タチバナアユミは忘れない



(○○月××日に兵庫県姫路市港区住吉台で橘あゆみという十九歳の女性が複数の男にレイプされ、下腹部をメッタ刺しにされて殺されました。それは私の親友です。彼女は妊娠三カ月でした。)


 死んだ彼女の話をしよう。
 馬鹿な女だったのだ、あゆみという女は。馬鹿で男運が悪くて、愛嬌だけが取り柄の女だった。中学の頃から遊び歩いてろくに勉強もせず、男をとっかえひっかえして、捨てただの捨てられただの繰り返して。馬鹿だからすぐ人に騙されるし、馬鹿だから懲りないし、学ばないし、それでまた馬鹿正直に他人を信じてしまう。あゆみはねえ、あゆみはねえ、と頭の中身は子供のまま、身体だけが女に成長してしまった。それがあゆみという女だった。
 それがなにを勘違いしたのか(どうせドラマにでも影響されたのだ、単純だから)「将来は看護師になる」と、浪人してまで学校に入ったというのに、学問も途中で腹を膨らませて帰ってくるというお粗末な結末に終わった。馬鹿な女なのだ。行きずりの男に身体をゆだねて、父親が誰かも知らない子供を身ごもるなんて。看護師の夢も勉強も水の泡にして、世間に白い眼を向けられて、実家に出戻ったとんでもない馬鹿だ。
 どうするつもりなんだ。戻って来たあゆみに俺はそう尋ねた。あゆみは眉を寄せ、困ったような顔で笑った。とりあえず産んでから決めようかなあって。間延びした声でそう答えた。なに考えていないのは明らかだった。上目遣いに俺の名前を呼んで、しょうがないじゃんね、と口を尖らせるのは小学生のときと変わらない。
「だってできちゃったんだし、あゆみが産むしかないじゃん」
 堕ろせば。そんなどこの馬の骨とも知れないガキ。俺が言うとあゆみは火がついたように怒り出した。相手の男もその連絡先も覚えていないくせに、ひとりひとりの男はその時々でちゃんと好きだった、好きで寝たんだから、この腹の中にいるのは好きな男の子供で、その子供を殺すなんてひどい、人間のすることじゃない。一丁前にそういうことを言う。だが金も仕事もない、ただ若いだけが取り柄の女が、父親のない子供を抱えていったいどうするつもりなのか。そんなこと、あゆみはちっとも考えようとしない。
 馬鹿な、女だ。
 そんな女だからいつかろくでもない死に方をするだろうと思っていた。男と無理心中でもするか、男女関係をこじらせて刺されるか。全然関係ないところで車にはねられるというのもあり得る。なにしろあゆみは周囲にまるで気を配らないから、赤信号でも気にしないし、深夜にひとりでふらふら出歩くし、それでいて自分だけはなにをしたって安全だと、根拠もなく信じているような女なのだ。本当に、いつ死んでも不思議ではなかった。
 だけどあゆみは、俺の親友だ。
 親友で、幼なじみ、腐れ縁。そう呼べる人物は後にも先にもあゆみしかいない。それだけは揺るがない事実だ。そしてそれは、今も変わらない。
 あゆみは、彼女は俺の親友だ。


(許せない!彼女とおなかの子供、二人を殺した犯人たちを同じようにそれ以上痛めつけ殺す……そう決めました。)


 ……でよお、あいつ馬ッ鹿だろ?
 『勉強する時間がもったいない』っつって!
 人がせっかく誘ってやってんのに来やがらねえの。
 数合わせのお情けで呼んでやってんのに、何様なんだよな。
 こんな可愛い子と知り合えるってのに馬鹿だよ、馬鹿。
 若いうちに遊ばねえでどうすんだよ、なあ?
 いやー、でもマジラッキーだったわ! オレ超タイプだったんだよね!
 一目見たときから君以外あり得ないって思ってたからね、いやマジでマジで!
 そんな子がそっちから声かけてきてくれるなんて、これってもしかして運め……んだよ、電話かよ。いいとこで……はい、もしもしぃ?


(パソコンのプログラムの処理から犯人と思われるやつの名前をリストにしそれだけではなかなか見つけられないのでメールにより検索し怪しいやつはみんな殺す計画をたてたのです。)


 ……非通知。切れちまった。
 ただのいたずらだよ、イタズラ。
 最近メールも多いんだよな。イタズラメール。
 このメールをみたら十人に回してください。そうでなければ殺しに行きます……なんつってさあ、馬ッ鹿じゃねえの!
 今時そんなもん信じるやついんのかよ。小学生じゃあるまいし。
 殺せるもんなら殺してみろっつーんだよなあ?
 そう思うだろ?
 なあ? 
 おいって。
 ……あゆみちゃん?


 お前がタチバナアユミを殺したんだな?


(このメールを見たら必ず二十四時間以内に九人に回して下さい。パソコン・携帯・ピッチそれぞれの位置情報からメールをとめたやつの居場所をつきとめ怪しいと判断した場合、殺す!)


 嘘をつくな。お前はメールを回さなかった。だからお前が犯人だ。お前がメールを回さなかったのはお前がタチバナアユミを殺した犯人だからだ。タチバナアユミは殺されたんだ。お前たちにレイプされて腹を滅多刺しにされて殺された。顔もぐちゃぐちゃに潰された。見つからないと思ったのか? 死体が見つからないと思ったのか? あゆみに見つからないと思ったのか? お前が殺したんだ。お前があゆみを殺したんだ。あゆみはお前に殺された。そうだろう?
 あゆみは決めたんだ。あゆみを殺した犯人を探し出す。
 タチバナアユミとおなかの子供、二人を殺した犯人たちを、同じように、それ以上、痛めつけて殺してやる。
 逃げられると思ったのか? 鍵はここにあるんだぞ? こういう目的のためにホテルを選んだんだろ? 内側からでも鍵がなければ開かないドアのホテルを。防音がしっかりして、どんなに女を痛めつけても露見しないホテルを。全部お前の目論見どおりじゃないか。よかったな。安心して声をあげていいぞ。
 あゆみのときにもこういう手を使ったのか?
 仲間はあと何人いる?
 答えろよ。
 答えないのか?
 それとももう一本ほしいのか?

 ……まあいいか。お前の携帯を辿ればじきにお仲間もわかるさ。


(探偵事務所の最新型のパソコンによりメールを回したことを確認できるようになっています。)


 俺か?
 ……俺はタチバナアユミの親友だよ。お前たちがなぶりものにしたタチバナアユミ。その上でメッタ刺しにして殺したタチバナアユミの親友だ。
 あいつは馬鹿な女だったよ。あんな目に遭ったのもあいつの頭が足りなかったからだ。どこのどいつとも知らない男の子供を身ごもって、それでいて懲りない。また他の男に軽々しく付いていくような、馬鹿な女だ。なにも考えていない。頭が悪いんだ。あんなんじゃろくな死に方はしないよな。
 それでもあゆみは俺の親友だ。
 ひとりしかいない大事な親友なんだよ。
 それだけで、あゆみが死んでいい理由なんてひとつもない。
 あゆみが殺されていい理由なんて、ひとっつもないんだよ!
 ……おい、気絶するなよ。
 全部お前たちがしたことだ。最後まで聞け。
 死んだ彼女の話をいま、せっかく話してやってるんだから。


(信じる信じないは自由。私は本気でとめたやつを自動的に標的にし殺すだけだから。)


 俺がなんのためにこんなことをしているのか?
 そんなの言うまでもなく気づいてるんだろう?
 お前たちは、あゆみにどんなことをしたんだ?
 なあ、お前はあゆみにどんなことをしたんだ?


(このメールを見たら必ず二十四時間以内に)


 俺はね、可愛いあゆみを殺した犯人を捜し出して、可愛そうなあゆみと同じように、それ以上にむごたらしく殺してやるんだよ。


(このメールを見たら必ず二十四時間以内に――)


『タチバナアユミという都市伝説は、』
 と、その男は言った。
『メールを媒介に伝染し続ける。「このメールを回さなかったやつを殺す。」……誰だって、自分のところにこんなメールが来たら不安を煽られる。十人のうちの一人くらいは別の十人にメールを回すかもしれない。人の恐怖と不安につけ込んだ都市伝説だ。メールのうちで終わるなら放っておいても良かったんだが……こうなっちゃ野放しにしておけないな』
 その男は颯爽と現れた。あゆみがいつものように<犯人>に手をかけようとしたときだ。「破ぁ!」というかけ声がしたかと思うと、突然どこからともなく男が現れ、わけがわからないうちに、あゆみは青い光によって<犯人>の上からはね飛ばされていた。スキンヘッドの若い男。噂だけは聞いたことがある。――『寺生まれのTさん』とかいう、怪異を殺す、伝説じみた男の噂だ。スキンヘッドの男は、かざした手をなおもあゆみから離さなかった。あゆみをはね飛ばした青い光は、この手のひらから発せられたものだとわかった。そして次にまたあの光を当てられたなら、あゆみはひとたまりもないということもわかった。
 だから俺は、その男に向かって必死に助命した。彼女がこんなことをするのにはれっきとした理由がある。彼女を殺さないでくれ。お願いだ。――男の手のひらに向かって懸命に訴えかけた。俺がそんなことをするのは意外だったのか、男は驚いたように目を見開いた。そして何事か考える間を置いて、静かに言った。
『お前たちはそうなのか。全部ひとりなんだな。
よしわかった。俺はなにも見ちゃいない。可愛い子を無駄に恐がらせるのは男の仕事じゃないぜ。……だがタチバナアユミが人に危害を加えたなら、俺には俺の宿命がある。そのときは必ず今日のように駆けつける。それが嫌ならいいか、お前が彼女を守るんだ。彼女に人を殺させない。それが条件だ』

 あゆみは死んだ。――違う、殺されたのだ。殺されたけど、ここにいる。橘あゆみはここにいる。生きている。それは普通の人間としての生ではなかったけれど。あゆみは今も生きている。だがその代わりに『タチバナアユミ』は復讐を忘れることができない。チェーンメール、悪意で連なった鎖だ。その鎖だけがあゆみをここにとどめている。俺も同じだ。
 俺はどこにもいない。
 俺は彼女を縛り止め、その実、彼女に縛り止められている。


(○○月××日に兵庫県姫路市港区住吉台で橘あゆみという十九歳の女性が複数の男にレイプされ、下腹部をメッタ刺しにされて殺されました。それは私の親友です。彼女は妊娠三カ月でした。許せない!彼女とおなかの子供、二人を殺した犯人たちを同じようにそれ以上痛めつけ殺す……そう決めました。パソコンのプログラムの処理から犯人と思われるやつの名前をリストにしそれだけではなかなか見つけられないのでメールにより検索し怪しいやつはみんな殺す計画をたてたのです。このメールを見たら必ず二十四時間以内に九人に回して下さい。パソコン・携帯・ピッチそれぞれの位置情報からメールをとめたやつの居場所をつきとめ怪しいと判断した場合、殺す!探偵事務所の最新型のパソコンによりメールを回したことを確認できるようになっています。信じる信じないは自由。私は本気でとめたやつを自動的に標的にし殺すだけだから。このメールを見たら必ず二十四時間以内に必ず二十四時間以内に九人に回して下さい。六月十日このメールをあざわらいとめたばかな男がとおり魔に下腹部と男性部分を八つ裂きにされ殺されました。同じ日に若林区河原町で二人の大学生が同じように頭を割られ腹がぐちゃぐちゃになるぐらいえぐられ殺されました。
 プログラムは止められません。)



 ベッドの上で気絶している男を突き放し、俺はシーツを身にまとった。右手はなおも男を殺そうとしていたが、取り上げたナイフはとっくにベッドの下に滑らせていた。素手で腹を滅多刺しにするのは不可能だ。あゆみは熱くなるのが早いだけに冷めるのも早いという、典型的な飽き性だったから、ナイフを回収するのが困難だと知るや否や早々に諦めてしまった。馬鹿だから、道具を使って回収しようとは考えないのだ。
 男は服を脱いだあゆみの腰から下を見て、キャーッと悲鳴を上げて、それっきりだ。いくじなしめ。どいつもこいつも騙されたがりの馬鹿ばっかりだ。
 すっかり冷えてしまった身体を温めたくて、俺はふらふらと洗面所に向かった。『殺された橘あゆみ』と『庇護者たる親友』と、それから『タチバナアユミ』。鏡に映る、女の姿をしたものは、そのいずれでもあっていずれでもなかった。
 あゆみはねえ、と口にする。
 本物には似ても似つかない気もするが、舌っ足らずな口振りはどこか懐かしい。
 鏡のあゆみが眉を寄せ、どこか困ったふうに笑った。
 あゆみに人を殺させるわけにはいかない。それはあのスキンヘッドの男に言われたからだけではない。あゆみが誰かを殺す理由なんてないんだ。なぜならあゆみは――殺されたんだから。

「もういいんだ、あゆみ」

 俺は両腕であゆみを抱きしめた。
 大丈夫だ。俺がいる。俺はお前の影だ。
 死んだ彼女の話をしよう。殺された女が復讐しに殺しに来るぞ。いや馬鹿な、殺された女の亡霊がメールを送るとでもいうのか。じゃあ犯人を捜しているのは親友だ。殺された女の親友が、親友を殺した犯人を捜しているのだ。いや、殺しに来るのは殺された女自身だ。――そうやって、噂が彼女を“そういうふう”に仕立て上げた。『タチバナアユミ』は『殺された女』であると同時に『女を殺した犯人を捜す殺人者』だ。矛盾している。だから俺はその矛盾を解消するために生まれた。
 俺は『タチバナアユミの親友』で、『タチバナアユミ』だ。

「……もう、いいんだよ」

 あゆみは人なんて殺さなくていい。あゆみは馬鹿な女だ。馬鹿で男運が悪くて、愛嬌だけが取り柄の――俺の、親友なんだ。だからあゆみは困ったふうに笑っていれば、それでいい。タチバナアユミが人を殺すような、そんなことがあれば、そのときは彼女が俺を殺すか、あるいは俺が、彼女を殺すのだ。そうすれば、あゆみは誰も殺さずに済む。
 鏡には、自分で自分を抱きしめるあゆみの姿が映っている。
 馬鹿みたいだと思いながら、俺はあゆみを抱く腕に力を込めた。
 どんなに時代が移ろって、誰もが彼女を忘れても、俺だけは

 橘あゆみを、忘れない。



「タチバナアユミは忘れない」
(あるいは「チェーン・メール」)了



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