蠍蝗
 

□Commedia dell'arte!

 “良いか、良く聞け×××、舞台屋は顔が命だ。器量の良し悪しや醜美の事を言ってんじゃねえ、器量悪しでも醜貌でもありきたりな面した奴よかよっぽど舞台屋に向いてらぁ。顔が命ってのはな、つまりは客に不快感を与えちゃなんねえって事だ、解るか×××?豚みてえな面でもそれが客を笑わせる面なら良いのさ。問題は何が客を不快にさせるかだ。客が舞台に来るのは浮世の苦痛を忘れる為だろ?となると客を不機嫌にするのは苦痛の滲み出る面だ、解るな?そうだ、傷面だ、×××、喧嘩するのも盗っ人やるのも構わねえ、殺したきゃ人だって殺しゃ良い。お前がおれの一座の役者であるうちは庇ってやる。ただし何があっても顔にだけは傷を作るな、特に火傷なんてのは一番あっちゃならねえ傷だ、火はどんな美人でも二目と見らんねえ面に変えちまう、火傷を負ったが最後、二度と舞台にゃ上がれねえと思え。”
 と、いつだったか親方は、その時はまだ少年だった×××を呼び出して、いつになく真剣な顔をして言った。その言葉は少年の心に深く沈み、長い時が経った今でも一語一句違えずに思い出せるほどで、それを聞いてから×××は、手癖のように繰り返していた喧嘩も擦りもすっぱりやめた。
 舞台とは、×××にとっての全てだった。とはいえど×××は音楽が好きな訳でも演劇が好きな訳でもなく、きらびやかな衣装や手の込んだ装置にもさしたる関心もなく、そこに客がいようがいまいがどうでも良かった。ただ舞台という、五秒もあれば現れて消えてしまえる空間だけに固執した。×××がもっと小さかった時、一度だけ母に連れられて即興喜劇を観に行った瞬間から、その場所に魅せられていたのだった。
 だから眠る父を撲り殺して自身の置場を無くした時も、舞台で生きようと思った。×××は常々から舞台に上りたいと望んではいたが、演奏できる楽器は一つもなく、歌が歌える訳でも踊りが踊れる訳でもなかったので、そのどれも必要のない役者を選んだ。いくつか劇団の門を叩いていくつか断られ、いくつか目に小さな旅一座の天幕を訪ねた時に親方と出会った。×××は自分が何故役者になりたいか、今までの生き様、ここに辿り着くまでのいきさつを親方が尋ねるまま一つも嘘をつくことなく話し、一通り話を聞くと熊のような図体をした親方は呵々大笑してこう言った。
 “そりゃあ難儀な生き様なこった、もっと話してくんな、面白可笑しく飾り立てて喜劇に仕立てようじゃねえの。主演とはいかねえが、まあ犬コロ役にでも使ってやらあな。”

 それから×××は親方にくっついていくつも国を回り、親方の頭に白髪が目立つようになる頃には大人になった。×××は親方の稽古の甲斐もあってそれなりに良い役者に育ち、団員の努力のお陰で一座もそれなりに大きくなってそれなりに有名になり、回る街回る街でそれなりに人を集めるようになった。
 名が知られるようになればその分同業者からの嫉みを被るのは当然のことで、親方の一座もまた例外ではなかった。根も葉も無い悪い噂は当然のこと、天幕を破かれたり上演中にごみを投げられたりと、回る街回る街でそれなりに嫌がらせを受けた。しかしながら親方はそんな嫌がらせまで皮肉って喜劇に仕立て上げ、その度に客の笑いを取ったので同業者からは益々もって嫌われた。
 そんなことだから親方は天幕小屋に火を点けられるというのも予想していたが、予想していなかったのはその時その場に×××がいるということだった。親方は常日頃から必要以上に天幕に近付かないようにと団員たちに忠告していたのだが、×××は度々親方の目を盗んで天幕に忍び込み、その日も他に誰もいない舞台に上がって一人で昼寝をしていたのだった。
 誰もがそこに×××がいるなどと思いもよらず、助けられることもなく逃げ遅れた×××は、体中にひどい火傷を負って二目と見られない姿になった。×××は激痛に苦しみ抜いたが、何よりも×××を苦しめたのはもう二度と舞台に上がることができないという事実だった。×××の有様を見て怖じ気づいた団員は一人二人と離れていき、火事を起こしたという悪評は瞬く間に広がり客足は一つ二つと離れていった。
 終いにはあれほど賑わった一座には親方だけが残り、親方は挫折した人間がしばしばそうなるのと同じように酒に溺れ、×××はただそれを見ていることしかできなかった。やがて親方も歳を取って死んでしまうと×××は独りになった。×××は誰にも姿を見せずしのぐように過ごし、自分が別の何かになれれば良いと思った。どれだけあの時あの瞬間を憎んでも正気を失うことはできず、世界の全てが狂ってしまえばいいと思った。ただひたすらにそうあるように望み、ただひたすらにそれだけを願った。
 それから途方もなく長い時間が過ぎて、×××は、

 或いは一幕の即興喜劇である。
 歓喜も、悲哀も、激怒も、寂漠も、悪い冗談も、しばしば起こる悲劇でさえも、全てはハーレクインの運ぶ喜劇の一部に過ぎない。
 大いに笑い、大いに嗤え、その時は常に傍らに在るのだから。

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