒントがなさすぎる。どのグラスも見た目はそっくり同じなんだもの」
 これには全員が言葉を詰まらせた。
 グラスとワインについてはすでに検証済みだ。この部屋でもっとも怪しいのは、明らかにこの二つだったからだ。そしてその検証の結果判明したことが、『なにも怪しいところはない』ということだった。ワイングラスは、チューリップのように持ち手の部分が細くなった、なんの変哲もないガラス製だ。底や側面になにが書かれているわけでもない。四つとも同じ形のグラスだった。そして中に入っている液体もまたそうだ。
「四つとも量も見た目も同じ。中身はどれも赤ワインらしい、ってことくらいしかわからないなあ。まさか飲んで確かめるわけにもいかないし、どうにか中身を調べる方法がないかしら」
「それならワインボトルのほうになにか、と思ったけど、ラベルすらないなんてね。中身も空っぽだ。普通こういう謎かけをするなら、ヒントくらいはあってもいいものなのに、フェアじゃないよ。犯人の目的はどこにあるんだろう?」
「『グラスは四つ。一つは薬で三つは毒。ひとりひとつ、かならず飲み干すこと。』……って、貼ってあったカードのほうも、これ以上の解釈なんてできるのか? ああ、先生ならこんなときにどんな推理を下されるのか!」
 九時の少年から、時計回りに三時の少年まで、めいめいに口から意見が飛び出す。世が世であれば、正しい意味でのブレインストーミングというわけだ。自分同士で意見を凝らすことで推理として昇華されるものが見つかるかもしれない。
 が、ここに先刻から口を閉じたままの者がいる。
 それに気づいた年長者の少年は、議長よろしく話を振った。
「きみはなにかあるかい?」
 と振った相手は正面に座る少年――六時の席だ。四人の中でもひときわ小柄なだけあって、同じ籐椅子に座っていてもこの少年はどこか幼く見えた。突然話を向けられた彼は、不意をつかれたというように「ん」と生返事をして、十二時の少年に目を向けた。
「ごめん。なんだって?」
「なにやら考え事をしてるふうだったから。邪魔したかな?」
「ううん、大丈夫。でもそうだね、うん、上の空だった。こんなときに悪かったね」
「なにか引っかかることでもあったのかい?」
 言葉を濁らせる様子に、十二時の少年は質問を重ねた。
「それは言いにくいこと? よかったら聞かせておくれよ。きみが嫌じゃなければだけど」
「ああ……うん、隠すようなことじゃない。それに、大したことじゃないんだ。自分相手に嘘をつくのもなんだから言うけどさ」
 口では苦笑混じりにそう言うが、彼の顔はどこかこわばっていた。なんとなくただならぬ気配に、左右の少年も目を丸くして六時の少年を見つめた。
 六時の少年は三人分の視線にさらされてたじろいだが、観念したように口を開いた。
「僕はきみたちとは同じじゃないんだ」
「それは、なんのこと?」と十二時の少年が尋ねる。
「性別」
「え?」

「女なんだ。少年じゃなくて、少女。こんな格好してるけどね」

 六時の席に座る彼は、サスペンダーの紐を人差し指でひっかけて、シャツの下のなだらかな胸を、そうとも、同じ手の中指で、シャツの胸のあたりをカリカリと掻いた。それから、なにも言わない左右の二人を俯きがちに、ちらりと見て言った。
「確かめてみる?」
 二人とも仰け反って首をぶんぶん横に振った。そのほとんど反射とも言える速さに、六時の少年はぷっと小さく吹き出した。
「自分相手に遠慮することないのに」
 深刻そうな顔で告白していた彼の笑みに、場がほっとしたのも事実だ。十二時の少年は脱力した様子で椅子に背を預け、改めて正面の相手の姿を見つめ直した。彼の位置からではテーブルクロスが邪魔で見えないが、六時の少年の服装は半ズボンに白いシャツという、ごく活動的なものだ。
「いやあ、言われるまで気がつかなかったな。まさかきみが女の子だなんて」
「それはほら、僕らみんなかわいらしい顔をしているからね」
 六時の少年は悪びれもなくそう言って、頬に手を添えて露骨にかわいらしいポーズを取った。声も高く澄んでいて、声変わりしていない少年のものと言われれば信じてしまう。
 うんうんと頷いたのは、隣の三時の少年だ。
「自分で言うのもなんだけど、僕らは女の子に化けてもそうそう気づかれないからね。その点に関しては先生のお墨付きさ」
「そういうものか。じゃあ、もしかしてきみも……」
 と十二時の少年がいぶかしげに九時の少年を見る。年が同じくらいに見えるからと言って、とんだ濡れ衣だ。
「残念ながら、僕は男だよ。ねえ、それよりきみ、」
「おや、女の子の僕に興味があるのかい?」
 なんでも聞きたまえ、と六時の席の少年が胸を張る。
「それじゃあひとつだけ。きみはどうして男の子の格好をしてるんだい」
「どうしてって、だって、女の子じゃ探偵になれないよ」
「そんなことないよ。女の探偵もいるさ」
「うん……そうだね。言い方がまずかった。女の子でも探偵はできるよ。冒険も、悪いやつとの立ち回りもね」
 六時の少年は小さく息を吐いて、あくまでも淡々と述べ続けた。
「でも本当に危険なとき、ここだってときにはたいがい敵の罠にかけられちまうんだ。縛られて、服なんかも破かれて、絶体絶命ってときに、先生や他の団員たちが助けにきてくれる。それで冒険は終わり。悪いやつは捕まって、探偵団はお手柄で。僕は女の子『なのに』勇敢だとほめられる。昨今のご婦人は女子であっても、と但し書きをつけて。いったい、それは僕の探偵としての能力を評価していることになるのかい?」
 ぱん、とそこでねこだましを一尺。
――と、いうのはさておいて。別に男の子の格好をしている理由なんてないよ。というより、いまどき半ズボンくらい、女の子が履いていてもおかしくないんじゃないかな」
 六時の席に座る少年は、自らの告白をあっけらかんと結んだ。いまだに口をぽかんと開けたままでいる他の三人を、にこにこと微笑みながら見回す。こうして客観的に見てみると、愛らしく、人の悪い笑みだ。
「ま、そういうわけで僕は女の子だけど探偵助手の『僕』なんだ。どうして女の子なのかは僕に言われても困るけど……きっとあれだね、女の子のように可愛らしい少年は、女の子で代用してもいいって理屈じゃないかな」
「暴論だ」
「暴論だよ」
「そう、暴論。でも本当だ。だって僕は本当なんだもの」
 少女の少年探偵はりんご色のほっぺを包むようにして頬杖をついた。
「あのね、僕はなにも無駄話で貴重な時間を使おうってわけじゃない。僕が言いたいのはね、仮にこの中のどれが当たりの一杯なのか――それがわかったとして、選ばれるべきは僕じゃないってことだよ。だって、僕は男の子じゃないのだもの」
 そういうこと、考えてたの。
 そう言ってにっこりと笑う。
 彼の目には四つのグラスと空っぽのワインボトル、そしてその向こうに座る十二時の席の少年が映っていた。他の者もなにか言おうとしたはずなのだ。だがそれよりも、六時の少年が続けて口を開くほうが早かった。
 子リスのような俊敏さをもって、六時の少年は真っ直ぐに正面を見据えてこう言った。

「ちなみに、このなかで一番特徴があるのはあなたですね。探偵団の団員は基本的にみんな子供のはずですが、僕よりもいくらか年上に見える。いったい、いくつくらいなんですか?」
「さっきまでみたいにくだけた口調でいいよ。たしかに僕はちょっとばかり年上だが、きみに、というよりもきみたちにかしこまった話し方をされると気が引ける」
 そう答える十二時の彼はあくまでも落ち着いていた。自分が話を振ったせいで六時の少年に告白を強いたのかもしれないことを、気にするそぶりはない。が、さすがに自分だ、考えていることをすぐさま察したのだろう。十二時の彼は困り顔で眉をひそめた。
「きみ、そうやってひとりずつ確かめていくつもりかい? いくら似たもの同士といっても、あんまり趣味が良いとは言えないな」
「似ているということは、同じじゃないってことだよ」
 六時の少年はもっともらしく言った。
「僕らはみんな『僕』だけど、誰がどういう『僕』なのかは互いに理解してないでしょう。だったら、もしものときに誰が生き伸びるべきか考えないと。そのために僕は自分の秘密を暴露して見せたんですよ」
「我ながら乱暴だなあ」
 年下の自分の言うことに苦笑しつつも、でもそのくらいじゃないと先生の助手なんて務まらないのも事実だ、と彼はこぼす。
「うん……そうだね。僕も同じ立場ならそうしただろう。それに、僕もきみと同じで、無害な一杯を飲むべき『僕』じゃないかもしれない」
 背もたれから身を離し、彼はテーブルの上で両腕を組んで、それから言った。
「たぶん僕は、きみたちの未来か、あるいは過去なんだ」

 話を持ちかけた六時の少年も含め、この年長者の言葉の意味を、少年たちはすぐには飲み込めなかった。自分でもそう思ったのだろう、彼は表情をやわらかくして補足を始めた。
「未来ってのはわかるでしょう。少年探偵が成長して立派になって、探偵として独立したりだとか、先生の正当な助手として後を継いだりだとか」
「そこんところはなんとなくわかるよ」
 頷いたのは詰め襟を着た三時の少年だ。
「でも過去ってのはどういう了見なんだい? きみはどう見つくろったって僕たちの誰より年上だぜ。きみが成長して僕になるってんじゃ順番が合わないよ」
「そうだね。先生がかつては凶悪な犯罪事件を扱ってたってのは知ってるだろう」
 これまた急な話の転換だ。
 九時の席の少年は、話について行きつつもひとつだけ付け加えた。
「『かつては』じゃなくて『いまも』だよ、きっと」
「うん。たしかにそうだ。警察をはじめとして、先生を求める声は世界中からあるからね。でも、ここは過去の話でいいんだよ。だって先生は、ある時期からあの怪人を中心に活動することが多くなっただろう? さっきも少し話題に上がった、あの変装の達人の。名前はころころ変えているようだけど、どれも同一人物だ。そうだよね?」
 三人は渋い顔をした。十二時の席の彼はそれを同意と取ったのか、先を続ける。
「で、きみたちのよく知る怪人は人殺しには手を出さない、血を見るのがなにより嫌いだ。しかし、ここで僕が言いたい凶悪事件というのは殺人事件のことだ。怪人との対決より前に、先生が取り扱った数々の難事件のね」
 一拍置くのは聞き手側への理解を促すためか。探偵の推理、というよりは教壇の教師だ。
「で、僕はその不殺の怪人には、実のところあまり馴染みがない。……というよりも、なんだろう。馴染みがないんじゃない、知識としてはわかるんだが、実感が湧かないという感じだ。自分が相手をしていたという実感がね。それよりはむしろ、殺人事件現場のほうがずっと身近に感じるんだ。だからね、僕はたぶん、先生が凶悪事件を追っていたころにくっつき回っていた『僕』なんだ。きみたちとは同じ名前をしていても、また別の『僕』なんじゃないかな」
「あるいは、未来に殺人事件をも担当することになった『僕』?」
「そうだね。でもやっぱり過去のほうなのかなあ。自分で言っててそんな気がしてきたよ。だって僕も、先生の助手として事件捜査をした覚えがあるもの。先生が現役じゃないとそういうことはやらないでしょう。なら、あの白スーツの先生は、きみたちと違う記憶なのか……」
 腕を組み、にわかに考え事に耽りはじめた十二時の少年。
 彼の話が本当なら、厳密に言えば彼と彼らは同姓同名の他人ということになる。
「もしそうなら、僕らはどうしてこんなに雰囲気が似てるんだろうね」考え事をしている十二時の少年をよそに、三時が六時と九時へ向けて言った。「同じ『僕』がずっと助手をしているって可能性はないのかな?」
「もちろん、なくはないと思うよ」と反応したのは六時。「あの見た目なら少し年上ということで団長をしてても無理は……いや、無理はあるかなあ」「だとしたら僕らの雰囲気が似てるってのは、先生の好み?」「先生の趣味が、利発そうで可愛らしい少年だったってこと?」「改めて言葉にするとちょっとあれだ」「あんまり考えたくない可能性だ」「そっとしておきたい」

「そうだ、だからこの状況に覚えがあるんだよ!」
 十二時の少年が突然そう声を上げた。他の三人が目を丸くさせる中、彼はいささか興奮した様子で言った。
「どこか昔に、同じような場面を見た、いや聞いたことがある、知ってるんだ。先生があつかった事件の中で同じようなことが起きた。たしかあれは、これは、決闘だったはずなんだ」
「決闘? なにがだい」
「このワインだよ」と十二時の少年は食い気味に言った。「片方がどちらかのグラスに毒を入れて、もう片方がグラスを選ぶ。もちろん選ぶ側はどちらに毒が入っているかわからない。それでグラスが決まったら、二人でワインを飲み干して、翌朝まで生きていたほうが決闘の勝者というわけさ。銃や刀や拳を使った決闘は法律で禁止されていても、これならできる。互いに遺書を書いておけば、死んでも服毒自殺としてあつかわれるし、度胸を試すには決闘と変わらないもの」
「ああ、きみがこのワインは怪人とは別な凶悪犯罪と言い出したのはそのためか」
「うん。僕らを集めた犯人がもしそのときの事件を模しているのなら――
「待って。それっておかしいよ」
 と口を挟んだのは、九時の席の少年だ。
「その理屈なら、毒を入れた人間もワインを飲まなくちゃいけないんでしょう? そうでなきゃ決闘のルールとしてフェアじゃない。つまり、ここにいる四人のうちの誰かが、ワインに毒を入れたということになるんだ」

 犯人はこの中にいる。――探偵助手である彼らが幾度となく耳にし、ときに口にした言葉だが、今回に限っては意味合いが変わってくる。なぜなら彼らは四人が四人ともに探偵助手であり、同一人物のはずなのだ。そして同一人物であるがために、探偵助手が殺人を押してまで飲み物に毒を仕込むこと、それ自体が物語の根幹にどの程度の軋轢を与えることになるかはよく知っているはずだった。ゆえに場の空気には一瞬、凍り付くような緊張が走った。

「念のために聞くけど、心当たりは?」
 九時の席の少年が、発言者としての流れで質問の責を負う。
 もちろん全員が否定した。十二時と九時の少年をも含めた全員がだ。
「……いやあ、いくら自分が相手だからって、場当たり的な思いつきを口にするものじゃないなあ。先生にばれたら呆れられてしまうよ」
 十二時の少年が羞恥に頬を赤くして言うので、九時の少年はフォローに回った。
「でも、可能性自体はゼロじゃないと思うよ。自分をこんな危険な目にさらす動機がわからないだけで、監視をするなら当事者の中に紛れてしまうのはひとつの方法だ」
「それでも四分の一は高い数字とは言えないよ。望んだグラスを相手に取らせる方法でもない限り、二分の一を選ぶより危険が大きい。それに、どちらにしたって部屋の外に一人は協力者が必要だ」
「協力者?」
「四分の三に当たったときに、部屋を開ける人間がいなくなってしまう」
「ああ」
「どうにかワインの仕組みを解ければと思ったんだけど、悪いね。せめてこの記憶にどのワインが毒なのかわかるような決め手があればなあ。もう少し考えが必要みたいだ」
 十二時の少年は苦笑しながら首を掻いた。
 九時の少年から見ても、彼の人の良さは明らかだ。彼は自分を過去の『僕』だと推定したが、未来の『僕』だったとしたならどうだろう。自分は彼のように背が伸びて、行動をするのだろうか。だからというわけではない、だが尋ねずにはいられなかった。
「決め手があれば、きみはその毒を飲むつもりなのかい?」
 それに対し、十二時の少年は次のように答えた。
「飲まなくて済むなら飲まないよ」
 とそれから言葉を付け足す。
「飲まなくても出られるならね。でもそうじゃないなら仕方ないかな」
「自分の命は構わないってこと?」
「そこまで思い切れはしないさ。怖くないわけがない。でも、だって、僕はあくまでも先生のおまけみたいなものだもの。探偵団の団長である『僕』は、この僕じゃない。僕は主人公が務まるような『僕』じゃないのさ。誰か一人を選ぶなら、それは僕じゃないはずだ」
 話す声はあくまでも年長者らしく、穏やかな調子を崩さない。
 それでもテーブルの下におろした手は、たぶん固く結ばれている。
「きみだったかな。さっき、どの僕も『僕』だと感じると言ったね。きみじゃなくてもいいや。誰か言ったね。どの僕も『僕』だと。きみもそうかい? 僕に対しても同じかい?」
 彼は九時の少年に向かって尋ねた。会話の流れだ。たとえばそれは、三時の少年に対してでもよかったはずであるし、自分で自分の存在を否定した六時の少年へでもよかった問いだ。
 でも彼は九時の席に座っている少年に尋ねた。だから少年も答えた。
「思うよ。きみも僕だ」
「……よかった」
 十二時の席の、少しだけ年上の少年探偵はあどけなく頬を緩ませた。
「僕もそう思う。たとえ同姓同名の別人だとしても、立つ位置が違ったとしても、きみはまぎれもなく『僕』だってね」







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