蠍蝗
 

□平和な世界

 数十年にも及ぶ研究の末、遂に教授は不老不死の薬を完成させた。
 戦争で最愛の妻を亡くした教授にとって、平和な世界は心よりの願いだった。そしてその為には“死”を克服しなければならないと、そう考えた教授の研究が晴れて大成功を納めたのだ。
 その晩、教授は全てをやり終えたとばかりに、静かに一生を終えた。
 教授の意志を引き継いだ助手たちは、早速世界一の製薬会社に掛け合って不老不死の薬を量産し、そして世界中の人々に――大金持ちから普通の人たち、権力者や道端で生活するこどもたち、果ては森の奥に隠れ住む少数民族の人々まで、それこそ世界中の“ヒト”に――その薬を無料で配布、投与した。
 病気にも罹らず、空腹を覚えず、怪我はたちどころに治り、成長はしても老化はしない。そうして地球上のヒトというヒトは、病気や飢え、そして死の恐怖から開放された。
 しかし死がなくなると今度は、どうせ死にはしないのだから、と、“殺人事件”の数が倍増した。大切なものを取られたから、仕事の邪魔になるから、自分を好きになってくれないから、なんとなく気に入らないから――そんな簡単な理由での人殺しが後を絶たなくなった。
 これを重く見た政府によりただちに法律が整備され、実際に死んだ人がいなくても“殺人事件”を起こした人は逮捕されるようになった。被害者はみんな生きていたので犯人はすぐに見付かった。とはいっても逮捕したところで死刑にも出来ず、刑務所はすぐに終身刑の罪人で溢れ返った。
 日々増える犯罪者たちの世話に刑務所の財政は圧迫された。困りに困った刑務所の偉い人たちで話し合った末、収容している犯罪者同士で殺し合いをさせ、それを娯楽としてお客さんを呼ぶことに決めた。勿論、本当に死ぬ犯罪者は一人もいないのだ。元から最高刑である終身刑なのだからこれ以上罪が重くなることもない。
 この“ショー”は話題を呼び、多くのお客さんが訪れて刑務所はたちまち財政を立て直した。そして余ったお金で犯罪者たちに武器を買い与え、もっと楽しめるよう会場を整備し、ショーはどんどん過激なものになっていった。ショーが過激になるに連れて、刑務所の外での“殺人事件”の件数は少なくなった。これは誰も予想だにしていない素晴らしい効果だった。
 始めは刑務所の中だけで行っていたショーだったが、そのうちに選び抜いた選手たちを刑務所同士で殺し合わせて刑務所毎の強さを競うようになり、刑務所は地域に、地域は国に、やがてこのショーは世界的な娯楽となった。より強く、より残酷な犯罪者は世界中から注目を浴びる大スターになった。テレビや新聞は毎日、試合の結果や選手たちの生まれてから今に至るまでをつぶさに報じた。
 ただの娯楽だった殺し合いがスポーツへ変わっていくに連れて、自然とルールが定められるようになっていった。国際評議会が組織され、武器の数や性能、選手の身長体重、薬品を投与しているか否か等、細かい規定が作られて選手の品格が問われた。
 しかし国際評議会のトップに立っていた評議員が、とある国からお金を貰ってその国が勝ち易くなるよう贔屓していたことが表沙汰になると、たちまちのうちに不正は大問題となった。お金を渡した国を批判する国、逆に肩を持つ国、ずっと勝っていた国、負けていた国、国という国がぶつかり合って世界はかつてない程の大きな戦争に呑み込まれた。
 本当に死ぬ人は一人もいなかったが、沢山の血が流れ、多くの人が大切なものを無くして悲しみ、それでも誰も死なないのでいつまでも戦争は終わらなかった。ショーのお陰でどの国も最高の兵器を持っていたので、地球上のあらゆる町並みや海や山は焼き払われ、或いは毒で汚染された。
 ある穏やかな日のこと、とある国の兵器工場で開発中だった超強力爆弾が誤って爆発した。その爆弾のみならず、工場中の爆弾という爆弾が全て同時に爆発し、爆発の連鎖が巻き起こした強烈な爆風はあっという間に地球を粉々に吹き飛ばして、死なない人たちは散り散りになって宇宙に放り出された。
 幸いにも誰一人として命を落とすことはなかったが、宇宙の真空と絶対零度はたちまち人類を凍り付かせ、動くことはおろか誰も何も考えることすらできなくなった。爆発音のしない宇宙はとても静かで、美しく、そして果てしなく平和だった。そして誰もが生きていた。
 こうして世界は平和になった。教授は不老不死の薬によって、世界に平和を齎したのだ。


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