「悪魔の贄(抄)」

作 深夜


 
 首を飼っている。
 といっても、僕の趣味ではない。僕はどうせ飼うなら犬や小鳥やゾウガメなんかを飼ってみたかったのだが、首を飼うといって連れてきたのはお父様だ。口を挟めるはずがない。僕は良い子で、お父様の提案には絶対に逆らったりしないのだ。
 そして、その首の世話こそが僕の日課だった。お父様じきじきに首の世話を託されたのだ。ちょっと気味が悪かったけれど、お父様のご指名とあっては断れない。それに、報告に行くときだけは――「今日も首は大事ありませんでした」という毎日お決まりの報告をするだけだったが――お父様は僕のために時間を割いてくださる。毎日忙しくしているお父様が、僕だけのために時間を取ってくださるのだ。それにたまに、本当のたまにだけだが、部屋でブランデーを入れたミルクとチョコレートを振るまってくださることがある。そのときだけは、いつもの居間がいつも以上に華やぐような気がした。
 とはいえ、首の世話というのも大変だ。
 大人の首なのだ。僕がもうあと十つ……いや、七つくらい大人なら、簡単に持ち上げられたのかもしれない。子供の首ならまだしも、大人の首は僕の手に余る。おまけに首が入っている水槽というのもまた重く、首がひたひたになるくらいまで水を張っていなければいけないので、初めのころは水を替えるだけでくたくたになってしまった。
 一日一度。僕は首を水槽から出し、中の水を替えてやる。
 首を持ち上げるの自体は簡単だ。首は僕に慣れているから触ってもまったく抵抗しなかったし、そうでなくとも口枷をくわえさせてあるから、噛みついてくることもない。
 首はただ、どんよりと濁った目で僕を見るのだ。
 なにかを言いたいのかもしれないな、と思ったこともある。
 だが僕は「口枷を外してはならない」とお父様からきつく言われている。首はただの首だ。人間ではない。情けを感じたりしてはならないのだ。僕はそう割り切って、与えられた仕事に黙々と励んだ。
 今日も首は大事ありませんでした、と。帰ってきたお父様に報告するために。


「お父様は君を試しているんだよ」
 首はまるでうたいあげるように言葉を継いだ。
「悪い人だね。君がきちんと言いつけを守るか、破って僕を放してしまうか、試しているんだ。君は毎日お父様に僕の様子を報告させられているんだろう? お父様は君に何と言って言いくるめているのかな? 政府の実験? 未完成の秘術の研究? それとも可愛いペットの世話をまかせたとでも言われているのかな?」

 事故だった。
 週に一度、僕は水替えと一緒に首を洗ってやるよう言われている。洗面台に清潔な水を張って、洗剤で丸洗いにしてやるのだ。僕はいつも通りに首の髪の毛に洗剤をまぶし、泡立てて汚れを落としてやった。そのときに、どうしてだろう、いつもであれば堅く止まって絶対にゆるまない金具が、口枷をまとめる後頭部の留め具が、外れてしまったのだ。
 口枷が鈍い音とともに洗面台へと落ちたとき、僕は肝を潰した。
 首が恐ろしかったわけではない。こいつはただの無力な首だから、なにか行動を起こせようもない。僕が恐ろしかったのはこのことをお父様に知られたら、のほうだ。もしお父様の耳に入れば叱られてしまう、あるいはもっと、幻滅されてしまうのではないか?
 僕は素早く首のそばの口枷をもぎとった。
 元の通りに戻さないと。そうすればきっと、ばれないはずだ。
 前髪をつかんで上へと傾ける。ぱち、と目が合った。首だ。例のあの、なにを考えているのかわからぬ濁った目で。なにかを言いたそうな――そして事実、首は口をきいた。口枷から解放された首は、まるで言葉を枷によりせき止められていたかのように、するすると。ものをしゃべったのだ。
 お父様は君を試しているんだよ、と。

「でもね君、それは君、ちょっとは変だと思ったほうがいいよ。思うべきだ。いくら尊敬するお父様の偉大なるお言葉であったとしてもね」
 声の低い女、とも思えたし、少年の声の男、とも思われた。
 でも今はどちらでも良い。僕は首が本当に口をきけたことに驚いていた。本当に、この口枷に意味があったなんて。
「君はちっとも疑わなかったのかい? 本当に? 世話をしてくれた恩人だからこんなことを教えてあげるのさ、特別だよ。僕を洗う君の手はあまり心地良いものではなかったが、それでも任務としてはうまくやったほうだろうさ。それでも任務、あくまでも任務。君はなにも考えないようにしているが、それはちょっとばかし愚かな行為だと思うがね」
 言いたいままを言わせておけば、生首のくせにうるさいやつだ。お父様はきっと、こいつがあまりにも口うるさいものだから口枷をつけて黙らせていたんだ。湿って頬に張りついた髪の毛と同じ、こいつの声というのは、まるでよどんだ沼を汲み上げたように、ねっとりとして気味が悪い。
 僕は手に持った口枷を、唇に押しつけた。そのまま押し込もうとすると首は、疑うべきだと思うけどなあと、独り言でも言うかのようにうそぶいた。
「お父様は君を殺そうとしているんだよ」
「なんのことです」
「おや、興味があるのかい」
「興味など」
「興味があるのさ、その反応は。聞かせてほしいのかい?」
「…………」
「僕の口から言ってもいいが、どうしたい?」
 戯言を言う口に、僕は問答無用で口枷を押し込んだ。
 首はまだ何か言い足りなさそうにふがふがと口枷を噛んだが、水槽へ戻すと元の通り、しゃべらなくなった。もちろんその夜の報告はこうだ。今日も首は大事ありませんでした、と。

 お父様には絶対に話せない。問題はあった、深刻な、問題が。
「やあ、また僕とお話がしたくなったのかい」
 首は決まってそう言って話を切り出す。話したいことなどあるはずがない。むしろ話してほしくないに決まっている。だが僕には首の言葉を止めるすべがなかった。口枷の留め具は外れたわけではない。翌日の水替えで僕はそれを発見した。外れたのではなく、壊れたのだ。金具の部分が割れている。これでは止められるはずもなかった。
 だがお父様へ報告するのは憚られた。僕はお父様から絶対に首と話をするなと言われているのだ。僕は前回、わずかだが首と話をしてしまった。口枷を交換するとなったら、交換のときにこのおしゃべりな首がお父様へと告げ口してしまうかもしれないのだ。
「やあ、また僕とお話がしたくなったのかい」
 首は水替えのたびに何やかやと話しかけてくるようになった。
「やあ、また僕とお話がしたくなったのかい」
 僕はだんまりを決め込んだ。もちろん話なんてこれっぽっちもしたくない。だが水替えの日課を怠るわけにはいかなかった。
「やあ、また僕とお話がしたくなったのかい」
 水槽にいるときには自分から口枷をくわえていてくれるらしい。
「やあ、また僕と……」 
「あなたは、」
 おや、と口が黙った。
 いくらなんでも、これ以上はどうにも、堪えかねた。
「僕が話し相手になれば、もうしゃべらないでいてくれますか」
「それはどうだろうね。どうしたい?」
「あなたは女の人? それとも男の人ですか」
「どっちでも変わらないよ」
 首は言った。
「首から下がないから、どっちでも。男でもいいし女でもいい。好きなほうを選んでいいよ。どうしたい?」
 ちらりと僕を見た。
「君はどうなんだい?」
「僕だって、どちらでも構いません。それよりも、この間の」
「うん? 何の話だったかな」
「この間の、父様が僕を殺そうとしているって。あれはどういう意味ですか」
「僕がそんなことを言ったかい」
「とぼけるのならこのまま暖炉の端に置きますよ。僕はあなたが抵抗するようなら、ちょっとくらいは痛めつけていいと言われているんです。火にあたりたいですか。乾いたら、死んでしまうんでしょう。だから水槽なんかに入っている」
「そんなことはないさ。僕は地獄の業火にだって堪えられるぜ」
「いずれにせよ」
 僕は言った。
「父様に詳しく報告しなければなりません。叱られるかもしれませんが、あなたの思惑を知れば父様もお喜びになるでしょう」
「君の父様は君が僕に食い殺されることを期待しているんだ」
「食い殺す?」
「そう」
「あなたが、僕を」
「そうだよ。この歯を見たまえ。君の細い喉笛くらい簡単に噛み切ってやるよ」
「でもあなたは首だけでしょう。首だけでどうやって僕の喉笛まで飛びかかるんです。あなたの歯じゃ到底首まで届きませんよ」
「だから君が僕に喉笛をさしだすのさ。僕をその両腕で抱えて首元に抱き寄せるんだ。口づけを待つ花嫁のように、うっとりと」
「馬鹿な。僕はそんなことしやしませんよ。それにお父様がそんな愚かなことを期待しているはずはない」
「でも現に、君は父上との約定に背いて僕と話をしているじゃないか」
 僕は口枷を握りしめた。今日この日、口枷を取ったのは僕の意志だ、もちろん、僕の意志だった。飽きもせず僕に話しかけてくる首と、今日こそは話して決着をつけてやろうと、話を、聞き出してやろうと決意を固めたのだ。だというのに、僕ではない誰かがこれをやっているような、ひどい離人感に見舞われるのはなぜなのか?
 僕ははたと首に視線を落とした。
 首はにたにたと笑っている。
 にたにたと、口元を歪めるだけの笑みを浮かべている。
「君は約束を守れない、悪い子だ」
 わるいこ、とひとこと。僕は生首の口に口枷を押し込んだ。

 しかし、それでも。
 あんなことがあった後だというのに、たまらなく不愉快を感じたというのに、僕は生首と話をするようになった。
 首はいつでもでたらめな話をする。お父様が僕を殺そうとしているだとか、僕が首に喉笛を差し出すようなでたらめをするだとか、それ以上にくだらない話を。
 あるとき僕は首の名前が気になった。僕はお父様から首の名前を聞いていない。お父様が名付けない以上、僕が勝手に名前をつけるはずもない。だから首本人へ聞いてみたことがある。あなたの名前はなんというんですか、と。

「知っているかい? 悪魔は名前を名乗らないんだ」

 首は言った。きっと嘘だ。
 嘘ですね、と言うと、本当だとも、と答えが返る。
「悪魔は名を知られると力を失うんだよ」
「でも有名な悪魔というのがいるでしょう」
「まあ、そうだね」
「でたらめですよ」
 でたらめです、と鼻で笑った。
 もちろんお父様にはあるがままを報告する。
 今日も首は大事ありませんでした、と。




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