▼ もしもの世界
(2014/12/16)
(それは、ある商店街で始まった)
前方から、山のような男が歩いてきた。
2メートルをゆうに越すであろう巨体だ。スーツの上からでもその筋肉の厚さがうかがえる。そのスーツのマッチョガイの頭をすっぽりと覆う黄色いマスク
――この町のゆるキャラ『メロンガメくん』の覆面マスクだ。
――奇妙な出で立ちだが今はすっかり見慣れてしまった。たまに駅の方向から来るのを見ることがある。スーツを着て電車に乗るのだから、どこかには出勤しているらしい。けれども、覆面の着用出勤を認めている会社があろうとは。どんな会社なのか全く想像ができない。
その彼が、前からまっすぐに歩いてくる。商店街の真ん中を、のしのしとかどしどしとか、そういう擬音が似合いそうなありさまで。
ぼくはなんの気なしに彼に道をゆずった。
……のだが、彼はなぜかぼくの前で、ざっと足を止めた。
「え?」
ぼくは彼の身体で完全に影に隠れてしまった。ぼくの後ろになにか、と思ったが、後ろには電灯くらいしかない。マスクのつぶらな両目はじっとこちらを見ている(ような気がする。)
「あの、なんですか?」
平静を装っているように見えて、内心ではもういっぱいいっぱいだ。ぼくは今までこのマッチョガイと口を聞いたことなんて一度もない。というか、誰かと話している姿も見たことがない。だから自分がどうしてこんな目に遭っているのか見当もつかない。彼はいったいどういうつもりで立ち止まったのか。相手の出方をうかがう。
彼はそのつぶらな瞳をくりくりさせ、他ならぬぼくを見ている。すると、ぐわっ、と丸太のような腕が振り上がった。
やられる! ぼくは反射的に目をつぶる。
がしっ! と肩にかかる重圧!
「えっ、ちょっと、なんですか! 重っ! なに? なんなんですか」
形としては『肩を組む』の形だ。だが見ず知らずのマッチョに肩をつかまれて、こちらとしては恐怖しか感じない。
彼はぼくの肩に腕を回したまま、背広のポケットからメモ帳を抜き取ると、そこにさらさらと字を書いた。
『このあとカラオケどう?』
……存外に汚い字だった。
じゃなくて、わけがわからない。
ぼくがマッチョの覆面ガイに捕まっているところに、運良く知った顔がやってきた。
「あ、さと」さとうくん、じゃなくてと自分の中で前置きして、「さとるくん! ちょっとこれ、わけわかんないんだけど、助けてくんない?」と助けを求めた。
目立つ金髪に焼けた肌、黒縁の眼鏡というクラスメイト
――のはずが、いつもと様子が違う。いつもはもっと悩みなんてない!楽しい!って感じなのに、今日はずいぶん表情もまとう空気も重々しい。
「さとるくん?」
ぼくが呼びかけても返事をしない。いつもならうっとうしいくらい話しかけてくるのに。静かすぎて不気味だ。気味が悪い。「え、どうしたの? もしかして体調悪い? 都市伝説って風邪引いたりするの?」
すると彼は鞄をごそごそ探して、携帯電話を取り出した。なにか違和感を感じると思ったら、スマホじゃないからだ。新しい機種が出るたび買い換える、彼にしては珍しい古い型の携帯電話だ。たどたどしい手つき指つきでなにか打ち込む。二分ほどもたもたやって、彼はぼくに画面を見せた。
『げんき だ』
「ああ、そう……」
口で言えばいいものを、なにもわざわざ打ち込まなくても……
ぼくは得体の知れない不安を感じ始めていた。
よくわからないが、ぼくの知らないところで、良くないなにかが起こっているらしい。……ひとまずここから逃げよう。ぼくは意を決して、マッチョの腕をふりほどいた。
そのまま二人を押しきって外に抜ける。しかし周りを見ていなかったせいで、ぼくは通行人に正面からぶつかってしまった。「すみません!」と謝る。
相手の姿にはよく見覚えがあった。「キッタくん! どうしてこんなところに?」
よろけて目をぱしぱしさせる相手、それは制服姿のキッタくんだった。
「ちょうど良かった。キッタくん、みんななんか変なんだ。知らんマッチョに絡まれるし、さとるくんもなんか気持ち悪いし」
ぼくは早口で事情を説明する。
「それで一旦ここから逃げた方が」そこまでしゃべってぼくは思った。これはなにかが変だ。「キッタくん?」
静かすぎる、のだ。
キッタくんといえば『一を聞いたら十はなす』が常なのに、このキッタくんは大人しすぎる。偽者だ、とぼくは確信した。キッタくんがこんなに静かなのは絶対におかしい。それにキッタくんはこんなににっこりと邪気のない目で笑ったりしないし、ぼくの頭を撫でたりしな……
………………。
…………。
……。
くいくい、と服の袖を引かれた。
目を向ければ『メロンガメくん』
――この町のゆるキャラだ。マッチョじゃなくて、正式な方の
――着ぐるみだ。
『ていーくんこれはいれかわりげんしょうだ』と書いてあった。彼(彼女?)の差し出してあったスケッチブックに書かれていた文字だ。
『ひととひととのなかみがいれかわる。あるいはきょうかんかくつまりひとのなかみがかんおうしあう。ふうふのせいかくがにてくるというのはこのもっともけいびなも』
読み切れていないうちにページをめくる。
『にだいひょうされるようにじんかくのいれかわりというのはたましいとかんれんづけられることもある。はたしてたましいというのは』
ページをめくる。
「早い」ぼくは口に出していた。「早い早い早い。まだ読んでないしひらがな読みにくいし」
文字を追う。しかしこのときのぼくはメロンガメくんに気を取られすぎていた。ふと我に返ってあたりを見れば、そこには四つの影がぼくを取り巻いていた。
喋らずに優しく微笑んでいるキッタくんと、無言でスマホの文字列を押し付けてくる巨体と、黙り込んでいるさとるくんと、ボードの余白を文字でびっしり埋め尽くすゆるキャラと…………なにが怖いって、これだけ人数がいてぼく以外誰も言葉を発しようとしないことだ。
無言の集団に囲まれる。これ以上に怖いこともない。
逃げようにも四方を囲まれ逃げ場がない。
そのうちにぼくを取り巻く四つの顔がぐるぐる回り出す。
もうなにがどうなってるんだ。夢か。これは夢なのかと頭を抱えたところで、
――そこで、目が覚めた。
ぼくはしばらく呆然としてしまった。白い天井が見える。ソファに身体をもたせて、眠り込んでいたようだ。
……よかった。夢オチだ。安定の夢オチだ。
夢で、よかった。夢でよかった! ぼくは心の底から夢オチに感謝した。安堵の溜息とともに、両手で顔を覆う。
「なにしてるんだい?」
後ろから声がかかった。反射的に「キッタくんだ」と思った。
「聞いてよ、それが変な夢見てさあ」
と声がした方を向く。
そこには自分の顔があった。
「え?」
「ん?」と相手は小さく首をかしげた。
ぼくを見下ろしているのは、ぼくそっくりの顔だ。そっくりというか、鏡で見るそのままだ。いくら『平凡』『エキストラ顔』と馬鹿にされても、自分の顔を見間違えるわけがない。ぼくがまじまじと観察していると、そいつは「変な夢ってどんな夢だったんだい?」と、ぼくの声で気取った話し方をした。
その話し方はまるでキッタくんのようだ。……まるで、キッタくんのようだ?
「もしかして、キッタくん?」
「君、大丈夫かい?」
相手が眉をひそめる。キッタくんがよくやる仕草だと気づいてぼくは血の気が引いた。「え、いや、だいじょ、ばないかも」としどろもどろに答えると、ぼくの姿をした相手は「顔を洗ってくるといい、目覚ましにコーヒーでも淹れてあげよう」と笑った。
……ぼくはゆっくりと、視線を下に落としていった。下に、つまり自分の身体だ。正直この時点でかなり嫌な予感はしていた。意識してみると、足のあたりが妙にひらひらして落ち着かないし、ぼくがぼくの後ろに立っているということは、この座っているぼくは一体何者なんだということになる。でも、もしも直視してしまえばそれまでだ。事実として受け止めざるを得ない。
……ええい、悩んでいても仕方ない!「南無三!」とぼくは思い切って目を開いた。
制服の、セーラー服を着ていた。
ぼくが、制服のセーラー服を着ていた。スカートの裾から、タイツをはいた細い足が二本、その姿をのぞかせていた。そして当然のように、その足はぼくの意思で動かせた。
「……」
……ぼくはそっと目を閉じた。
そして心から、夢オチであることを願った。
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ツイッターより「#リプで最初に指定されたうちの子と二番目に指定されたうちの子の性格を入れ替える」タグ、指定は「(1)Sくん、(2)メロンガメ(マッチョなほう)、(3)Y、(4)メロンガメくん(ゆるきゃらのほう)」でいただきました。皆さまの悪ふざ……ご厚意、まことにありがとうございます。
複数ご指定いただけましたので、それぞれ前から奇数偶数ペアで入れ替えました。正気の沙汰ではありません。
最後は「寝返った拍子に頭でも打ったのかい?」でも、「今は君が『キッタくん』じゃないか」(ニヤニヤ)でも、お好きな方で。