「毒にもなれ薬にもなれ」





 種はあるのだ、もちろんある。すぐれた探偵というのは魔法使いのようなものだから、同業者が魔術をうたって広げる腕の、そのふところに、こっそりと種を仕込んでいることを知っている。形はどうあれ種は種だ。要は、いかに見破られないか。観衆をアッと言わせ、手品を魔術として信じこませるか。そういった意味では、怪人を称するこの男は、すぐれた魔法使いに違いなかった。
「ぼくと同じくらいのちからをもった、だったかい。先生にそうも言っていただけるとは、おれもひとつかぶとをぬぐべきかな」
 と余裕たっぷりに怪人が言う。
「だけどかんちがいしてもらっちゃ困るねぇ。ぼくはきみを上回る魔法使いなのだ。きみがいくらすぐれた魔法を行使しようと、実力においてはぼくのほうが上なんだよ。その証拠に、ぼくはきみの考えもおよばぬ魔術を、いつも披露してやっただろう。種があるのが手品なら、種そのものが尽きないのがおれの魔術だ。よもやそのことを忘れちゃいないだろうね」
「たしかにきみの手数の多さには、目を見張るばかりだよ」
 それは素直な感心。ただし続く言葉には、
「しかし、きみこそ忘れちゃいないかね。きみがどんなにすばらしい魔法使いだって、最後にその手に縄をかけるのが誰なのかということを。まさか忘れちゃいないだろうね」
 不敵な言葉。だが事実そのとおり。怪人と探偵の知恵比べは、いつも仕掛けた側の敗北に終わる。すなわち怪人の敗北。もっとも、怪人に言わせれば、一時的に膝を折っただけ。体面の上では負けを認めても、心根まで折れたことは一度もない。その証拠に、挑み続けること二十六とんでn回、いまだに決着はついちゃいないと怪人の側では思っている。
「もちろん、忘れちゃいないとも」
 と余裕の態度を崩さない怪人。
「だからこうやって、思い出そうとしては、煮えくり返るほどの思いにかられるんだろう。おれがきさまをどんなにいたぶってやりたいか、とりこにしてやりたいか、想像もつかぬとは言わせないぞ。エ、いまだって、穏便に済ませてやってることに感謝するんだな」
 紳士ぶっているといえども悪党。いくつ顔をもっているのだろう、と怪しまれるほどの変装の名手にして稀代の怪人物は、豪胆にも探偵そのひとの顔をして、くちびるをニヤリとつりあげた。
「この手に縄がかけられるんなら、そうしてみたまえよ」
 だからといって、いますぐ捕り物が始まるということはない。この、どことも知れぬ部屋の周りには、いまごろ怪人の手下たちがいつでも突入できるようにと集まっているのかもしれない。あるいは、それは警官隊であるのかもしれないが、ただニコニコとなにも言わない。物語を始めるための推進力を、どちらが握っているのか。探り合うような沈黙。
 ここは夜の底だ。灯りがともっているのはこの部屋だけ。その他のいっさいは闇に眠っている。おだやかで、しんとひえた夜の底。目をあけたまま夢を見るように、起きているのもここにいるものだけ。
 もとより当たり障りのない話をして場をもたすような間柄でもない。
 先に痺れをきらしたのは、過去の例を引くまでもなく、怪人のほうだった。
「なんだかぼくはねむくなってきたよ。眠気覚ましでもいかがだい」
 あくびをかみころして一時離席。離席、というからにはこの部屋には椅子なりソファなりがあるのであって、揃いのテーブルが置かれているのが当然のこと。ほどなくして戻る。手には来客用のコーヒーカップ、湯気の立つ。ソーサーの上の取っ手をこちらへ向けて、
「サア、きみはたしかコーヒーが好きだったね。きみのところの小僧は、きみの好みを、コーヒーと煙草くらいしか思い当たるものがないと悩んでいたぜ。なんとも身体に悪そうな、数少ないきみの嗜好品だ。だったらきっとおれの好意を断るまいね」
「いただくよ」
 大仰な物言いに苦笑しつつもカップを受け取る。
「きみがせっかく用意してくれたんだから」
「そいつは大した自信じゃないかね。おれがきみを驚かせるためになにか仕込んだとは考えないのかい。たとえば毒だ。猛毒だ。さしものきみも一服盛られたんじゃひとたまりもないだろう」
「ただゆいいつ、人を殺したことがないのが自慢なのだ」
 とカップに口をつける。
「きみともあろうものが、簡単に殺させるようなことはするまいよ」
「そいつは、大した自信じゃないかね」
 繰り返しの台詞にも意味はある。だって真実、カップには薬が盛られているのだ。毒じゃないかもしれないが、一服は一服。ふだんのコーヒーより特別に苦くないかい。舌が痺れやしないかい。頭がじんと痛んだり、ものが二重に見えてきたりやしないかい。それもそのはず、薬は薬、睡眠薬だ。
「自信とは、いえないね。だって、それは、たとえばもっと……べつな、ことばでいうべきじゃないかい。たとえば、そうだな、しん……」
 舌がもつれる。手からカップが滑り落ちそうになるのを、別の手が受け止める。傾いて中身が机にこぼれでる。絵の具のえも知らぬ幼児がたたきつけた落書きのようだ。笑っているのがわかる。どちらが。どうせ同じ顔だ、どちらでもいい。たしかにそれは自信ではない。こんなことを言わせるのは、そうだ、焼きが回ったからだ、いや、回ったのは毒かもしれないな、と言う間にも夜が閉じる。


 驚いたのは【少年探偵】だ。朝一番から明かりがついているのはおかしいぞと思って入ってみれば、倒れた背広姿の男。転がったカップ。机から滴ったコーヒー。まるで毒殺。すわ探偵事務所で事件現場発見か、と身構えたが、どうやら息はある様子。寝息が聞こえる。居眠りをしているだけらしい。なんという人騒がせ。姿形だけを見れば探偵とそっくり同じなのだから、思わず身を案じてしまった。これはいったいどういう悪趣味なのかと起こしてみれば、世迷い言ばかり。
「どうしてばれたのだろうかと不思議でねぇ」だとか。
「だって、おれはふだんコーヒーを飲まないんだよ」だとか。
 心ここにあらずといったことを、ぽつぽつと言う。
 朝からアルコールでも飲んでいるのではないか。少年がそう判断したのも道理。しかし机の上にはコーヒーのこぼれた跡と、そこが定位置のように置かれたチェス盤と、変わったものといえば鏡くらい。鏡。卓上に立てて置く丸い鏡だ。なぜこんなところに、とは思ったがいまは片づけが先決。
「なるほど、あれは苦いな。一口目で気づかれるはずだ」
 雑巾を手にもどったあともそんなことを言っている。
「わかっていて飲み干してくれるなら、それは愛じゃないのはたしかだ」
「そうかい。じゃあ、なんだというの」
 またぞろ妙なことを、と適当な相槌。
 すると不思議なことに、そこで初めて少年の存在に気づいたというように、【怪人】は正気の目を丸くする。さっきまでのは本当に独り言だったらしい。ひらきかけた口をぱくりと閉じ、しばし黙ったのちに再び口をあける。
「紅茶がいいね」
「なんだって?」
「紅茶にしようか、今日は。おれはちょっと服を着替えてくるとするよ」
 とふらつきつつも退散。理解不理解も常のうち。とはいえ今朝の様子はとんとおかしい。変な薬でもやってるのではないだろうな、と少年探偵が疑うのも、それもまた当然のこと。





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