蠍蝗
 

□蛙の王女様

 葦ヶ沼に住んでいるちぃちゃんは幼い頃、大きな疣蛙を殺したことでその身に呪いを受けることとなってしまったそうだ。沼生まれの子供の例に漏れず人間の遊び相手のいなかったちぃちゃんは、件の疣蛙を唯一の友達としてお玉杓子の頃から甲斐甲斐しく世話をしていたらしい。しかし雄の蛙と雌の蛙が仲睦まじくしているのを見たちぃちゃんが真似をして飛び乗ったところ、「げろっ」という断末魔と共に口から内臓を吐き出して死んでしまったのだという。全く、ちぃちゃんらしい何とも馬鹿馬鹿しい顛末である。
 神妙な面持ちのちぃちゃんの口からそんな話を聞いてから、私たちはその事件を“疣蛙圧死事件”と呼んでちぃちゃんをからかって遊んだ。ヨッコやトモエらと一緒になって、友達を殺したことを詰るとちぃちゃんはとても悲しそうな苦しそうな顔をして、その顔が可笑しくて私たちはお腹を抱えて笑い転げた。
 事件のいきさつだけではなく、ちぃちゃんが受けたという呪いの内容というのもまた、私たちの笑いを誘った。
 親友を殺してしまった罪悪感に苛まれていたちぃちゃんの夢に、自らの手で殺めた友人が初めて現れたのは、“疣蛙圧死事件”が起きてから数箇月後のことだったという。夢の中でちぃちゃんは、良く友達と泥に塗れて遊んだ葦ヶ沼のただ中に一糸纏わぬ姿でいたそうだ。高い葦の密生した葦ヶ沼はちぃちゃんの庭のようなものだったが、夢の中の葦ヶ沼はえもいわれぬ恐ろしい雰囲気が漂っていた。
 早く家に帰ろうと膝まで達した泥の海を掻き分け振り返ると、そこには犬程もある巨大な疣蛙がむんずと座っていた。疣蛙は喉袋を膨らませたり縮ませたりしながら恐怖で竦み上がったちぃちゃんを睨み付けていて、ちぃちゃんは彼が死んだ友達なのだと一目で気付いたそうだ。しかしその目はあまりにも恐ろしく、“蛇に睨まれた蛙”のようにちぃちゃんは身動きが取れなくなった。
 逃げよう。必死で鈍い頭を働かせて漸く泥から足を引き抜いたちぃちゃんに、待っていたとばかりに疣蛙は襲い掛かった。あの時のお返しとばかりに飛び乗られたちぃちゃんは俯せに泥沼に倒れ込み、跳ねた泥がちぃちゃんの体中を汚した。泥は冷たくはなかったが、背中に張り付いた疣蛙のぬめぬめと冷たい両生類の感触に全身に鳥肌が立ち、ちぃちゃんは必死で疣蛙を振り払おうとしたそうだ。しかし疣蛙が吸盤のついた手で張り付く力は尋常ではなく、抵抗虚しく力尽きたちぃちゃんは沼地にからだを開かれ、生温い泥水と共に疣蛙の雄を受け入れてしまったのだという。
 私は蛙には人間のような女の体に突き刺す為の器官は存在しないのだということを知っていたが、ちぃちゃんやヨッコやトモエには黙っておいた。
 それからというもの疣蛙は定期的にちぃちゃんの夢に現れ、色々な場所、色々な方法でちぃちゃんを慰みものにし、それはあどけない少女の時代から十年弱が経っても尚続き、それどころか頻度を増して中学に入る頃には毎夜のこととなったのだという。
 思春期の女の子たちの前でそんな生々しくてえぐたらしい夢の話をしてしまったちぃちゃんは、欲求不満の変態女というレッテルと共に“蝦蟇子”と呼ばれることとなった。しかし侮蔑をもって“蝦蟇子”と呼ばれた筈のちぃちゃんは、そう呼ばれると心なしか嬉しそうな顔をしたので、気持ち悪いという理由で蝦蟇子は程なくして元の通りの“知恵遅れのちぃちゃん”へと戻った。
 呪いの真偽は定かでないにしても、確かにちぃちゃんは蛙に好かれる体質だった。ちぃちゃんが沼地を歩けば途端に蛙が合唱を始め、ちぃちゃんと一緒に帰る時はかなりの確率で、雨ともなれば必ず蛙に出くわした。教室のちぃちゃんの机の中に大量の蛙がいたこともあった。もっとも、今思えば“蛙の机事件”は犯人がいたような気がしないでもない。
 おまけにちぃちゃんは沼生まれの分際で私よりも少しだけ、あくまでも少しだけ胸が大きかったりと、男の人まで引き付ける体つきをしていたので、そのうち好意でも悪意でもちぃちゃんに近付く女子はいなくなった。
 それでも私はちぃちゃんの相手をしてやっていた。私からちぃちゃんに近付いた訳ではなくて、ちぃちゃんの方から馴れ馴れしくも私に近付いてきたのだ。しかし私は広い心でちぃちゃんを受け入れてやっていた。ちぃちゃんに構ってやればそれだけで周りからは心優しい女の子だと思われたし、何よりも何かと気に食わないちぃちゃんに人知れず嫌がらせをするのはとても楽しかった。
 荒れていると評判の隣町の男子校の生徒に、少しばかり胸が大きくて毎日みだらな夢を見る欲求不満の女の子が葦ヶ沼にいるという情報を漏らしたのも、ちぃちゃんが気に食わなかったが為の嫌がらせの一つだった。私のお兄ちゃんは隣町の男子校でそれなりの地位についていたので、何気ない日常会話の一つとして情報を漏らすのは簡単なことだった。
 それから程なくして、葦ヶ沼の泥の中で慰みものにされるというちぃちゃんの長年の夢は実現することになる。
 男の人というのは単純なもので、情報を漏らしてから一箇月も経たないうちにちぃちゃんは一人の帰り道で男の人に襲われた。私としてはちょっとしたいたずらをされる程度のことを期待していただけなのだが、隣町の男子たちは集団でちぃちゃんを葦ヶ沼の奥地に連れ込み、一晩中いいようにしたそうだ。これは多少の誤算ではあった。男の人は単純だが、それ以上に私が思うよりも欲求不満な生き物だったらしい。
 ちぃちゃんの命に別状はなかったが、雄の欲望を叩き付けられた下半身が壊れたのか、はたまた精神的なショックか、ちぃちゃんは立って歩くことができなくなって学校にも来なくなった。疑いの目を向けられないように、友達の顔をしてちぃちゃんの家へお見舞いに行ってやった私を迎えたちぃちゃんは、家の中を這いつくばって移動していてまるで蛙のようだった。今までの夢は蛙の呪いの前哨戦で、ここにきて蛙の呪いが本領を発揮したのではないかと思う程だった。
 そんなことを私が言うと、ちぃちゃんは悲しそうな顔をして、男の人から暴行を受けてから疣蛙が夢に出てこなくなったことを告白した。本来ならば喜ぶべきことなのに悲しそうな顔をするちぃちゃんが気に食わなくて、人間の女として汚れたから疣蛙も嫌になったのだろうとちぃちゃんに言うと、ちぃちゃんはやっぱり悲しそうな顔をした。
 それから数日後、ちぃちゃんは葦ヶ沼で死体となって発見された。どうやってか家を這い出したちぃちゃんが、誤って沼に落ちて溺れたのだろうというのが警察の見解だったが、クラスではちぃちゃんは自殺したのだというのが通説だった。ちぃちゃんの死は最初のうちこそ騒がれたが、元々いてもいないようなものだったちぃちゃんのことはすぐに忘れ去られていった。
 ちぃちゃんが死んでから、私は夢を見るようになった。蛙の王女様になったちぃちゃんが、葦ヶ沼の背の高い葦の中で大きな疣蛙たちと入れ代わり立ち代わりつがう夢だ。私はいつも葦を掻き分けて彼らに近付こうとするが、たちまちのうちにちぃちゃんと疣蛙たちは沼に沈んで消えてしまう。それからまた一団は少し離れたところに浮上して、疣蛙たちはげんげんげろげろと生き物としての歓喜の声を上げ、よろこびに顔を蕩かしたちぃちゃんをもてあそぶのだ。
 私はそれを、妬ましく思う。

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