桜夜死神見之事
ろうやにしにがみにまみえること





 俺はね、死神を見たことがあるんだよ。
 あんた、骸骨が布切れかぶったようなもんを想像してるだろ。違うよ。俺が見た死神はえらいべっぴんさんだった。
 女? そうだ、女だよ。着物を着てね、髪のながあい綺麗なお嬢ちゃんだった。死ぬ前にこんな美人が迎えにきてくれるなら悔いも残らねえってもんだ。
 横顔がまた冷たくてね、風に舞う桜でも触れれば切れちまうんじゃないかと思ったよ。女の肌が? いやいや、切れるのは花の方だ。すっぱりと、まっぷたつに。触れるもんすべてを拒絶するような、冷たく尖った横顔だった。
 銀色の蝶をあしらった着物が、綺麗でなあ。

 ようく覚えてるよ。桜が綺麗だったからな。あの晩はちょうど月が綺麗で、満月になり損ねた月がこうこうと夜を照らしていた。
 だから川辺を歩いていたんだよ。花見客もいない夜更けにゃ悠々彷徨ってなもんだ。相応に底冷えする夜だったが、先の寒さに比べれば暖かいくらいさ。むしろ冷たくひえた空気が花の鮮やかさを際立たせるようで、そんな夜に歩くのは良いもんだった。花の盛りも宵頃さ。雪にも見紛う花を風がさらっていく、好い夜だったぜ。

 おいおい、笑うなよ。こんななりで夜桜楽しむのがそんなにおかしいかい。俺が風流を解さないとでも思っているのか。人間様よ、そりゃとんだ思い上がりだ! 月見に一杯、桜に心を動かすくらい畜生でもすらあ。
 ……ま、俺は早々に桜にゃ飽いて、今晩はどこに仮宿するか、明日の朝飯をどうするか、なんざ考えていたがね。

 しかし目を引くのは、川に並んで綺麗に咲いた桜道だ。その中でもひときわ花を咲かす桜があってな。枝葉も良ければ花も大ぶりでそりゃ見事なもんだった。何よりも人を引きつけちまう妙な迫力があった。あんたもあの場にいたら俺と同じことをしたと思うぜ。俺と同じように――ふらふら桜に誘い込まれていたと思うぜ。
 まだるっこしい話は嫌いかい? まあ待て待て。まだ本題にも入っちゃいねえ。……ああ、わかったわかった。
 話の結論から言うとね、俺が死神を見たってのが、その桜の下なんだ。川辺でいっとう立派な桜のね。
 最初は妙な臭いがするなってんで、花見客が捨てた残飯が腐っているのか、はたまた腐ってるのは花見客自身か、見物してやろうって腹だったんだ。どれも違った。
 土手へ降りた俺が見たのは女が一人――日本刀をざんばらり、地面に突き立てる瞬間だった。桜の根の、ちょうど間を縫うように。

 ひと突き!

 最初は何かの出し物かと思ったよなあ。
 観客なんざいやしねえ。それこそ俺と、あとは桜と月とって具合なもんだのに。

 それでな、不思議なことに、女が刀を地面に突き立てると、それまで大人しく風に撫でられるだけだった桜が、枝葉を震わしてわなないた。俺には悲鳴に聞こえたよ、桜の。満開の桜が、ひときわ赤い桜の花が、はらはらと降り注いだ。

 死神は、風にあおられる黒髪をひと撫でして、桜の雪を全身に浴びていた。涼しい顔してな。傍目にはそりゃうつくしいもんさ。北斎の浮世絵なんざにありそうな、見事な構図だったぜ。
 ……ナニ、北斎は夜桜なんぞ描いちゃいない?
 うるっさいなあ、ものの例えだよ。どうしてわからんかな。満開の桜に、月光を浴びた和服の美女だぞ。この世のものとは思われない光景だ。今だってそう思うさ。あれは本当にこの世の光景だったんだろうなってなあ。俺の夢だったのかもしらん。だがあのとき感じたことは現実さ、少なくとも俺にとってはな。
 現実のものとしてありありと思い出せる。

 俺ぁとうとう潮時かと思ったね。あのときはな。
 わかるんだ。長生きは伊達じゃねえや。俺たちみたいなのは名乗られなくたって相手がどういうもんで、どういう化け物なのか、自然とわかるもんなのさ。死が衣を纏って出歩いたなら、きっとこんな形なんだろうぜってなあ、空気でなあんとなく知れたもんだ。鎌は持ってねえよ。マント着てるわけでもしゃれこうべぶらさげてるわけでもねえ。
 でも臭いってのは隠しきれないもんさ。
 人間の、妖怪の、濃厚な血の臭い。土の、墓場の、地獄の凝縮された臭い。とりわけ死の臭いってのは、俺の鼻にはよく臭う。あれは身なりこそ若い娘でも中身は何十、あるいは何百何千という年を経た化け物だ。化け物――いや、神様、だな。死に神様だ。数え切れない死を歩いてきた、無数の命を葬ってきた死の神だ。
 ぞっとしたね。なんてったって目の前にいるのは死そのものなんだ。ああ、ぞっとしたよ。

 落ちかけの三日月みたいに冷えた目が俺を見た。

 いかにも切れ味の鋭そうな目が――いいや、日本刀が、俺を見て嬉しそうにわなないた。死神が刀を地面から引き抜くと、血がまるで温泉でも湧くようにごぼごぼと、赤い水たまりを作った。
 血? ああ、あれは血だ。紛れもなく。人間か妖かは判別できなかったが、あれは血だよ。地面から血が湧いて出たんだよ。
 おっそろしいもんだぞあんた。この世の終わりみてえな風景だ。目の当たりにした本人が言うんだから間違いねえ。逃げ出したかったね。
 自慢じゃないがこれで逃げ足には自信がある。どころか逃げ足の速さでここまで生き残ってきたようなもんさ。妙に力を持つよりはそっちの方がよっぽど生き延びる確率は上がるってもんだ。だが縫い止められたように足は動かない。それもそのはずでさ
 ――桜の伸びた根が、俺の足をがっしりつかんでいやがったんだ。

 おいおい嘘じゃねえよ。本当だ。あんた、俺を前にしてそんなちっぽけなところ気にしてんじゃねえよ。俺は桜に捕まったんだ。気づかなかったよ。目の前の光景に気を取られていたからさ。あのときはもう終わりかと思ったなあ。
 ところが、よ。
 ここで誰もが予想だにしない展開だ。
 ふわっと影が飛んできたかと思うと、根っこを一閃! 影ってのはもちろんあの死神の嬢ちゃんだ。刀で景気よくさぱーっと! ……そうだよ。よりによって死神が、俺を解放してくれたのよ。


 それでどうしたかって?
 死神の嬢ちゃんはどうしたかって?
 桜はどうなったか?

 ……さあてね。俺は知らんよ。

 おいおい無責任だなんて憤らないでくれよ。しょうがないじゃないか。

 だって逃げ帰ったもの。わはは。


 一目散よ一目散。速きこと風の如し脱兎の如しってな。言ったじゃねえか、俺は逃げ足の速さで生き残ってきたようなもんだ。助けてくれた恩人だとか相手は小娘だとかそんなもん知ったこっちゃないね。
 嬢ちゃんが根っこをぶった切った途端ものすごい地鳴りがするわ、尋常じゃねえ死の臭いがしてよお。嬢ちゃんが俺に背中向けてる隙にぱぱっと逃げちまった。
 面倒事には極力首を突っ込まないのが信条さ。
 あなた、聞き分けの良さは長生きの秘訣よ?……あ、今のは知り合いの口癖。俺がオカマなわけじゃないよ。その知り合いってのはまた美人のネエちゃんで、口があんなじゃなきゃキレーなんだが、とにかくおっかなくってなあ……っと、それはまた別の機会。気になるか? 気になるなら今度オジサンが紹介してやるよ。ひひ。
 まあな、今思えばちょっともったいないことしたかなあって。アドレスくらい聞いとくんだったかなあ。でもよお、相手は死神だ。あのままあそこに留まって『次はおまえの番だ』なんて刃の切っ先を向けられないとも限らんし、あれで良かったんだよ。うんうん。

 その後のこと……なあ。っつってもな、そのあと話すこともねえんだよな。別に何が起きたわけでもなかったんだよ。映画なんかだと「逃げきったか!?」なんて後ろを振り返るのはいわゆる……えーっと、なんつったっけか……ふらなんとか……いんふら……そうそれ、『死亡フラグ』、だ。ま、映画ならな。でもこれは現実だからなあ。現実にはなかなかそううまくいかねえよ。
 ああ現実だとも。現実だ。夢じゃねえ。ひっさびさの全力疾走でもう横っぱらが痛いのなんのって、しばらく筋肉痛で寝込んだからな……。

 ま、全部が全部わからねえってんでもないがな。

 死神がそこにいた理由は後になって知れた。あの桜はな「人食い桜」と呼ばれていたらしい。あの桜の下で花見をすると人が消える、あの桜が満開の花を咲かすのは人を食って咲くからだ、あの桜は人を食う、と。ま、「人食い桜」の名の通りさ。
 それで俺は思うわけだ。
 あの死神の嬢ちゃんは「人食い桜」を退治るために現世に降り立ったんじゃないか?……とな。
 死神が人助けなんておかしい? だろうけど、そういう噂がなかったかね。この世には目には見えない闇の住人達がいる。 奴らは時として牙を剥き、君達を襲ってくる。 彼女はそんな奴らから君達を守る為に、地獄の底からやってきた正義の使者、なのかもしれない……なあんてな! そりゃ違うか。

 仮に違っていたとしたって構わんさ。俺がそう思う、根拠はそれだけで十分だ。実のところ、本当のことなど誰も知らんよ。あのお嬢ちゃん以外にはね。
 尋ねようにも、死神に会ったのは後にも先にもそれっきり。
 ……ああ、もう何年になるかなあ。あれ以来一度も会っていない。
 おそらく次に会うときは俺が死ぬときだろうさ。なんとなくそう思うんだ。本能的なもんだがね。
 だってあの娘は死神だもの。俺は化け物だもの。死神になんぞそうそう会いたいもんじゃねえ。ま、あんなべっぴんさんに殺されるってなら本望かもしれんがね。まだまだ俗世への執着ってのは断ち切れるもんじゃない。
 そうさな、もし俺が死ぬとして、そのときお迎えに現れるのがあのお嬢ちゃんだったなら訊いてみようか。「あんたもあの晩、桜に見とれてたんだろう?」なんてな。
 死が俺に微笑むならそれもいいさ。あの娘の顔がほころぶなら、それはそれは何にも増してうつくしいもんだろうぜ。俺はあの娘の、死神の理由を知らねえ。死神がなんの理由で桜の下にいて、刀でなにを切ったのか、ましてやどうしてあの娘が死神になったのかなんて知る由もない。けどな、化け物だろうが、死神だろうが、可愛い嬢ちゃんには娘らしく微笑んでほしいってのが全てのおっさんの望むところだろう? 違うか?
 女の笑顔のためなら大枚はたいたって構わない。そういう輩はいくらでもいる――ま、いくらなんでも命を捨てる気はないがね。わっはは。

 ま、そういうわけで桜を見るたび俺はあの死神の嬢ちゃんを思い出すわけだ。なんていって死神だもの。そりゃあべっぴんさんさ。死ってのはな、とびきり恐ろしいもんだが、それにも増してとびっきりうつくしいもんなんだ。触れてはいけない、見てはいけない、そういうものに人は、美を感じ、惹かれてやまないもんなのさ。

 ん? なんだいじろじろ見て。俺のこの顔で美を語るのがおかしいかい?
 そりゃああんた……『ほっといてくれよ』


 意味ありげにそう結び、彼は――人面犬は手元の杯をぐいと飲み干した。ぱはあ、と酒臭い息を吐き、赤らんだ顔を破顔させる。ごちそうさん、こんな話でも酒代くらいにゃなったかい?







作中に登場する「死神」は朝里さん作『黄泉夜譚』よりキャラクターをお借りしました。
異界を守る少女の姿の死神「美琴」さんです。
彼女についてもっと知りたい方は本家本元『黄泉夜譚』へ。




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