「舟中問答」

作 深夜


 
 夕の海原。
 僧形の若い男。禿頭に灰鼠の袈裟。岸壁に止まる鷹の如き双の見据える先には海原。世捨ての身とは思えぬ若きぎらつきを堪えて舟中に座す。
 舟上には他に船頭がひとり。老いた男。僧を一顧だにせず舟を漕ぐ。表面の剥げた木の櫂は、まるでそれ自体が枯れ細った手と一体になっているかのように、自在に動く。
 舟はひたすら西へ西へ、日の沈む方向へと進んだ。
 不意に亡霊が云った。

『おおまがときというのはこういう光景を言うのだろうね。』

 僧形の男はなるべく気づかないふりをした。その一方で考える。
 大禍時。――逢魔が刻、か。こうして魔が現れている以上は逢魔と呼ぶのがふさわしいのだろう。僧形の男はつとめて冷静であろうとした。そうでなくては認めてしまうことになる。
 船首側に通した板の上からこちらを向く、生首の姿を。
『王莽時とも当てるそうだ。』
 生首の亡霊はなおも続けた。
『おうもう。大漢の、哀れな道化を演じた男だ。彼はかつての大帝国の脱け殻をまとい、我が世の春を築こうとした。途中まではうまくいったのだ。だが誰も、周りは誰も彼の味方をしなかった。彼の側に回ったのは、時局を見誤ったものか、権力者におもねる輩ばかりだった。彼にとって不幸だったのは、彼には韓信や張良がいなかったこと、そして彼自身が劉邦ではなかったことだ』
 僧形の男が黙っていると、『と、おれは思う。』と首は肩をすくめた。もちろん首しかない身体で肩などすくめられたはずはない。もしも首に身体が備わっていたとしたら、目の前の幻影をそしらぬふりでやり過ごそうとしている若き僧に、肩をすくめたのだろう、と。
『そしておれは、かの者の不幸をいとしいとも思う。』
 その言葉に、鷹の如き双眸が夕陽を受けてぎろりと輝く。
『……愛(かな)しくも、あわれだ。』
 険しい顔の僧とは対照的に、首のほうはなんだかとろりとした顔つきをしている。三十にもさしかからぬ、年若い男首だ。着飾ってはいないが、乱れてはいない。僧形の男はこの首をよく知っていた。そして首は、本来であれば傍らの首桶に無残な姿で収められているべきであって、このように舟上の風にさらされているべきではない。
『なにも好きこのんでこのようなことを話すのではない。』
 だからこれは幻覚、亡霊なのだ。現に船頭は首がいくら言葉を重ねようと、後ろを気にするそぶりすら見せない。未練がましくまだ用があるのか。僧形の男は知らぬふりを決め込んだ。向こう岸に着きさえすれば消えるのだ。
『話さぬでは、間が持たぬのだ。』
 良くも悪くも世間ずれしていないのは、世渡りする前に脈を断たれてしまったからか。波乱こそが日常と割り切っていたからか。
 後者であろう、と僧はこの首を冷ややかに見下ろした。
『話さぬではただの首になってしまう。おれはそれがおそろしい。』
 およそ五つで係累を失い、政治の中枢に据え置かれた首――この男が、いかなる人生を送ったのか。屈強なる武官を数千も従える国の王に祭り上げられた幼子が、いかなる人生観を身につけたのか。その数奇なる人生がため、この男は一種の諦観を身につけていた。諦観、あきらめ、といって良いだろう。この男は何事にも執着を持たなかった。地位さえもどうでもよいと思っていた節がある。老成していたのだ。
『歌でも詠めれば気も晴れようが、』
 そんな男が唯一執着したものが歌だった。
『悲しいかな何も浮かばん。残すことをゆるされぬ身であるらしい。』
 だった、というのは、それは今になって思えば武一辺倒で築き上げられた一門への、彼なりの、ささやかな抵抗だったのかもしれなかった。仮にも国の王たるものが、いくら高名とはいえ自ら頭を下げ、歌の師匠に弟子入りして、自選の和歌集まで編み上げるほどの熱の入れようだ。周囲は良くは思わなかった。しかしそれとなく諫めてみたところで、この男は一切を聞き入れなかった。政治や軍策の進言であれば二つ返事で承諾したものを、こと歌に及ぶと急に頑固になる。いくら言っても聞かないので、結局は、歌くらい好きにさせておけ、ということで捨て置かれたのだ。
 僧形の男は、膝に重ねた手を強く握った。

『おぬしは父の仇というておれを殺したが、おぬしの父とはこのおれではないか。それをおまえは、』

 ……彼の歌を、聴いたことがある。上手いのか下手なのかわからん歌だと思った。単に自分が歌心を解さぬだけかと思いきや、世の評価からいっても彼の歌は凡作であるらしい。花やら山やらを歌うにも目を引くものがなかった。それに、いやに寂しい。人を歌うにも月を歌うにも、視点は一歩引いたところに置かれていて、そこに彼自身はいない。世に交じれぬまま、御簾の中から世を窺うような。孤独のにおいが常につきまとっていた。
『……ついぞおまえは、義理であるとはいえ父親を殺してしまったのだなあ』
 それを言えばよほど、出家のみである我が身のほうが世を捨てきれずにいた。しかしそれでも、山家に身を移した時分は、一時なれどもこのまま安らかに暮らせるものと思ったのだ。世事の一切に関わらず、僧として朽ちていく。それを受け入れても良いと思ったのだ。だが都よりの使者が来て、密書を賜ったそのときに、己れの心はたしかに揺り動かされた。
『おれを討つのがおぬしであって良かった。が、おまえでなければ良かったとこんなに思うことはない。彼らが何を言おうが、おまえ、連中はうまくおまえを丸め込んだものだ。』

 ――畢竟、何も変わらなかったのだ。
 結局己れは、僧形に身をやつしたところで何一つ変われなかった。石段を下りてくる男に飛びかかったときも、胸を踏み頭を切りつけたときも、自分が自分でなくなったような感覚をこそ覚えたが、それらはすべてまやかしのものでしかなかったのだ。舟に揺られるのはただ己が身であり、自分以上の何者でもなかった。
『おれの首では世などひとつも変わらんのだ。そうであろう。おれの首をひとつ投げ込んだところで波が止まることなどないように。世はおしなべて変わらない。それをおまえは、』

「そうでしょうとも、父上」

 船頭が怪訝そうに振り返った。
 淡々と話していた首はそのときばかりは表情を変えた。
 ――今はそうだ。自分は自分以上の何者でもない。
 だがこの先に約束された栄転が、すべてを変えてくれるはずだった。
 鷹の如き双眸に宿るのは、対岸で焚かれた火の目印であった。

『……かなしい子だ。』

 僧形の男は傍らに置いた首桶を膝に乗せた。ずっしりとして重い。時刻はすでに逢魔が刻を過ぎ、夜と言って差し支えない時分にさしかかっている。亡霊の役目は終わった。何の未練で出てきたのかと思いきや説得のつもりなど、首の分際で浅ましい。舟が浜辺に辿り着くと、袈裟の裾が濡れるも構わず、しかし堂々たる足取りで者どもの前へ足を進めた。
 篝火のあたりにはすでに七、八人の侍が僧の到着を待ちわびていた。一国の王となる者を出迎えるには手薄と言わざるを得なかったが、彼らにしてみれば縁もゆかりも薄弱である出家坊主が、首を討ち取った出迎えよなどと呼ばわったところで半信半疑の一面もあるのだろう。だがそれも、この後に待つ首改めで判然とするはずであった。
 砂浜を踏む。
 と、ひとりが斬りかかった。
 首が、首桶が手を離れる。
 また一撃。今度は後ろから。
 倒れ伏した。
 袈裟では身動きが。
 背を踏みつけられる。
 首筋に刃が宛てられる。
 振りかぶる。
 離れたところに首桶が転がっているのが見えた。
 何も変わりはしない。
 この首が落ちたところで何も。
 なるほど、あの首はこういうことを言っていたのだなと悟った。
 




本作は百人一首アンソロジー「さくやこのはな」の参加作品です。

担当和歌:
〇九三(鎌倉右大臣)「世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」




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