『不在の探偵』01



 最初にひとつだけ断っておく。僕が心の底から敬服して『先生』と呼ぶのは、日本でただひとり、最も有能にして有名な名探偵そのひとだけだ。
 もちろん他にもたくさんの先生がいるのは知っている。そのひとたちをないがしろにするというわけじゃない。ただ僕が言いたいのは、僕にとっての先生はただひとりで、自分が先生の助手だったことを本当に光栄に思っているということなんだ。
 だって先生の活躍といったら、それはもう語りつくせないほどだ。
 数々の猟奇者との対決、犯罪組織との渡り合い!
 きみだって話に聞いたことくらいはあるだろう? もう何冊も本になってるんだもの。先生にかかればどんな難事件だってたちどころに解決してしまうんだ。探偵の中の探偵だ。どんな犯人だって、どんな怪物だって、先生の敵ではない。とびぬけた悪党だって、ここに先生在りと知れば、犯罪計画を放り出して逃げ出してしまうのさ。
 もしかしたらここまでの説明で、『先生』がだれなのか、きみもぴんと来たんじゃないかな。もしそうだったら嬉しいんだけど。日本広しといえども本当の名探偵になんてそうそうお目にかかれない。なにせ先生の名前はあんまり有名になってしまったから、お年寄りから子供まで、先生を知らないひとなんていなかった。むかしは、どこへ行っても先生先生と引き止められて、……。

 まあ、いまはその話はいいか。
 そう、むかしの話だよ。むかしむかしというほどのむかしじゃない。僕にとってはついこの間くらいの話、のはずなんだ。たぶんだけどね。ねえ、きみの目から見て僕はいくつくらいに見える? じゃあそんなにむかしの話じゃないはずだ。
 先に言っておくとね、僕はだれも恨んじゃいないんだ。あいつと違って、恨むのは僕の仕事じゃないってわかってるからね。なんのことだって? いまに話すよ。こうなってしまったのはたぶん、だれのせいでもないんだ。だれが悪かったわけではない。僕だって、まるで自分のことではないようなんだもの。
 だって信じられるかい?
 あれほどの探偵を世界中のだれもが忘れてしまったなんて。
 だれも覚えていないんだ。顔も名前も、あのひとがいたという事実すら。
 実はきみの前にも何人かに先生のことを聞いてみたんだ。大体いまと同じ反応さ。
「ああ、そんなひともいたね」
 で、しばらく話を聞いてから、
「ところでそれってだれのことだっけ?」
 ってね。だれもまともに覚えちゃいなかった。
 まるで魔法だ。最初からそんなひとなんていなかったかのようだ。
 ああ、誤解してもらっちゃ困りますよ。だれかひとりを責めたいわけじゃないんだ。むしろ一番に責められるとしたらこの僕だ。あれだけ先生のことを慕っていたというのに、僕はそのことをあいつに言われるまですっかり忘れてたんだからね。先生の弟子である僕が、よりによってあいつに先を越されるなんて情けない。
 でも、僕の先生は先生だけだ。僕はきっと先生のことが大事だったんだ……と、思う。
 大事だ。うん。それだけはわかるんだ。
 僕は先生のことを尊敬していた。
 だから、僕は思い出さなくてはならない。
 そうだ、きみも僕も必ず知っているはずだ。
 先生の物語を、先生の名前を、声を、その出で立ちのすべてを。
 時代とともに忘れ去られ、だれにも顧みられることのなくなった、その名前。
 僕らを表しうる唯一の呼び名を。

 ただ、いまの僕らはそれを思い出すことができない。思い出すことができないだけだ。
 消えたわけではない。失われたわけではない。ましてや死んだなんてことがあるものか。
 ただこの場にいないだけ。
 そう、先生にはよくあることだ。むかしからそうなんだ。難事件と聞くと飛び出していってしまう。死んだと思わせておいて、あとから颯爽と現れる。先生はそういうひとだ。
 だから先生はいま、ただここにいないだけ。
 だって僕が――探偵助手がここにいるなら、探偵そのひとがいないとおかしなことになるじゃないか。探偵不在の探偵助手なんて順序が逆だ。辻褄が合わない。だから先生はいる。必ずどこかにいるに違いないんだ。

 だから僕はこの物語をこう題する。
 いつか帰る探偵を待つ、ここにはいない探偵の不在証明。
 
 『不在の探偵』、と。





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