「君の父親は『寺生まれのTの父』なんだね」 「たぶんね」 オレ――もとい、ぼくはうなずいた。 「そりゃ寺生まれは寺生まれだし。名字『寺坂』だからイニシャルも『T』だし」 「手から青い光弾も出せるし、ね?」 そう言って不敵に笑ってみせるのはキッタくんだ。――キッタカタリ。九月からぼくのクラスにやってきたクラスメイトだ。で、ここはそのキッタくんの部屋。ぼくらはちょっと複雑な事情で現在、手を組んでいる。……ちなみにぼくが『キッタくん』と呼んでいるだけで、キッタくんは女の子だ。 ぼくはキッタくんが淹れてくれたコーヒーをすすって、 「父さんのことは置いといてさ、とりあえず気になるのが」 「おばあさんが何者だったのか、だね?」 そう言ってキッタくんが腕を組んだ。 「君の話の通りならまず人間じゃないんだろうな。一番手っとり早いのは君が父親に直接訊いてみることだが……」 「それができたらここに来てないよ」 苦々しくぼくが言うと、キッタくんは「だろうね」と微笑して、「やっぱり『寺生まれのTの父』は怖いかい。噂じゃ本家本元『寺生まれのTさん』も頭が上がらないという話じゃないか」 「噂ってそれ都市伝説の話だろ。別に怖いってわけじゃないけど。たぶん、あのおばあさんはなんだったんだって訊いても答えてくれる人じゃないから」 そうだ。どうせ訊いたってまた『お前の気にすることじゃない』とか『そういえば今晩の夕食はお前の当番じゃなかったのか』とか、はぐらかされるだけだ。 ぼくがふてくされているとキッタくんは「僕の見解を述べるようか」と左手でカップを持ち上げた。 「『茨木童子』じゃないかと思うんだ」 「イバラキドウジ?」 「そう。茨の木に童子で茨木童子。――簡単に言えばTくん、君が会ったというおばあさんは鬼だ」 鬼、とキッタくんは断言した。 ……人間ではないだろうと思っていたが改めてそう言われるとぞっとするものがある。 「では語って聞かせよう。茨木童子の話は平安時代の京都にまで遡る」 キッタくんは講釈師のように前置きし、指を立てた。 「渡辺綱(わたなべのつな)という貴人が、鬼の片腕を一刀のもとに斬り落とした。片腕をなくした鬼はなんとか腕を取り返そうと、渡辺綱の伯母に化けて家を訪ねた。言われるままに綱が腕の入った箱を開けると、鬼は鬼の本性を現し、片腕をかっさらって飛び去った……と、大筋はこういう話だ。ねえTくん、今回の話に似ていると思わないかい? 鬼がばあさんに化けてやってきたところなんてそっくりだ」 自信たっぷりの口調でぼくに言う。この人に断言されるとそうだったんじゃないかと思えるから不思議だ。 「その後、腕を取り戻した鬼は『茨木童子』なる名を名乗り、酒呑童子(しゅてんどうじ)の配下に加わったとか。――ああ、『酒呑童子』というのは当時、都を脅かしていた鬼の頭領のことだよ。都では知らぬ者のない大ボスだ。――まあ、その酒呑童子は結局、渡辺綱ら四天王に倒されてしまうんだけどね。茨木童子も一緒にやられたようだが、もしかするとそのときにまた片腕を落とされたのかもしれないぞ。それでどういう巡り合わせか君の寺に片腕が預けられていることを聞き――」 ぼくの左腕を指さす。 「――これぞ我が天の采配よとばかりに取り返しに来た」 キッタくんが口の端をにっと上げる。 「以上が僕の見解だ。どうかな?」 「ううん……」 どうかと訊かれても、ぼくにはなんとも言いがたい。 「あ、でもさ、おばあさんが鬼だったとして、じゃあ腕でもなんでも勝手に盗んでいけばよかったんじゃない? なにもおばあさんのコスプレしてオレを足に使わなくても」 「化け物には『招かれなければ入れない』という性質を持つものが多いんだ」 間髪を入れずに回答が返ってくる。 「ましてや寺は仏の加護たる聖域、入ろうとしても入れなかったんじゃないかな。もしくは腕の在処を確かめたかった、なんてのはどうだい」 なるほど……。だからわざわざ石段をのぼらず困ったフリをしていたんだな。 それにしてもよくこんなにあれやこれやとすらすら出てくるものだ。キッタくん自体が妖怪事典みたいだな……。 ぼくにそう思われていることも知らず、キッタくんは顎に手を当てた。 「いずれにしても推論を出ないけどね。少なくとも箱の中身を改めてみないことにはなんとも言いがたいな」 「あ、それなんだけどさ」 つい口をついて出てしまった。キッタくんの目が瞬かれる。 「まさか君――」 「うん。あの後気になって、こっそり開けちゃったんだよね」 「どうしてそれを早く言わないんだ。中にはなにが入っていたんだい?」 キッタくんが身を乗り出す。ぼくは頭を掻いた。本当は黙っているつもりだったんだけど……オチが台無しになるんじゃないかと思って。 「……お酒だったよ。神なんとか酒って、ごつい名前の」 腕じゃなくて、残念だったね。 それを聞いたキッタくんは下を向き、肩を震わせていた。大見得切って話した推理が間違いだったんだ。さぞショックだろう。仕方ない、今日のところは慰めてあげよう。 「えっと、こういうこともあるって。腕なんて冷蔵庫で保管してたら怖いし……キッタくん?」 項垂れていたキッタくんは突然、ハハハハハと声を上げて笑った。おかしくてたまらない、とでもいうように。 「え、ちょっと、キッタくん、水、水飲む? 大丈夫?」 「Tくん、それはね、おそらく『神便鬼毒酒』と読むのだよ」 胸をなで下ろしながら、キッタくんはまだ笑みを含んだ声で言った。 「じんべ……なに?」 「じんべんきどくしゅ。神の方便、鬼の毒酒と書く。さっき話した酒呑童子退治のときに使われた酒だ。『この酒、鬼が飲むならば飛行自在の力も失せ、切るとも突くとも知るまじき』、だよ。四天王は酒呑童子をうまく言いくるめて酒を飲ませ、酔いつぶれたところを退治したんだ。神便鬼毒酒は鬼にとっての天敵、まさに鬼殺しの酒だ」 早口で説明し、「君の父親はなかなか洒落のわかる人のようだね」と飲みかけのコーヒーに手を伸ばした。ふう、と一服する。キッタくんの中ではこれでひと整理ついたらしい。ぼくにはさっぱりだ。 でもまあ、なんだかよくわからないが、鬼は鬼らしい。 「またやってくるかもしれないぜ。時節を待ちてまた取るべし、なんてさ」 由来ありげにそう言って、キッタくんは頬杖をついた。意図してかどうかは知らないが左腕で、だ。 「……また来たらどうしようかな」 「いっそお茶でも出してみたらどうだい? それで茶にひとしずく――」 キッタくんが空のカップを傾ける。コーヒーのしずくがソーサーに落ちた。悪魔のような笑みをして「ね?」と目を細める。ぼくは苦笑いで生返事をした。素直に酔いつぶれてくれる鬼より、鬼に酒を飲ませてつぶそうという人間の方が、よっぽど厄介だ。少なくとも、キッタくんを見ているとそう思う。 |